みだれめも 第157回

水鏡子

 


『戦中派闇市日記』山田風太郎
 風太郎日記昭和22・23年版である。巻頭のGHQ主導の機構改革で慌てふためく医科系大学のドタバタが悲痛かつ滑稽で、いかにも風太郎らしい二重性と距離の取り方をうかがわせて面白い。前年の「達磨峠の殺人」のコンテスト受賞を経て、業界デビューした直後の時代だけに、これまでとちがう面白さがある。文芸趣味は基本的に国文とフランス中心の印象だった人が、業界デビューに合わせて英米ミステリに傾斜していく。
 後半(昭和23年)になると、執筆に追われて読書量が激減していくけど、映画の方は見つづけている。前期忍法帖の印象は、ぼくの場合東映時代劇と重なるのだけど、それが正しいかどうか、今後の日記が楽しみだ。
 正直『戦中派不戦日記』を初めて読んだときの衝撃はない。こういう言い方は不遜かもしれないし、あるいは『戦中派不戦日記』の時代において既に完成されていたというべきか、この若き時代でありながら、年齢にあわせた氏の成長が感じられないのだ。
 日記自体も、執筆意欲が本業となった小説にとられて、ほんとうのメモ、覚書の類になっていく。業界に興味のある人間にとって、垂涎のメモではあるけれど、メモはメモだ。続編『戦中派動乱日記』の近刊予告もますますもって楽しみだけど、興味の方向が覗き趣味に堕してきていることは否定できない。
 ひとつ気になることがある。
 日記の中身が清廉すぎる。無削除版なのだろうか。

『阿修羅ガール』舞城王太郎
 『バトルロワイアル』や『スイート・リトル・ベイビー』に対する〈良識人〉の選評に腹を立てたのは、作品評価にモラルを持ち込んだからではなくて、ぼくとしてはどちらの作品もぼくの納得のいくところでモラルと折り合っていると感じたからだ。小市民性向の人間として、エンターテインメントの大衆性と倫理規範は支えあうものだという点で、〈良識人〉と意見を異にしているわけではない。要は彼らのモラル意識の偏狭さにがまんができなかっただけである。
 インモラルな小説にはたぶん三つのタイプがある。通念秩序を破壊する快感に身を委ねる苛虐快感型、嘘ごとであるモラルに対する根深い怒りに誘発された価値紊乱型、現実を反映させた嘘ごとにならないモラルのあり方を模索する再構築型。(ただし『バトルロワイアル』や『スイート・リトル・ベイビー』はそもそもインモラル小説ではない。少なくとも『バトルロワイアル』を律しているのはモラリズムである)
『阿修羅ガール』はきらいだ。
 おそらくここにもある種のモラルは存在する。けれどもそれはぼくの小市民的感性の枠をはみ出したものであり、インモラルに見える。タイプとしてさっきあげた三つのうちの価値紊乱型か再構築型か、見定めきれない。いわゆる文学を標榜するに足る根深さみたいな感触はたしかにあって三島由紀夫賞受賞という〈評価〉についてはなるほどと思うところもあるけれど、作品評価以前のところで、ぼくはこの話がきらいだ。
大野万紀に回していた『スカーレット・ウィザード』が還ってきたので、しまう前にパラパラしていて、そのままつい全巻、さらに『暁の天使たち』の出ているとこまで読み返してしまった。やっぱり相当気にいっている。その理由のなかに「モラリストとしての茅田砂胡」という部分が大きな比重を占めていると、今書きながら改めて思った。

『THE ZOO』リチャード・カリッシュ
 講談社から聞いたことのない作者の長編がふたつまとめて出た。ひとつは双子の話らしく、ひとつは『動物農場』ふうの話。なんなのかなと思いながら、『動物農場』ふうの話の方を読んでみた。
 倦怠感が蔓延し出した動物世界に危機感を感じた支配者層は、老賢者アウルの言を入れ、知性、精神性、芸術性に富んだ動物たちを非動物として、〈動物園〉に収容する。さまざまな思惑が入り乱れるなか、収容対象となる動物はどんどん拡大していき・・・。
 あてこすりが露骨過ぎるといった非難はそのとおりだけれど、オーウェルの作品にはドラマと力強さがあった。こちらの本はじつに物語も寓意もともに平々凡々で、最近読んだ本のなかでとびぬけて退屈だった。

『七姫物語』高野和
 第9回電撃ゲーム大賞金賞受賞作。群雄割拠の東洋風異世界で、孤児の女の子を先王の忘れ形見として擁立し、天下を狙う武人と軍師。その物語を偽姫の女の子の目線で描く試みで、人物配置を見るかぎり、序章的位置付けの作品である。体言止めを多用した女の子の口調はうまいかへたかといえばへたではないかと思うけど、いい効果を出している。複雑な世界の奥行きや人間評価を総体的に描写せず、12歳の少女の会話や追憶のなかの断片で浮かび上がらせる手法はうまい。構成とかは粗も多いが、魅力的。人物設定に味がある。ほのめかされた裏設定が、どう小出しにされていくか、続編が楽しみ。

SFマガジンが面白い。6月号の「スプロール・フィクション」、7月号の「リアル・フィクション」と勝手な名前をつけて、SF周辺領域を、拡大していくSFの最前線として再既定していく、なかなかに攻撃的な精神が垣間見える。これまでのSFマガジンの特集には、ジャンルの時空の構図を見極めようとする静的学究的な気配があったが、この2特集はもっと積極的で動的で領界侵犯再構築の意思がある。あー、ちょっとほめすぎ。単なる偶然、たまたまみたいな気もする。ただ、これがJコレクションの成功に端を発した自信の現われだとしたら、しばらく期待していいような気がする。
 7月号、三村美衣「ライトノベルズ25年史」がよく出来ている。引き伸ばして100枚くらいの総論にして、各種各論を配して、本1冊にしあげてほしい。
 6月号の「スプロール・フィクション」、7月号の「イラク戦争とSF作家たち」とこのところ文章に一段と磨きがかかっているのが小川隆。60年代世代論を背景に現代アメリカ文芸を俯瞰する姿勢にぶれはなく、ここ数年の社会情勢が温厚な闘志に火をつけた感がある。個人的に一読をお勧めしたい文章は、ちょっと古くなるけれど、2000年に刊行された『ファンタジイの殿堂 伝説は永遠に(2)』の解説「ファンタシイの世代」である。60年代の理想主義を現代ファンタジイの源流とする説得力ある文章である。


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