内 輪   第158回

大野万紀


 グレッグ・イーガンにテッド・チャン、小林泰三や北野勇作と、その傾向に違いはあるものの、現実と仮想現実、その中における意識の問題を描くSFの傑作が目につき、このテーマにとても興味があります。テーマとしては昔からある(SFに限らず)ものですが、科学的な背景をもって深い思弁をこらしたものが目立ちます。そんな中、日経サイエンスの11月号に掲載された「ホログラフィック宇宙」という論文にびっくりして、久しぶりに買ってしまいました。もちろんちゃんと理解できているわけではありませんが、ぼくにはこの宇宙がどこかに書かれた情報(プログラム)から出来ているのだと読めました。もう一つびっくりしたのは、この論文の中で物理的なエントロピーと情報理論のエントロピーがほぼ同一視されていることで、菊地誠さんに聞いたら、これって今の物理学ではわりと普通の考え方なのだそうです。菊地さん自身はちょっと違和感があるとのことですが、ビットを立てるのに必要な熱を考えるといったところから関係してくるのだとか。なるほど、そうなのか。ぼくが学生のころは、質量とエネルギーの物理学に情報を加えた新しい保存則を考えれば、新しい物理学が生まれるという「夢」を語る先生がいて、わくわくしたものですが、そうですか。面白いですねえ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『サウンドトラック』 古川日出男 集英社
 これはすごい。『沈黙』と『アラビアの夜の種族』を足して2で割ったというか、前半と後半で思いっきり雰囲気が異なり、にもかかわらずめちゃくちゃ面白い。近未来というか、ほんの5年後の東京だが、この異世界ぶりはどうだ。熱帯化した東京という、ありがちなイメージが、緻密な(リアルなというのとはちょっと違う)描写によって、恐るべき魔界を現出している。そして活躍する(というか暴走する)少年少女たち。いや、ボーイとガールズと、ジェンダーフリーな若者と。前半の、小笠原の無人島に漂着する少年と少女の物語が、ここまで来ますか。だんだんとスピードアップしていき、どこかで光速の壁を越えたのだろう。やっぱりレニとカラスと傾斜人のあたりからだろうか。それともヒツジコの腕の動きが見えなくなったあたりか。その点、トウタはまだしもこっち側にいるように見える。男の子だからだろうか。光速の壁を越えてから、常識的なリアリティは失われるが、圧倒的な描写力によるマジックリアルな物語が展開する。何か、牧野修かと思えるようなすごい話だ。何と言っても傾斜人というのがすごいなあ。いしいひさいちみたいだ。本気で戦争してるわけだし。きっと、そのさらに底の方にはあれが住んでいるんだろうな。傑作。

『あなたの人生の物語』 テッド・チャン ハヤカワ文庫
 テッド・チャンの全短編を収めた短編集。まとめて読むとやっぱりすごい。水鏡子も書いているが、短編集としての出来はイーガンの『しあわせの理由』よりも上になる。でもそれは作家の力量よりも密度の問題だ。イーガンには長編もあり、他の中短編もたくさんあるのに対して、チャンは本書が全てなのだから。ぱっと見はSFありファンタジイあり、普通小説(!)ありだが、チャンのテーマは一言で要約できる。科学的認識による人間の意識の変容に関するスペキュレーションだ。科学的というところを、合理的、論理的、さらに数学的と言い換えてもいい。そういう意味でチャンの作品は全てがSFだ。サイエンス・フィクションであり、スペキュレーティブ・フィクションである。SF史に残るだろう傑作「あなたの人生の物語」にしても、ヴォネガットのトラルファマドール人は何十年も前に同じ認識に達していた。でもチャンはそれを「変分原理」という物理学用語で語る。時間の流れる向きや因果律というものが、科学的には自明なものでない(少なくとも議論の余地がある)ものだということの認識と、トラルファマドール的観点からの人生の物語の結びつき。片方だけでは、この感動あるいは衝撃は生まれないのではないだろうか。そういえばイーガンの「しあわせの理由」もヴォネガットの再話といえないこともない。「ゼロで割る」の衝撃も、数学的世界観の崩壊が人によってはどれほど深刻な衝撃をもたらすか、たとえ頭ではわかっても(この作品の善意あふれる夫のように)その深刻さを納得できない人も多いのではないか。世界観の壁は感情移入では越えられないどころか、悪化する場合もあるのだ。これってSFファンじゃない人にSFの本当の面白さを伝えられないようなものかも。魔法的原理が支配している「七十二文字」も、これはチューリング・マシンやノイマンの原理、そしてDNAの発見につながる情報論的世界の物語そのものである。考えてみれば情報の世界は魔法の(呪文の)世界なのであり、そして最近の宇宙論ではこの現実の宇宙も、どこかの書物に書かれた呪文あるいはどこかのコンピュータに書かれたプログラムの世界かも知れないのだ。「理解」はそのものずばり認識の変革を扱っているし(さらにこの作品はもちろんエンターテイメントとしての楽しさにもあふれている)、「バビロンの塔」の描写力もすばらしい。確かに(作者がいう通り)宇宙論的にちょっとした違いはあるものの、すべてはニュートン力学で理解できる世界なのである。「地獄とは神の不在なり」は文字通りの物語だが、この世界観にも圧倒される。ある意味「ゼロで割る」と同じ問題意識を共有しているように思える。天使が降臨し、天国や地獄の存在が自明な世界で、神の不在を認識するとはどういうことなのか。「顔の美醜について」はとても明快でわかりやすい物語だが、ポリティカル・コレクトネスを議論しているように見えて、実は自分が認識しているものとは何なのか、その不安が根底にあるように思える。「人類科学の進化」は――まあいいか。とにかく傑作短編集だ。

