内 輪   第140回

大野万紀


 映画版クレヨンしんちゃん「大人帝国の逆襲」をTVでやっていたので見ました。この作品、SF関係者をはじめ大傑作と評判で、40代以上の人間なら涙するとのことだったのですが、うーん。普通に面白かったのですが、そんなに大傑作か? ノスタルジーっていうのはすごく個人的なものだから、集団ノスタルジーってそれだけで気持ち悪くはないですか? 映画の中で、ひろしが少年時代から大人になって社会人となり恋をし家族をもち、というシーンにはぼくもじーんときたのですが、それはむしろ個人や家族の記憶(ひろしの足の臭い)であり、〈大人帝国〉の集団ノスタルジーと戦う武器となるものなのです。しんちゃんたちの冒険に声援を送るならともかく、〈大人帝国〉側への共感は全く感じなかったというのが本当のところだ。万博の光景が涙が出るほど懐かしいですか? 夕陽に照らされた昔風の商店街やアパートが懐かしいですか? そりゃ絵はきれいだし、懐かしいといえば懐かしいけれど、そんな風景は今でもあるし、21世紀にも存続しているのは『かめくん』を読めばわかる通りです。『かめくん』の懐かしさは、そこにぼくの個人的思いが重なるからだ。「時よ止まれ、お前は美しい」といっても、切り取られた絵だけでは、タイムトラベルは難しい。もっと何か私的なつながりがなければ。というわけで、ぼくはこの映画に「ノスタルジー」というものを、実際、ほとんど感じられなかったのです。後、選曲にも文句があるけど、それはまあ趣味の問題か。バスでの追っかけっことか、酒場の子供たちとか、楽しいシーンが多く、面白い映画だったことには間違いないのですが。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『シガレット・ヴァルキリー』 吉川良太郎 徳間デュアル文庫
 『ペロー・ザ・キャット全仕事』と世界は共通なのかな。マフィアが牛耳っているような未来世界での女殺し屋の物語。短いし、緊張感があって悪くない。良くできた大人向けアニメの一編のようだ。青年誌に載ったマンガのようでもある。ただ、女主人公の怒りは感じられるのだけれど、じゃあどうしてこんな仕事を続けるのか、そこがもうひとつわからない。職業だから? そんな割り切ってるようには見えないのだが。プロ意識という意味ではもう一人のヒロイン、エマの方がかっこいい。敵役の殺し屋ギイが、何というか超人で、物語ではありがちな強い意志を持つ悪役(いや、本書にはヒロインも含めて悪者しか登場しないのだが)なのに、何をもたもたやってるのだといいたくなる面も。まあ、後から思うと疑問や不満が出てくるが、読んでいる間はそんなことは気にならず、面白く読めたからいいとしよう。でも、表紙のヒロイン、怖すぎ。

『フリーウェイ』 ルーディ・ラッカー ハヤカワ文庫
 ラッカーの〈ウェア〉シリーズ。何ともラッカーだわなあ、としか感想の書きようもないか。モールディというのは色んなものに変身できる人工生命体で、ちょっと臭いのだ。でもこの臭いのがいいらしい。変態だなあ。で、話は、話は……人類もモールディもみな兄弟。宇宙生命はみんなの迷惑。ドラッグのやりすぎはストーリーがすすまない、といったところか。「マッドでクール」というか、まあハチャメチャということですね。ぶっとんでいるのが楽しい。それにしても偉い人が親戚というのは、作者のトラウマなんでしょうか。

『鳥姫伝』 バリー・ヒューガート ハヤカワ文庫
 世界幻想文学大賞受賞の、アメリカ人が書いた中国ファンタジー。というだけでちょっと胡散臭い感じがするし、実際、読み始めてしばらくの間は何だかなーという印象だった。ただの「お使いRPG」じゃないかと思えるし、キャラクターは(特に李老師)かなり型破りで面白かったが、そもそも彼らはどうしてこんなことをやっているのか(子どもたちを助けるのにどうしてこんな回りくどいことをしなくちゃならないのか)という点や、架空の中国だとはいえ、唐代という設定とそれに合わない時代考証の矛盾が気になって、あんまり楽しめなかった。ところが、真の目的が明らかとなった後半では、がぜん面白くなる。われわれの良く知っている伝説も出てきて、話は壮大になり、前半で欠点だと思えたこと(何でこいつらはこんなことをしているのか)が、みんなそうあるべくしてそうだったとわかり、なかなか気持ちいい。クライマックスは美しく感動的だ。いやあ参った。面白かった。でも、前半がつまらなかったことも事実なので、何かもっとうまい書きようがあったと思えるのだが。

