岡本家記録とは別の話(わが人生すべてのbit篇)

岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。4月は『 イエスのビデオ』、『アリス』、『わが愛の税務署』、『不死鳥の剣』、『ファントム・ケーブル』などを収録。

 ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。

MyLifeBits

 去年の暮れにちょっと騒がれ、今年になっても成果の発表が行われている、マイクロソフトのMyLifeBitsプロジェクトのことは、ご存知の方も多いでしょう。これが何かというと、人生のあらゆる行動を記録しようとする試みです。簡単なものでは、メールのやりとり。どんなファイルを扱ったのか、どんなビデオを見たのか、どんなWebを見たのか、誰と電話したのか、どんな話をしたのか。どんなスケジュール があり、誰と会ったのか、とかなんとか。これらすべてを電子的に記録しようというのです。プロジェクトのリーダーは、ゴードン・ベルという元DEC社副社長、VAXコンピュータの父(古い理科系以外の人にとって係わり合いのないことですが、このコンピュータのOSが今のWindows XPのベースになっています)にして、ビジネスよりも、 新奇な研究するのが趣味の、まあある種、研究オタクな人ですね。人生の“全記録!”、そんなことをしたら、莫大なデータ量だと思われるかもしれません。彼の研究では、一生のそんなデータも、1テラバイトで収録可能だそうです。この程度の容量ならば、あと少しで(民生用にも)実用化されるので問題なし。 もう、200ギガクラスのディスクが市販されていますからね。

 ということですが、もちろん反論はあるでしょう。そんなことして何になる(そもそも無意味)、から始まって、

  1. 記録したくないことだってある(恥ずかしい情報まで記録される)

  2. 秘密情報が記録されると悪用される(セキュリティ)

  3. 個人の行為を管理される恐れがある(国家権力の介入)

  4. そんな需要があるのか(ビジネス的価値)

  5. そんな自動的記録が物理的に可能なのか(技術的限界)

  6. マイクロソフトの独占意図が見え隠れる(MS陰謀説)

とかなんとか、凡そ当惑してるか呆れているというのが普通のようです。まあそうでしょうね。客観的に見れば、このプロジェクトは紙媒体が減り電子媒体が主体になった現在の、新しい(自動的)ドキュメント管理方法です。昔なら手紙や書類(文書)を保管することで、人の過去の行動を推測できました(たとえば、著名芸術家/政治家の心理を、後世になって書簡で分析する)。それを現在のテクノロジイで、“ちょっと”精密にしただけというわけです。もっとも初歩的なケース(かつ有用なケースかも)では、個人の所有するあらゆる文書/ビデオデータがデジタル化され一元管理されます。次に、手持ちの“実データ”(紙、ビデオ、CD等)が全て捨てられます。その次の段階が、全ての電子的記録になるわけで……移行はスムーズでしょう?

 でも、あらゆる人生が記録され、“人生のあらゆる瞬間が検索可能”というビジョンは、従来のSFでも電脳空間の中でしかできないと思われていました。もっと簡単に(程度問題かもしれませんが)実現できるのだとするとどうか。自分の10年前の今日、20年前の今日、昨日の同じ時間、今朝のある時間、すべての瞬間を見ることができたとするならどうか。

 人の記憶は都合よく作られています。心理的に不要な情報はどんどん欠落/捏造されていきます。写真も紙も、ファイルも消せばおしまい。残るのは記憶だけ。人生の記録なんて、そういう意味ではたいして残ってはいません。忘れることの重要性を説く人も大勢います。一方、すべてが残っているからこその、新しい意味が生じる可能性も出てきます。ちなみに、ゴードン・ベルは、過去をふり返ることは、人の生き方を謙虚にするのだといいます。過去に成し遂げたことなど、客観的にみれば何だってたいしたことじゃない。過去の全記録は懐旧のためでなく、未来のためにこそ活用可能だと。まあね、でも業績満載のベルにそんなことを言われたら、われわれの生きる価値などなくなってしまいますけどね。ただし、過去の汚点も、今から見ればたいしたことない、そう思えば有意義かも知れません。
 

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MyLifeBitsプロジェクト

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プロジェクトの概要(日本語)

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