『星の破壊者 上下』 S・ウィリアムズ&S・ディックス ハヤカワ文庫
 銀河戦記エヴァージェンスシリーズの2巻目。これって、スペースオペラのシリーズというより、3巻本のひとつの長編だね。確かに1巻ずつ話はあるのだが、謎は次号に続くし、前の話の説明はないし。というわけで、本書だけ読むのはお勧めしない。1巻目を読んでおかないと、キャラクターが良くわからないだろう。読んでいてもちょっととまどうのだが。本書では前作であれほど活躍したケインがほとんど出てこないのでびっくり。あいかわらず衝動的な主人公にはついていけないものを感じるし、にもかかわらず(エンジンがかかってからは)ぐいぐいと面白く読めたのだ。物語に入り込めるまでちょっと時間がかかってしまうのが難だが。で、やっぱり完結編を読まないことには、エピソードは終わっても話が終わっていないのだ。

『地中生命の驚異』 デヴィッド・W・ウォルフ 青土社
 SFファンにもお勧めの科学書。3部に分かれていて、第一部が古細菌と呼ばれる新たな一つの「上界」の発見物語を中心に、生命の誕生における粘土の役割とか、ここ十数年の知見がわかりやすく解説されている。しかし、古細菌という名称は何だか「生きている化石」を思わせて、誤解を招く訳語ではないのかなあ。地球の全生命は細菌、古細菌、真核生物(この中に動物界も植物界も菌類も原生動物も含まれるのだ)の三つに分けられるというものなのだから。第二部はミミズやカビ、細菌など地中世界に広がる広大な生命世界の物語。空中窒素固定の話もある。ここも面白い。第三部は生態系の破壊や表土の消失など現代の世界に関わる問題への警告。しかし、「条件付き楽観主義」という著者の姿勢はとても好ましく、共感がもてる。環境問題はほっとけばそのうち解決するような問題ではないが、かといってニヒルになっても仕方がなく、理性を信じて科学的に対応していかなければいけない問題である。経済性も無視してはならない。遺伝子操作した生物を用いる方法についても著者は(危険性を認識しながらも)あり得る解決策として考えている。とかく環境問題というと極端に走りがちだが、著者のまさに地に足のついた議論の仕方は納得ができる。本書で面白かったこと。生命の発生は暖かい浅い海ではなく、熱い地中の粘土層か、深海の熱水の噴き出し口あたりだった。有名なユーリーの実験は地球の太古の環境を再現してはいない。粘土遺伝子。水の沸点以上で元気な生物がいる。地下の無機栄養微生物生態系を略してSLiME(スライム)という。他の惑星でも地下こそ生命のすみかとしてふさわしい。77年のウーズの革命(rRNAによる系統樹見直し)。系統樹の根元の方は入り乱れている。ツリーというよりネットワークになっている。それは水平遺伝による。「食べたもので自分が決まる」方式。気体の窒素は不活性で空中窒素固定細菌に地球上の生物は頼っている。それに使われる酵素ニトロゲナーゼは全地球に数キログラムしか存在しない。地下の菌類は植物の根と共生して巨大なネットワークを構成している。ミシガンのある森ではフットボール球場数個分の広さに広がる約1500歳の巨大な一つの生命体である菌が発見された。その重量はシロナガスクジラに匹敵する10万キログラムと推測される。みんな「へぇ〜」だ。

