内 輪 第154回
大野万紀
ゲームボーイアドバンスの「MOTHER1-2」を買いました。ファミコンでやって印象深かったゲームです。さすがにこの年になるとゲームボーイアドバンスの小さな暗い液晶画面ではやってられなくて(子供たちは平気みたいですけど)、テレビdeアドバンスという怪しげな機械を買ってTV画面に表示してやっています。本来はゲームキューブにゲームボーイ用のアタッチメントを付けてやるのが正しいのでしょうが、わざわざゲームキューブを買う気にはならないし。で、このテレビdeアドバンス、まあ満足できるものなのですが、さすがに怪しい周辺装置だけあって、ゲームをしていると突然画面が赤くなったり、表示がおかしくなったりします。これはぼくの取り付けがまずかったのかとあせったけれど、普通はちゃんと表示されていて、本体にちょっと力を加えると直ってしまう。昔の家電品の、たたけば直るノリですね。こつがわかったので、このままでも何とか楽しめそうです。MOTHERは1からやっているのだけれど、さすがにファミコン時代のRPGですね。操作性の悪さ、ゲームバランスの悪さは昔のままです。でもすごく面白かった記憶があるからなあ……。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『キャラクター小説の作り方』 大塚英志 講談社現代新書
ベストセラーだそうだが、小説家志望の人がそんなに多いとも思えないのだが。キャラクター小説というのは「スニーカー文庫のような小説」ということである(本書の基になった文章は角川の「ザ・スニーカー」に連載された)。いわゆるヤングアダルト、ライトノベルのことですね。ぼくら、おじさんたちが気にはなってもなかなか突っ込みにくい分野だ。でも本書に書いてあることは実はもう少し広く、虚構あるいは仮構の「現実」の中に仮構の「私」を描く、自然主義的でない「文学」と捉えられている。だからSFやファンタジーとも親和性が高い(もっともSFには同じような構造を持ちながらキャラクター小説ではない小説というのも存在するので、ややこしいのだけれど)。書いてあることにはおおむね納得できる。むしろSF読みとしては当たり前に思えることが多い。一方、本来のキャラクター小説(スニーカー文庫のような小説)を書こうと目指している読者に対しての「実用書」としての部分は、とても具体的で、昔の色々な「マンガ家入門」を思い起こさせて面白かった。著者が方法論に自信をもっている時、こういう本は面白くなる。編集者的にはちょっと待って、といいたくなるところもあるだろうが。困ったことは、ぼくが著者の「サイコ」を読んでいないということだな。
『自由を考える 9.11以降の現代思想』 東浩紀・大澤真幸 NHKブックス
なかなか刺激的な対談集である。オタク文化を語る時の東浩紀には、なるほどとは思うものの、どこか違和感をも感じていたのだが、セキュリティ社会の中での自由について語る本書では、より広い視点で論じられていることもあるのだろうが、共感できる点、じっくり考えてみたいと思う点が多かった。「大きな物語」の喪失した世界(すなわち現代)についての議論であるが、あくまで一人一人の個人をたばねる普遍的な哲学についての議論なので、わかりやすい。オタク文化というとどうしてもボトムアップにしか語れない面があって、そうすると立場や経験の違いによってボタンの掛け違いのような、微妙なベクトルの違いが累積して、それは違うだろうということになりやすい。実は同じ問題について語っていたとしても、まるで違って見えてしまう(たとえば「動物化」という言葉の見え方など)ことがある。その点、インターネットでのプライバシーと自由だとか、テロとの対峙だとか(池田小学校での無差別殺人だってテロである)、まさに現代にとってとても重要な問題であり、しかもわれわれ日常に生きる一人一人にとっても決して無視できない問題についての議論であるから、切実に感じられる。マスコミで声高に論じられる「プライバシーの権利」だとか「知る権利」だとかではもはや現代の自由を考えるのに有効ではないのだ。簡単に回答の出ない問題について、どこから考え始めればよいのか、ヒントを得られたように思う。使われている用語はかなり難解だが、問題が具体的なので議論について行くことができた。
『どうぶつ図鑑 その3かえる』 北野勇作 ハヤカワ文庫
どうぶつ図鑑の3巻は「かえる」だが、もはやタイトルと内容はほとんど関係なし。演劇にからむホラーが2編と、狐が化かす怖い話、そしてカフェで働くかめのカメリが出てくる話の第二話(ここにかえるらしきものが出てくるなあ)、それからショートショートの「生き物カレンダー」である(この一編にもかえるが登場)。カメリの話が短いけれど楽しい。カメリは行列のできるケーキ屋さんにケーキを買いに行くことにしたのだが、これがなかなか一筋縄ではいかないのだ。
『どうぶつ図鑑 その4ねこ』 北野勇作 ハヤカワ文庫
そして4巻は「ねこ」。これまでに比べればやや長めの3編が収録されている。「手のひらの東京タワー」はSFだ。怪獣に襲われる東京という風景が、記憶の中の箱庭のように、バグったメモリー空間のどこかに存在している。これもまた北野ワールドの、もやもやとした懐かしさを備えている作品だ。「蛇を飼う」はあまり怖くないホラー。「シズカの海」は何とあのアニメのちょっと怖い裏話としても読めるのだが、むしろアポロが月へ行った時代の思い出と気分、そして記憶に関わる物語である。ここには確かにねこが登場しているのだが。えっ、ねこ?
