みだれめも 第139回
水鏡子
●市内にまた1件、「古本市場」の新店がオープンした。距離が若干遠いのと、前の店舗の品揃えがいまひとつだったので、開店4日目に覗きに行って悔しがった。基本的にコミックと文庫中心の店構えのところは同じだけれど、そのぶん大量の単行本を95円コーナーに落としている。講談社の「人類の知的遺産」のシリーズを7冊浚って帰ったけれど、これはどう考えてもオープン日に並べられた全80巻の食い散らかされた残りだろう。『ロック』『デカルト』『ベンサム』『アウグスティヌス』『フランツ・ファノン』『ヘレニズムの思想』『現代の社会科学者』といったところで、どうせ買って帰っても棚に並べるだけだけど、それでもこの全集がセットで8千円で手に入ったのかと思うとかなり悔しい。その後10日ほどの間に計3回覗きに行って、40冊ほど買い込んだ。主なところはこんなところ。(著者名省略)
翻訳物:『愛と支配の博物誌』『死海文書の謎』『バーチャルコミュニティ』『夢とエロスの構造』『GOD 神の伝記』『アインシュタインの部屋 上下』『未開社会における構造と機能』『ローマの歴史』『歴史の終わり 上下』『テネシー・ウィリアムズ一幕劇集』『古典主義とロマン主義』『うたかたの日々』『エロスとタナトス』『マルクスもキリストもいらない』『ホピ 宇宙からの聖書』『フーコーの振り子 上下』『シミュレーション』『まぼろしのインターネット』『アメリカの40代』
邦人:『ユートピアの終焉』『死ー怨念ー妖気』『詩めくり』『超人ニコラ・テスラ』『平凡王』『筑摩世界文学全集 月報合本』『日本の名著 西田幾太郎』『日本の神話伝説』『ゆきあたりばったり文学談義』『思想家志願』『アメリカ黒人開放史』『天皇制の基層』『道化師のためのレッスン』『セプテンバーソングのように』『珍馬怪記録うま大全』『それでも作家になりたい人のためのブックガイド』『アメリカ作家とヨーロッパ』『ひらがなで歩く唐詩の世界』『文学の森 おかしい話』
持っているのを承知のうえで買い直したものも何冊かある。『フーコーの振り子』は文春文庫版を持っていたけど、本棚で『薔薇の名前』の横に並べておきたくて(だけど並べようにも場所がない)。『うたかたの日々』は新潮社の『日々の泡』を持っていて、この二つの訳題はいったいなんなんだろうと前々から気になっていたから。SFアンソロジー『シミュレーション』は知り合いで持っていない人間にあげてもいいなと思ったりして。
小松左京の『ユートピアの終焉』はこんな本が出ていることすら気づいてなかった。「SFファンタジア」所載のユートピア論を中心にした好著。そこそこで何人かの方(一桁)から「目にうろこがはまった」と好評を頂いた前々号のカウントダウン史観がらみでいずれ読むかもしれない。そういう意味ではフランシス・フクヤマの『歴史の終わり』も参考材料的に興味がある。
『まぼろしのインターネット』もジャック・アタリのSFという奇怪な代物。読む読まないは別にしてこういう本の存在に気づいていなかったあたりのアンテナの錆びつき具合を反省する。
買って2週間ほどになるけれど、パラパラめくった本はそこそこあるけど、結局通して眺めた本というのは、森毅の口述本『ゆきあたりばったり文学談義』と井崎・須田のお笑い競馬談義『珍馬怪記録うま大全』くらい。ほとんどの本は質感と装丁と背表紙・目次を楽しんで終わりになるはずである。
それにしてもコミック、文庫が半額で、このての本が百円という状況はやっぱり転倒していると思うし、悲しい事態というべきだろう。個人的にはうれしいけれど、それでも自分の家にあることが自分なりに満足できる本の山より、もしかすると家のなかで1割弱くらいの量でしかないコミック本の方がトータルで高く買ってもらえるかもしれないと思うと結構さびしい。
この前も別の古本屋だけれども、文庫本を主体の3冊百円コーナーにちょっとだけ混ぜておいてある単行本が田中美知太郎だったりするのにショックを受けた。ショックを受けるとねえ、買っちゃうんだよねえ。困ったもんだ。
古本屋の棚はいろんな意味で、自分の価値観を崩される魅惑がある。先ほどの「古本市場」新店もオープニング・セールの意味合いで、普段なら半額扱いのノベルズ本をかなりの量95円コーナーに持ってきている。
2000円、3000円の立派な本が百円コーナーに落ちてきている風景にはじつはかなり慣れてきているのだけれど、背が折れないようにていねいに読んだんだろうなと思われる、京極夏彦ノベルズ本が10冊95円の棚に勢ぞろいしているのを見たときにはさすがにちょっとくらくらした。なんといってもあの太さ、ほぼ一棚を占拠するあの圧倒的な文字量が、合わせて950円!ほんとにこんなことでいいんだろうか。
●本が読めない理由のひとつはここ3週間アリスソフトの新作ギャルゲー『大悪司』にはまっているせいでもある。フェミニズム・アメリカに占領された第二次大戦後のオオサカを基本イメージに、ヤクザ組織の若旦那で復員軍人である主人公がオオサカの支配者にのしあがっていく、陣取りシミュレーションRPGである。
前評判では「鬼畜王ランス」以来の超大作との触れ込みだったが、日本統一ならともかくオオサカ統一ではあまりにスケールが小さくて話半分程度に受け取っていたのだけれど、やってみるとこりゃすごいわ。空間的スケールを制限した代わりに同時多発イベントのてんこ盛り。あまりの積み残しイベントの発生にパニ食った。20時間くらいでゲームは終了するけれど、終了するたびに追加シナリオが派生する念の入れよう。さすがに5回目くらいから倦んでくるところがあるけれど、まだ山本一発とは戦えないでいる。ある種の傑作の要件は、秩序あるパターンが過剰に存在して生理的な情報処理能力を凌駕してしまうところにあるのではないか、そこで展開されるパターンはとりたてて良質である必要のない定番レベルで充分であり、ただし拙劣さを感じさせて意識を醒めさせることだけは避ける技量が必要とされる、という風に考えたりしているところで、『大悪司』はこうしたぼくの定義に完璧に該当する。メインシナリオもSFファン好みの意外性に富んでいる。鬼畜の所業もオオサカ・ヤクザというフレームのなかで、なかなかの日常的妥当性を獲得している。
ただし、万人にお勧めしかねるのは、ギャルゲー業界全体が、フランス書院化とヤングアダルト化のハイブリッドしたかなりうっとおしい方向に傾斜しており、いまさらいうのも変にとられるかもしれないけれど業界内基準においてモラルハザードが進行している。アリスソフトも例外ではなく一時期の作品ほどには、万人(引くことの数千人)に勧めきれなくなっている。
ぼくなりのアリスソフト・ベスト7を以下に並べる。