『アマチャ・ズルチャ』 深堀骨 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 SFマガジンに掲載されていた時はあんまり気にしていなかったのだが、まとめて読んでみて、おーっといった。これはぼくの好みだ。帯にはスタージョン、ラファティの名前があるが、ううむ、これって落語SFですな。何より文体が気持ちいい。もっとも上方風ではなくて、江戸前っぽい。作者は66年生まれ……ええっ、そんな若いのか。いや、若くはないかも知れないが、ぼくより年上かと思ったもんで。いえ作中の話題がね。古いTV番組とか。芝刈天神前という場末の人々にまつわる奇怪なお話。北野勇作とも通じるものがあるが、北野勇作の描く町は同じようにうらぶれた下町で、住人もタヌキだったり火星人だったりしても、そこの人々は今のぼくらの現実と地続きで、だから懐かしさがキーワードだったりするのだが、深堀の町の人々はもっと抽象的というか、お話の中の人物という感じがする。確かにラファティを思わせるところもあるし、落語やホラ話、講談や漫才の人物に近いものがある。今風なバカ話じゃなくて、もっと古典的な感じがあって実際ぼくの好みです。哀感の漂う「隠密行動」、「飛び小母さん」や「愛の陥穽」、時代劇の「闇鍋奉行」などが特に面白かった。

『意識とはなにか―〈私〉を生成する脳』 茂木健一郎 ちくま新書
 なぜ脳という物質のふるまいに伴って、私たちの意識が生まれるのか? という疑問を考える著者は、心と脳の関係を研究している物理学者で、ソニーコンピュータサイエンス研究所の人。イーガンやチャンを読んだ後、科学者はそれをどう考えているのか興味が出て買ったのだが、うーむ、期待したのとはちょっと違う本だった。意識がどのように物理的存在から立ち現れてくるのか、何か新しい知見はあるかと思ったのだが、ここに書いてあるのはそういうものではなく、何て言うか、著者のよって立つところを確認し、宣言するといった感じのものであって、著者が真剣に考えていることはわかるのだが、だからどーなの、となってしまう。えんえんと書かれているのは「クオリア」すなわち意識の中で〈あるもの〉がまさに〈あるもの〉として感じられること、その不思議さ、ということである。特別目新しいことが書かれているわけでもなく、まあ、「クオリア」がコンピュータでいう「オブジェクト」に似ているなあ、とか、〈あるもの〉が〈あるもの〉として感じられるのには「生成」というダイナミックな働きが必須だとか、そのあたりは面白く読めた。途中まで、こういう〈私〉の意識の問題は従来の科学的世界観では扱えないみたいな論法があって、おいおいトンデモ本かよと思ってしまうところだった。しかし後半では踏みとどまって、むしろ機能主義をとことん深く追求するところから謎への手がかりが見いだせるはずだと宣言している。ほっとした。でもそれは別の本に譲られていて、本書では宣言に終わっている。だからやっぱり期待はずれなのだった。

『目を擦る女』 小林泰三 ハヤカワ文庫
 怖い表紙だ。でもぼくの感覚では、本書はホラー短編集ではなくて、紛れもないSF短編集。大体表題作からしてSFだ。7編がどれも面白いのだが、「海を見る人」系列のストレートなSFである「空からの風が止む時」がいい。これがあの長編につながるというのが意表をつくのだが。でも一番すごかったのは「予(あらかじ)め決定されている明日」だ。この話が「小説すばる」に載ったというのもすごい。仮想現実の世界も現実の世界も変わらないというというテーマはイーガンはじめSFでは良くあるといえるのだが、仮想現実というのはコンピュータの中で計算された世界である、とわれわれは認識しているはずだ(いや、本来の…昔の…仮想現実は、われわれの生きている脳が、コンピュータの中の世界をインタフェースを通じて現実のように認識するというものだったが、いつしかクラーク/ステープルドン流の精神生命と合体して、コンピュータの中に自我がダウンロードされ、あるいは自然発生して、それが感じる現実世界という意味も含まれるようになっている。ここでは後者の意味だ)。ならば、そろばんとメモ用紙でも、紙と鉛筆でも同じことのはずだ、という発想がひとつ。これはバカなアイデアでも何でもなくて、情報というのはそういうものなのだから、全く正しいのだ。もうひとつは、実は計算しなくても答えはあらかじめ決まっている、πの100億桁目の数はそこまで計算しないとわからないが、でも実際はその数値は計算しなくても決まっているはずだ、であれば仮想世界はあらかじめ決定されているというもの。でも実はここにはトリッキーな問題が潜んでいる。ラッカーみたいにヒルベルト空間を出しちゃうと、それはもう何であってもあらかじめ決定されている世界なわけだけれど、不完全性定理で、単に計算しているだけではその全てには行き着けない。また一方では、すでに計算の終わったものについては、もう一度計算しなくてもデータとして存在するわけ(表引きで解決できる)だから、何か名前をつけて置いておける。ここらあたりから計算の理論やらエントロピーやら色々出てきて、もうぼくにも何が何だかわかりません。でもとても深い話がここには潜んでいることがわかる。やっぱりイーガンだなあ。


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