『呪禁局特別捜査官 ルーキー』 牧野修 祥伝社NON NOVEL
科学より魔術が技術の原理として重要になった時代の物語。で、『呪禁官』の続編。前作は牧野修の「ハリー・ポッター」だと言われたが、今回、主人公のギアはもう学校を卒業している。しかし、本書のタッチはどちらかというとホラーやサスペンスというより(もちろんそういう要素は大きいが)、ギャグSFである。なにしろ中心にあるのは〈科学戦隊ボーアマン〉対〈サイコムウ〉のちょっと茶番な闘いであり、前作の女教官龍頭は(性格はそのままで)ローティーンの美少女になって現れる。まるで翻訳ソフトの出力文みたいな汎用魔術言語スペルズもおかしいし、語尾が「〜にゃ」や「〜じょ」となる変な女も出てくる。残酷でえぐいシーンも盛りだくさんだし、友情や裏切りもあり、これを牧野修もこういうの書くんだねーとみるか、いや、これこそ牧野修だと見るのか。よくわかんないじょ。でもひたすら面白く読めた。
『吹け、南の風 1』 秋山完 ソノラマ文庫
ようやく完結したので読み始めた。本書が出たのは2001年末。3巻目が出たのはつい最近なので、まる2年半かかったわけだ。しかも1巻目、2巻目は短く、3巻が分厚い。これを出てすぐ読んでいたら、ちょっとつらかっただろうと思う。本書は作者がずっと書き続けている未来史の中で「無邪気な戦争(シリー・ウォー)」と呼ばれる重要なエピソードを扱っている。”民主帝国”〈連邦〉の美しく恐ろしいお嬢様、ジルーネ姫が、アナーキーな〈トランクィル廃帝政体〉を相手の大戦争を開始する、その前夜の話だ。しかし本書では緊張は高まっているものの、〈連邦〉の属国であるムエルト帝国の通商破壊に赴く”海賊船”の物語が中心となっている。トランクィル廃帝政体の命を受けて、海賊船〈フリーゲンデ〉に乗り組んでいるのはひと癖もふた癖もある連中ばかり。艦長は健忘症の青年、コムカタで、とても海賊船の艦長が務まる感じではないのだが……。
『吹け、南の風 2』 秋山完 ソノラマ文庫
2巻目は2002年の4月刊。本書では、〈フリーゲンデ〉のコムカタと、彼らが襲撃した独立商船〈ゼンタ〉号の女船長ティダとの因縁が語られる。いや、それはそれで面白いし、いいのだけれど、本筋はなかなか進まない。本書はイラク戦争前に書かれているのだが、読者はどうしてもあの戦争のことを思い起こさずにはいられないだろう。
『吹け、南の風 3』 秋山完 ソノラマ文庫
3巻目が分厚い。だがしかし、本筋についてはあまり物語が進んだ気がしない。ジルーネお嬢様はとんでもない恐ろしいことをやってのけるし、〈フリーゲンデ〉と〈ゼンタ〉の話ははらはらどきどきで読み応え充分であるのだが……。なんだか焦点があっていないというか、わざと外されているというか……。本書の分厚さは饒舌な文章のせいでもある。まあ、それはそれで作者の個性だからいいともいえるのだが。しかし、つまらないエピソードの描写に何ページもつかうのは良くないと思う。戦争に対する作者の思いはとてもストレートに描かれているのだが、どうしたわけか、それを深めることはなく、棚上げされてしまう。本当の戦争が本書の執筆に影響を与えていないはずはないと思うのだが、そして作者はこの物語に託して語りたいことがいっぱいあると思うのだが、そこで中途半端に韜晦してしまう。エンターテイメントに徹するのか、シリアスに語るのか、あまりバランスがよろしくない。戦争は起こらず、物語は終わらず、すさまじい数の虐殺された人々には語られる言葉もない。いっておくけど、とても面白く読んだのだ。迫力もあるし、エモーショナルな面もしっかり描かれている。SF的な大道具、小道具もそれらしく書かれている(でもハードSFじゃないんだから、もっとあっさりしていてもよかったのに)。だからこそ、個性的でありながらステレオタイプな登場人物たちや、その饒舌さ、地の文でのちぐはぐさが気になってしかたがないのだ。