『90年代SF傑作選(上)』 山岸真編 ハヤカワ文庫
 赤本と青本の赤い方。上巻ではニール・スティーヴンスン、ダン・シモンズ、コニー・ウィリス、スティーヴン・バクスター、デイヴィッド・ブリン、マイク・レズニック、ジョナサン・レセム、アレステア・レナルズ、ショーン・ウィリアムズ、イアン・マクラウド、アレン・スティール、そしてブルース・スターリングのエッセイが収録されている。90年代SFの特徴といったものがここから抽出されるとはあんまり思えないのだが、収録作はさすがにどれも面白い。中でも印象に残ったのは、ショーン・ウィリアムズ「バーナス鉱山全景図」、レズニック「オルドヴァイ峡谷七景」、マクラウド「わが家のサッカーボール」、ブリン「存在の系譜」など。コニー・ウィリス「(長いので省略)」も面白かった。何というか、本格SFとユーモア(あるいはバカ)SFに面白いものがあったということで、これって90年代と関係あるのかどうか。ぼくが一番気に入ったのは実はブリンで、でもこのビジョンは小松左京と同じではとも思ってしまうのだ。

『90年代SF傑作選(下)』 山岸真編 ハヤカワ文庫
 こっちは青本。テリー・ビッスン、ロバート・ソウヤー、テッド・チャン、エスター・フリーズナー、イアン・マクドナルド、ジャック・マクデヴィット、ジェイムズ・アラン・ガードナー、グレッグ・イーガン、ロバート・リード、ナンシー・クレスの作品が収録されている。どれも読みごたえのある作品ばかりだ。上巻も良かったが、総体としては下巻の方がいい。中でもやはりイーガン「ルミナス」が凄い。数学SFだが、かつてのノーマン・ケーガンや石原藤夫の数学SFとは違い、日常的な現実のただ中に、抽象的な数学の論理世界が、現実世界と切り離せない連続的なものとして描かれていることに知的な衝撃を受ける。人間原理に感じるような、どこか居心地の悪いぞくぞくするような気持ちがある。テッド・チャンの「理解」にも同じような日常と超絶との連続性の感覚を感じた。その他ではロバート・リード「棺」がぼくの大好きなタイプの遠未来感のあるSFだし、マクドナルド「フローティング・ドッグズ」も〈人間が登場しないSF〉アンソロジーに入れたい傑作。ビッスン「マックたち」、フリーズナー「誕生日」、ガードナー「人間の血液に蠢く蛇(後略)」、クレス「ダンシング・オン・エア」はいずれも現実的な技術と社会の問題を鋭く描いた、〈社会派〉SFだ。クレスも力作だが、後味の悪さではビッスンがきつい。こういう作品の中で、マクデヴィット「標準ローソク」のような作品を読むとほっとする。宇宙へのあこがれと普通の人生にかかわる、しみじみとしたいい話だ。

『魔法使いの困惑/魔法の国ザンス14』 ピアズ・アンソニイ ハヤカワ文庫
 テレビのアニメって、時々総集編をやってるじゃないですか。本書はそんな一冊。ついに失踪していた魔法使いハンフリーの謎が解けるのだが、本書の中心にあるのはハンフリーが語る「これまでのお話」。とはいえ、書かれていなかった話まで語られるので、そういう意味では面白い。ずいぶんと都合のいい結婚生活を送っていたんだなあとか。でも「これまでのお話」部分は(これだけの分量があっても)超スピードだし、もともとがややこしいストーリーなので、むしろこれまで読んでいない人には、何の事やらわからないんじゃないだろうか。今までずっと読んできた人が、ああそんなこともあったと思い出すのが正しい読み方かな。


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