続・サンタロガ・バリア  (第4回)
津田文夫

 クラッシュしたハードディスクを新品と交換して、いにしえのデスクトップFMVSII−165を再使用。13000円出して8ギガを2ギガで使っている。メモリの増設しかしたことのない人間が3.5インチをはずし、CD-ROMをはずし、元に戻したのだからまあ上出来でしょ。しかし、Windows95から入れ直して、98にアップグレードするときにFATが16から32に変わらないのは残念。イギリスの人はパソコン買い直したといっていた。

 文庫版『鉄鼠の檻』をようやく読み終わってぼわぁーっとしているところだけれど、これは30年前ならSFの内だよなあ(『鳥類学者のファンタジア』なら間違いなしだ)。IFの世界の日本の戦後空間を舞台に超能力者が活躍するなんでもありの物語っていうのは言い過ぎだけど、異相の戦後空間というだけでも十分SFだったはずだよ。
 このシリーズに出てくる異相の戦後空間というやつが自分には大いに魅力なんだけれど、昭和28年ていうのは、日本がアメリカ(または連合国、ただし一部を除く)から独立して1年、朝鮮戦争は休戦協定でとりあえず一段落だけど、アメリカ軍をはじめ占領軍は、組織的には国連軍と名を変えていて相変わらず街を歩いていた、そんな時代だ。そして国連軍は昭和31年まで駐留し、駐留軍と呼ばれた(ちなみに占領軍のことは進駐軍という)。京極堂の熱心な読者じゃないので、文庫化されたものしか読んでないが(『ルー=ガルー』はSFということで読んだ)、たぶんこのシリーズの続きが昭和31年を超えることはないだろう。

 「戦後空間」というものに興味を持つのは仕事がらみもあるけれど、ときどき評論系のものの本を読むとどうしても「戦後空間」というものがひっかかってくる(そういうものを選んで読んでいるというべきか)。2,3年前は片岡義男『日本語の外へ』とか加藤典洋『敗戦後論』とかを読んでいた。
 片岡義男の小説は全く読んだことがない。あのタイトル群には全く用はなかった。たまたま英語からみた日本語論を2冊続けて読んで、片岡義男はハードな思考形態をもっていることがわかった。生まれ故郷の岩国の戦後間もないころの空撮写真(1947年頃米軍はB-29を使って日本全国の詳細な垂直写真を撮影した)に自分の家を発見する(それくらい詳細な写真で仕事では役に立つ)話などとてもおもしろい。
 『敗戦後論』とその前後の評論は、いわゆる論壇でああでもなこうでもないと話題になった(らしい)本で、「戦後空間」に存在するネジれとか虚偽意識とかを論じてる本だ。真摯さが伝わる文章は旨い。

 最近手にした本で「戦後空間」の捉え方が新鮮だったのが大塚英志『彼女たちの連合赤軍』だった。大塚英志の名前はマンガ原作者として知ってはいたけれど(『聖痕のジョカ』は新旧揃っている、奥さんのだが)、昔は大月隆寛と混同することさえあったくらいだ。最近出た短文集『戦後民主主義のリハビリテーション』(これは主題に重複の多い文集なのでちょっと疲れる)を読むと、論壇誌で活躍していたらしいが、論壇誌は読まないので全く知らなかった。
 大塚英志を読んでびっくりしたのは、私らと同年代か少し若い世代の人間から「戦後空間」の中で生まれ育ってきたことを所与として正直に語るスタイルが生まれてきているからだった。すべての文化的価値が平準化されていることはずいぶん前から共通認識だったけれど、サブカルの実践者として律儀に「戦後民主主義」を生き延びる意味を考え、それでも可能性はある、またあるものにしなくてはならないという意気込みが感じられる論者の文章を読んだのはこれが初めてだ。
 基本的にかっこよさとは無縁なスタイルなのでどれくらいの読者がついているかわからないけれど、水鏡子にはオススメかな。江藤淳−福田和也というラインとのからみがあるらしいのでちょっとイヤだけどもう少しつき合ってみよう。

 年代別SF別傑作選『20世紀SF』全6巻完結おめでとうございます、中村融様、山岸真様。河出書房新社文庫編集部の太っ腹にも感謝しなくてはね。
 10年という区切りの短編群からセレクトして、あの厚さにちょうどよく配置するというのは至難の業には違いない。もっとも20世紀アメリカ短編小説集みたいなものを2冊で出す人もいるからな。作品の選択・配列に不満を申してはバチが当たるというものでしょう。
 6巻の「真夜中をダウンロード」の作品紹介で山岸真が「テクノロジー、メディア、アイドルというモチーフ」とした作品を繰り返し取り上げてきたと書いているのを見て、「それだけかよっ、をいっ」と思わず声を出しそうになったのだが、セレクトをする側にはそれだけで十分なのかとも考えた。全6巻のあちこちに仕掛けられているであろう編者の思惑やそれとは無関係に読み込んでしまう読者の思いこみがこのアンソロジーの存在理由のひとつに違いないだろう。
 「テクノロジー、メディア、アイドルというモチーフ」といえばギブスンの90年代三部作のことだろうが、それは「冬のマーケット」のことでもあるわけで、「美女ありき」「やっぱり君は最高だ」「接続された女」と怖いおばさんたちのコワーイ作品のあとでギブスンは頭を垂れている。「真夜中をダウンロード」の作者は知ってかしらずか、チャイルド・ポルノ批判を作品に持ち込んでいるが、オバハンたちのスケールの前では小僧っ子に過ぎない。 
個々の作品についてあれこれするのは愉しいので、また書こうと思うけれど、全6巻の流れの中では、世代的な思い入れもあって、絢爛豪華の60年代とノスタルジーの70年代がすばらしい。3巻では「賛美歌百番」「月の蛾」が、4巻では「逆行の夏」「限りなき夏」「あの飛行船をつかまえろ」そして「七たび戒めん、人を殺めるなかれと」がその印象のを強めている。ロートルのSFファン以外にどれだけこんな想いを抱く人間がいるのかわからないが、6巻についている総目次を眺めているだけで胸が熱くなる。
出版社にとって本屋の棚争いは大変だろうけど当分品切れにしてほしくない6冊だ。


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