続・サンタロガ・バリア (第8回) |
ケンペの「ザ・グレート」のCDはやっぱりすごい演奏だった。ハイスピードなテンポで一気に駆け抜ける。「天国的な長さ」と評されたこの交響曲がクライバーの振るブラームスの4番みたいに鳴る。第2楽章なんか弦がスパッと入るたんびに涙があふれる。シュトラウスの「メタモルフォーゼン」もすてきな演奏だ。もっとも一緒に買ったケンペがバックをつとめたネルソン・フレイレのグリーク&シューマンのコンチェルトはあんまり面白くない。フレイレはよく指の動くピアニストだが、ニュアンスが乏しい。そういう意味じゃキース・エマーソンやアール・ワイルドなんかとよく似ている。ま、エマーソンはそれだからこそロックで成功したんだろうが。だからこのCDのおまけに入っているリストの「死の舞踏(キューブリックが『シャイニング』のオープニング・シーンに使ったあの旋律を延々と変奏するのです)」みたいな外面的な曲は、聴き応えがある。ところで、ケンペとグルダが演ったモーツァルトのライブはCDになっているのかな。
今年はSF大会が松江(の近所)ということで行ってみようと思っている。で、星雲賞に投票するため、積ん読状態の解消を試みた。前回で読みかけといっていた『アラビアの夜の種族』のあとはロバート・アーウィンの『アラビアン・ナイトメア』を読んで、頂き物の『フリーウェア』をこなしたあと、とにかく日本作品を読んだ。
『永久帰還装置』、『AΩ』、『かめくん』、『サムライ・レンズマン』、『銀河帝国の興亡も筆の誤り』と、ついでに『ボーイ・ソプラノ』、『ソドムの林檎』というところ。
小林泰三と北野勇作がはじめて読んだ長編ということもあり新鮮だった。小林泰三は確かに女キャラの扱いが乱暴だ。主人公につき合った女子高生をあっさり切り捨てるところなんぞは普通じゃない。関西まんがカルテットは北野勇作を除いて女性キャラの扱いに無配慮だといえるのかも。ま、掘り下げた女性キャラを創るのがメンドーだということかもしれないが、ただ牧野修の『スウィート・リトル・ベイビー』の女性主人公はよくできたキャラだったな、特に前半。
『かめくん』はある種の理想的なSFに近いところがある。のほほんとしたなんということのない、しかし異形の日常。典型的なのは巨大な世代宇宙船の中の空間で演じられるホームドラマ(昔ハーバート・ジュニアが書いていたのは宇宙飛ぶカルフォルニアだっけ)。平凡なドラマを支配する厳密な物理法則。平穏な日常に突然顔をのぞかせる宇宙空間といったところだ(それは地球上が舞台だって同じだけど)。『かめくん』はどちらかというとシマック+ディックみたいだが、いい線をいっている。SF者の編集者以外にこの話を買うヤツがいないというのもよくわかるけど。
『サムライ・レンズマン』はまったくはじめて読む作家だが、レンズマンのマンガちっくを強調したような感じで、小説を読んでいるというよりは挿し絵のキャラが暴れまくっている印象が強い。13歳の時、初めて自分の意志で買ったSFが『第二段階レンズマン』だった人間には、ちょっと遠い世界にきてしまったことを思い知らされる本であった。「伊藤さんが解説するところのスターウォーズを初めてみたときの野田さんの心境 (自分の心を重ねることの出来るキャラがいないってヤツですね)」だな。
神林と野阿梓はどちらも味のある一作になっていて読ませる。神林は大人の作品になりつつある。一方、姉川孤悲はカッコ良過ぎですね。
格好良さでは『ボーイ・ソプラノ』もなかなか。ほとんどゾアントロピー化した神父との戦いも結構だけれど、パレ・フラノが主人公になってきたようで87分署とはいかなくてもブーダイーンぐらいは目指すべき。
田中啓文は評判の2作がやはりスゴいかな。異星料理の話は昔懐かしいパターンだね。 さて、星雲賞には何を選ぶべきか、悩ましい。
『アラビアの夜の種族』と『アラビアン・ナイトメア』、まったく違うスタイルだけれども、どちらも傑作の部類にはいる。好みでいけば『アラビアン・ナイトメア』だな。『アラビアの夜の種族』は、あれだけオドロオドロしいエピソードを注ぎ込みながら、読後の印象は健康的で燦々と陽が照りつけている感じが残る。こぢんまりしていても常に夕闇の感触を保っている方に惹かれる。『アラビアン・ナイトメア』の感想を見てみようと検索したら、興味の持てる文章が書いてあるのはSFマガジン関係者ばかり。やはりSFフェロモンというのがあるのかね。ただひとつSF者でない感想文は女性(多分)のホームページにあったヤツぐらい。これはただのフェロモンか。