『マルドゥック・スクランブル The First Compression 圧縮』 冲方丁 ハヤカワ文庫JA
うぶかた・とうと読むのだね、難しい名前だ。あちこちで評判になっているが、確かに新しい才能を感じさせる傑作である。ヤングアダルト畑の出身ということで、そちらの作品は読んでいないのだが、本書からはむしろ日本のヤングアダルト小説よりも、アメコミのスーパーヒーローもののテイストを強烈に感じる。スピード感があって、迫力のあるハードな(でもユーモアや痛いくらいの心理描写もある)文章は、とりわけ後半のアクションシーンでそれが炸裂しているが、久々に読むことでビジュアルに興奮させられる体験を堪能した。質量保存則はどうしたなどという野暮な突っ込みはもはや意味が無く、スーパーヒーロー(本書ではスーパーヒロインだ)の誕生をわくわくしながら見守ることができた。ネズミが相棒というだけでもポイント高いし。ただし、本書は同じアメコミでも、のーてんきなスーパーヒーローものではなく、暗い過去をひきずる、社会的視点を持った
重いテーマを内包した作品である。ヒロインとなる少女の重い過去と、それに対する社会の視点との断絶が、前半部分では絶望的なほどに厳しく描かれ(それはちょっと変わったヒロインに「萌える」という(男性)読者をも断罪しているかのようだ)、真ん中あたりで、ちょっとほっとさせながら、その後の裁判シーンで何も解決などしていないことを見せつける、作者の冷徹な視線がある。だからこそ超絶的なスーパーヒロインやその相棒に存在感があるのだ。そして最大のテーマである、武器とその使い手というテーマ。科学技術の双面性とパラレルな、まさにSF的テーマである。さらに、その重いテーマが作品のスピード感やエンターテイメント性を壊さないだけのバランス感覚。卵やルイス・キャロルに関する言葉遊び的な扱いも、普通なら鼻につくところがあまり気にならなかった。これも作者の揺るぎないバランス感覚によるところだろう。早く続きが読みたい本がまた増えてしまった。
『デス・タイガー・ライジング 1 別離の惑星』 荻野目悠樹 ハヤカワ文庫JA
作者が書き続けている宇宙史(というか、同時代を舞台にした背景の同じ作品群)の一つらしい(いや、他の作品が未読なもので)。二重太陽系の片方の惑星が〈夏〉というカタストロフに見舞われることとなり、もう一方の惑星に移住しようとしたが断られ、宇宙戦争になるという背景がある。どちらの惑星にもおそらくは人類の子孫と思われる人々が20世紀風な文明を築いている。攻撃側は、古代文明のテクノロジーを宇宙船の推進に使い、また人体改造して超人的な戦闘能力をもつ特殊部隊を作り上げている。といった背景は、こういっては何だが、いかにもアニメの設定っぽい感じがする。本書の前半はとにかく古風な恋愛ドラマが延々と続き、後半では特殊部隊に選抜され、ある意味人間ではなくなってしまった彼と、軍医として戦争に志願した彼女のそれぞれの闘いと出会いのドラマとなる。いや、別にそれが悪いわけじゃないし、この世界になじんだ人には色々な楽しみ方もあるのだろう。けっこう読み応えもあると思うのだが、ぼくの好みには合わない作品だった。