みだれめも 第156回

水鏡子

 


なにげなく書いたのだけど、「存在論ファンタジイ」と「制度論的小説」を対置してみたのは、じつは初めてなである。
 たまたま対置してみたら、おもしろいものが見えてきた。昔からSF一番の醍醐味は「宇宙論/存在論ファンタジイ」と呼ばれるあたりにあると思っていたし、言ってきた。ベイリー、ワトスン、イーガン、レム、カルヴィーノ、ラファティ、小松左京、あげていくときりがない。けれども、「制度」という概念を間に置くと、宇宙論SFは、これは明らかに存在論の範疇から弾き出される。たとえば、小松左京やグレッグ・イーガン、バリントン・ベイリーなど科学主義に「汚染」されている作家の話は、存在論的テーマを扱っても、自動的に宇宙論SFにカテゴライズされる作品となり、逆に「コスミコミケ」なんかは宇宙論的体裁の存在論ファンタジイといってみるとすっきりする。ちょっと意外なのがハインラインやF・ブラウン、ロン・ハバートといった古めの大物作家たち。宇宙論SFよりも存在論ファンタジイの趣が強い。ハインラインの宇宙論SFってなんかありましたっけ。
 まあ、なんといっても「制度」という単語は「システム」の日本語訳なのである。このことを初めて知ったときというのは、わたしゃけっこうショックを受けた。でも、そう言い換えれば、この二つが厳然と分かたれるのも当然のように見えてくる。「宇宙というシステム」を立ちあがらせる物語という言い方はそれなりにしっくりくるけど、「存在というシステム」の物語という言い方にはなんかいかがわしさが残る。
 魔法というのは根本的に存在論ファンタジイに属するものである気がする。個人の資質と結びつきそのまま客体化されずに世界とつながっていく。それをSF作家たちは工学的思考を駆使し、制度化するのが大好きだ。本質的に相当に冒涜的行為でありながら、面と向かってだれからも非難されない行為である。
 「科学」を「魔法」と差し替えた世界というのはなぜかいつも愛くるしい。あいかわらずぼくの趣味。魔法のもついかがわしさが抜き取られ、世界がとんでもなく健全な雰囲気になる。「ファンタジーという犯罪者をSFという堅気の市民の足元に這いつくばらせる嗜虐的快感」とブラッドベリを引用して前に書いたことがある。「力があります。増えます。あたりますか。あたります。ハレルヤハレルヤ。力だ、出ました。出ましたね。ハレルヤハレルヤ」 魔法が科学に置き換えられた愛くるしさをこんな言葉に結晶させる。さすがに牧野修は鋭い。ちょっとゆがんだユーモア・センスはこの健全な枠組みのなか、ふだんになく広く受け入れられやすい普遍性を得ている。
 『呪禁局特別捜査官ルーキー』。『呪禁官』の続編である。評判のよかった前作をうわまわるできばえだ。オカルト社会の経緯と構造、科学の意味について喜々として薀蓄を傾け、霊的発電所の原理を自在に展開してみせる。『傀儡后』より小粒だけれど、SFとしてはこちらのほうが優れている。もしくはSFとしてがんばってるから、粒が小さくまとまったというべきか。「十二国記」の『図南の翼』がシリーズ中でちょうど同じ印象だった。

『ユービック:スクリーンプレイ』ディック自身による『ユービック』のシナリオ化。読みながらおぼろげに話を思い出したけど、ユービック・スプレーやランシターといった名前やイメージしか残ってなくて、細部はほとんど忘れていた。元の本よりストーリー・ラインが強調されているんじゃないかと勝手に思っているのだけれど、こんなやくたいもない千鳥足の話だったのかとちょっと意外。設定とか発想とかキャラとかは、ああこういう話だったよなと懐かしく思い返してきもちもいいのであるけれど、話自体は敵の正体をめぐる愚にもつかないひっくり返しをくりかえしながら、本来期待したかった巨大な権力闘争から撤退し、ある意味矮小なソウル・イーター・ネタへと縮かんでいく。
今、思い出した。
『ユービック』はぼくが初めて浅倉さんから戴いた訳書だ。そのとき書いた返事というのが、「これまでのディックにあった多面的な目配りを排して、物語をしぼりこみ、サスペンス味を濃くした話。『パーマー・エルドリッチ』を海外SFノヴェルズ、『ユービック』を文庫SFにした判断は適切」といった内容の文言だった。考えるまでもなく失礼な話である。そんな若造を寛容に取り扱っていただいたことのありがたみみたいなことは、自分が年をとってきて、はじめて気がつくようになった。

スペオペやアクション系ファンタジイの批評軸に、しばらく茅田砂胡は居座りそうだ。
 面白いね。小野不由美や上遠野浩平のときは、「結果的に」十二国記やブギーポップに近いタイプといった感想につながる可能性はあっても、おもしろさを比較検討する普遍的ものさしとして使用する気にはならなかったのに。
 遅ればせに読んだ、ショーン・ウィリアムズ&シェイン・ディックス『太陽の闘士』。「スカーレット・ウィザード」と比較してキャラが立たない。銀河文明の歴史や構成はがんばっているけど、読みながらの印象は、キャラの造形も含めて悪い意味でさかしらだ。ヴァーナー・ヴィンジより知的な印象なのだけど、それでかえってつまらなくしている。茅田砂胡の思い切りがない。並みの出来にはあるけどね。第1巻はチーム結成篇。このあと勢いがついていくかどうか。期待はもてないけれど失望することもなさそうだ。

 ここ数年、ここまで読んできているからしかたなしに続編を期待もなしに惰性で読む、それでも読むのをやめられないという意味ではけっしていやになったわけではない夢枕獏の長期シリーズいろいろ。
今年読んだ『餓狼伝(13)』『新・魔獣狩り(8)』いずれもテンションが戻ってきている感がある。次巻に期待。

 前評判上々の冲方丁『マルドゥック・スクランブル 圧縮』。3巻本の第1巻はとりあえず傑作。
 また読んどかないといけない作家がひとり増えた。


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