みだれめも 第160回

水鏡子

 


 スタージョン「成熟」、イーガン「しあわせの理由」「適切な愛」、チャン「理解」「顔の美醜について」。これに「アルジャーノンに花束を」を加えてみると、メディカルSF(というより医学的処置によって日常性が変容していく患者SFというべきか)には、一般性(社会性)の高い、とんでもなく良質の作品がごろごろしているのがよくわかる。クーンツの『ウォッチャーズ』もこの系統に含めていい。テーマ的に通底する秀作の載った短編集が、同じ時期に本屋の棚に並んだわけだ。

 『しあわせの理由』を読みながら、グレッグ・イーガンの売り出し方はまちがったのではないかとも思った。
 巻頭に載った「適切な愛」は<社会的衝撃度>においてイーガンの作品中でもピカイチだ。医学の進歩と経済の論理のなかで、ないと断言しきれない異形の未来。それもへたをすると十年くらいでありえてもおかしくないと思える世界。
 この物語を入り口に、作品内容を特化し、「貸金庫」や「キューティ」「ぼくになることを」「愛撫」「血をわけた姉妹」あたりをいれて「しあわせの理由」で締める。ハードカバーでブロックバスターを仕掛けたら、ふだんSFなど読まない、とんでもなく広範な支持者を獲得できたかもしれない。それくらいこの系統のイーガン作品は、現代社会の先鋭的な問題意識を共有している。
 巻頭「適切な愛」と巻末「しあわせの理由」のコンビは最強の組み合わせといっていい。どちらもずば抜けて鮮烈な傑作である。その強力ラインナップが、本書の場合、ちょっと裏目にでたかなという気がする。イーガンの全容を提示しようとするバラエティに富んだ作品選択が、このコンビが作り出す強烈な感動に水を差すかたちになった感がある。短編集としては、テッド・チャンの方を上位に置きたい。
 個々の作品については、(1)「やさしさの理由」(2)「適切な愛」(3)「移相夢」(4)「愛撫」といった順。

 イーガンの影響を公言するように、テッド・チャンの興味の方向はグレッグ・イーガンと重なりあう。興味の方向が重なりあうだけに、ふたりの作家の小説作法が対照的なのが、続いて読んだせいもあり、くっきりきわだった。
 グレッグ・イーガンというのは、書かれている内実を伝えたい作家であるのだなということに、はじめてのように気がついた。イーガンが伝えたいもの、それは作り出した世界であり、世界に対するヴィジョンであり、核となるアイデアであり、現実世界に対する問題意識であり、伝えるという行為を通じて裸の自分を読者につないでいきたいという意志がある。意外と赤裸々なところがある。
 テッド・チャン『あなたの人生の物語』は、なによりよくできた<おはなし>を差しだしたいという小説のありかただ。もちろんヴィジョンも問題意識も小説のなかに反映されている。けれども、それらは伝えることを目的に使用されたものではない。作品世界を堅牢にしたてあげるために必要とされた材料だ。テッド・チャンはなにかを伝えたくて小説を書いているわけではない。できあがったものを差しだしたくて小説を書いているのだ。自分を晒すことに警戒感があるともいえる。
 ふだんは気にすることのない小説作法の部分だけれど、たまたま二つを読み比べたらそんなふうにちがいがみえた。
 それにしても粒が揃った短編集である。<おはなし>であることが目的だから、イーガンみたいに作品の方向性が問題になることもない。そのぶん内容が濃い割には、マイルドなテイストにまとまっている。(1)「七十二文字」(2)「あなたの人生の物語」(3)「顔の美醜について」が、ぼくのつけた順位。魔法工学系SFに弱いぼくの急所をずばり突いてきた「七十二文字」だけど、過去に読んできたこの系統の作品中でも最高峰に位置する。この系統の話は、どんなに出来がよくても、もったいぶった作品の後塵を拝し、なかなか賞をとれない。この話に年間読者賞を与えたSFマガジン読者層というのはえらいと思う。タイトルも地味だしね。カリスマ的雰囲気のあるタイトル「あなたの人生の物語」に表題作をゆずられるのも当然であるが、話の挌はけっしてひけをとっていない。「顔の美醜について」には、某翻訳家もぼやいていたけど、なんでぼくより二回りも年長の訳者がこんなに若やいだ訳文を書けるのだろうということも、読みどころのひとつとしてあげておきたい。

「幽霊というのは方便です。見えないモノは説明しがたい、だから見えるように形を与えて説明した、それだけです。あれは子供が絵に描いたお陽様のようなものです。円の周りに棒線が幾つも引いてある絵です。それを捕まえて科学的に解釈したりする馬鹿が現れると、心霊科学のような手の付けられない程愚かな擬似学問が生まれてしまう。心霊科学というのは、太陽の周りに棒が何本あるのか望遠鏡で数えるようなものですよ」(692ページ)
 この言い回しはすごいなあ。おぼえておこう。昔からある言い回しなのか京極堂オリジナルなのか。いずれにしてもすごい。
 今回は、儒教の教科書となった京極堂最新作『陰摩羅鬼の瑕』。むりやり京極堂を引きずり出そうとしたような関係者の連鎖、『鉄鼠の檻』と同じ建築家の設計による大豪邸など、『宴の始末』で姿をみせた仇役の作為に見える気配があってかすかに反感が甦るところもあるけど、気の回しすぎだろう、たぶん。
 これまでのに比べるとわりと地味な事件。意外性もそんなにないけど、あいかわらず勉強になった。


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