表紙の窓からピンクに見えているのは、鉄腕アトム「電光人間の巻」。これが掲載されたのは1955年1月の「少年」です(もっとも、ピンクのアトムは中国簡体字版)。
本書の標題そのものは、TVアニメ(1963年版)の主題歌から採られていますが、作者が言及するアトムは、月刊雑誌「少年」に掲載されていた50年代アトムそのものです。現在のアトム(2003年版)を旧アトム世代が批判するのと同じように、「少年」アトム世代はアニメを批判していたわけですね。「アトム赤道をゆくの巻」では、法の制約でロボットには出国の自由がないことが言及されています。本書の主人公は、そのロボットと自分の運命とを重ね合わせているのです。
(「アトム赤道をゆく(海蛇島)の巻」1953年8月より)
主人公が中国に密航する1968年といえば、3億円事件、金嬉老事件が起こった年ですが、主人公が言及するのは新宿騒乱事件や、東大紛争です。中国の文化大革命は1966年に始まり、パリの5月革命や、68-69年に世界中の大学で起こった反戦占拠事件に影響を与える大事件でした。
主人公も、そんな大学紛争の混乱の中、警官に対する殺人未遂で追われ、文革の中国へと旅立ちます。しかし、中国でも初期の紅衛兵運動は力を失い、彼は下放された田舎村に取り残されます。バスの便どころか、川には橋もなく電話も電気さえもない村、しかし、30年が過ぎる間に、電気が通り橋が架かり、妻は遠く広州に出稼ぎに出て音信が途絶えます。彼は、蛇頭を探し出し、日本へと密航を企てます。30年前の世界から2001年(同年の五島プラネタリウムの最終投影日の様子も描かれている。ただ、年代はやや曖昧)の日本へ。
主人公が出会うのは、会社組織ヤクザの親分となっているかつての親友、地上げされ店晒しの実家、中国ヤクザとのいざこざ、幼い時に別れた妹、老いたスターたち、脈絡なく(見える)異様に成長した東京の街並みです。
本や映画が重要なファクターにもなっていて、ヴォネガット『猫のゆりかご』(妹が荷物に紛れ込ませた本。中国農村の農作業の合間に読む、“恐ろしく馬鹿げた”SF)、ケストナー『点子ちゃんとアントン』(日本を離れる最後の日に妹に贈った本、帰国後に存在証明を探すため、また買い求める)、バーホーベン『スターシップ・トゥルーパーズ』(帰国後に初めて見た映画、奇妙なむなしさに襲われる)、中国語版アトム(街中で中国語CMソングを歌う子どもと遭遇。10万馬力のパワーを持っているのに、国家に束縛され自由ではないアトムは、本書でも重要なファクターとなっています)。その他、反秩序の象徴として現れる長島の話題や、強烈な反権力/反警察意識(お互いを憎みあった全共闘世代の特質)が、物語の背景に流れています。
作者は1950年に生まれ、この主人公の生きた時代=作者の体験した時代といえます。しかし、たとえ、時代の変化を経時的に見聞きしたとしても、価値の変貌は単純に了解できるものではありません(たとえば、権力の中枢にいた弾圧者、アメリカへの追従者と思っていた佐藤栄作がノーベル平和賞をとったという矛盾)。
さて、本書に通底する物語は、『星からの帰還』(スタニスワフ・レム)かも知れません。星間飛行の相対時差で、127年後の未来に帰ってきた宇宙飛行士たちは、まったく異質の文明になじめず激しく苦悩するのですが、変わらないものを見つけることでようやく落ち着きを得ます。本書の主人公も、中国に戻ろうとします。彼は30年を捨て去るのではなく、30年のうちに得たものに、ふたたび価値を見出そうとするのです。
|