みだれめも 第148回

水鏡子


 ヴァーナー・ヴィンジ『最果ての銀河船団(上・下)』(創元文庫)をなんにも考えずにレジに持っていって、2,600円を請求されたのには驚いた。文庫の値段ではない。買ったあとで改めて、厚みを見直し、まあしかたがないかとあきらめたけど、これもちょっとしたセンス・オブ・ワンダー。それにしてもこの長さ、読みきれるかなあと若干近頃の自分の根気を不安視しながら、ページを開いた。
 いやあ、杞憂でした。1,200ページが信じられないくらいすらすら読める。未知の惑星の支配権を争うふたつの種族が惑星上空で行なった戦闘の末、双方とも壊滅的な打撃を受ける。眼下の惑星(蜘蛛族)の文明化を待ちながら、何十年もの間冷凍睡眠シフトをとりながら生活していかねばならなくなった、人類種族たち。かろうじて勝ち残った側(悪役)の捕虜とされた側の人間たちが、惑星種族とコンタクトをし、ついに勝利を得るまでを、ドラマチックに肉付け豊かに描き出す。類型的だがそこそこに奥行きのある登場人物が織なす物語は、うざったくない程度に重厚で、超光速推進が発見されていない銀河文明、冷凍睡眠を駆使した、異色の交易文化を納得のいくかたちで呈示してみせる。長すぎるとも短すぎるとも感じない、やや平板さはあるもののけっして冗長ではない、まさしく適切な長さに仕上がった、ジャンルSFの伝統を受け継いだタイプとして望むべき最上に近い作品であると思う。

 文句をつける筋合いはほとんどないのに、それでも読みながら、没入できないものがこちらの気分の側に残った。ヴィンジに問題があるわけではない。あくまでこちらの側の気分の中だ。
 十代から二十代にかけて、読む本の大部分がアメリカSFだった。読書が擬似的な集団帰属行為であるというのがおりにふれて唱えている僕の見解のひとつだけれど、作家の気分を追走し、作家の想定している読者層に自分を重ねていくという行為を通じて、かれらのアメリカはそれなりにぼくの血肉になったはずだと思っている。そしてその時代、その世代の作家を通じて見せられた目線の先には、アメリカに対する誇りや愛着と同じくらいに強烈なアメリカ的なものに対する怒りや嫌悪の情といったものがあった。
 <ブッシュのアメリカ>は、たぶんそのころ彼らから教授された嫌悪すべきアメリカの見本であるように思える。そして『最果ての銀河船団』を読みながら感じた隙間風は、この本が<ブッシュのアメリカ>を「嫌悪しない人間たち」にもたぶん喜んで迎えられるのだろうなといった思いであったような気がする。そしてそんな人間たちと擬似帰属集団を構成することへの<嫌悪>というのが、ここ一年くらいの間にぼくのなかでかなり強く育っている気配なのだ。ヴィンジが<ブッシュのアメリカ>を好きかどうかは関係ない。あくまでこの小説を読む読者側についての話である。
 これはじつになげかわしい話で、アメリカSFを全部そんなものさしではかってしまうということになるのはじぶんでもいやだ。いやだといっても、気分の問題だけに根が深い。

 エドガー・パングボーン『デイヴィー』(扶桑社 1,714円)への絶賛も、じつはそんな気分からきた反動なのかもしれない。ここにはぼくの好きなアメリカがある。<ブッシュのアメリカ>を「嫌悪するアメリカ人」ならきっとこの本が好きであるにちがいない。そんな勝手な思い込みが、『最果ての銀河船団』を読んだ気分のもやもやをふりはらう爽快感と重なって、35年前のSFを今年読んだ海外SFの最高作といった評価につないでしまった。
 古色蒼然という声もちらちら聞こえるけれど、そんなことをいっていたらファンタジイやホラーなんぞは、新作だってもっと古めかしい道行き小説だったりする。それにたとえば『最果ての銀河船団』と比較して、いったいどっちが「若々しい」? だいたいロードノヴェルっていつの時代に書かれたものも意外とくさらないんだよね。最後に気に入った言い回しを引用。
「おれたちは、暗闇で一本の蝋燭を持った人間なのだと、おれは思う。確実性と権威の壁でその明かりを閉じこめてしまえば、その光はもっと明るく輝くかもしれない。それこそが牢獄に反射した光なのだ。
 おれは自分の光をこの手に携えて、夜の果てしない広がりの中を進んでいくんだ」(79ページ)

 上遠野浩平『あなたは虚人と星に舞う』(デュアル文庫 590円)
 扉返しに<ナイトウォッチ三部作>とある。これで完結かい。どう考えてもまだ隙間だらけだ。虚空牙がどんどん人間臭くなっていくのは困ったものであるけれど、短い容量の中で世界設定の説明の負担が減ってきた分、話のまとまりも好くなってきている。そのぶん設定に驚くことはなくなって、いたしかゆしであるけれど。

 突然、樹川さとみにはまった。えんえんドタバタすれちがいコメデイをやっているコニー・ウィリスを頓挫させて、1週間で20冊クリア。次回のメインは気が変わらなけりゃ『楽園の魔女たち』。 


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