岡本家記録とは別の話(秋のきざし篇)

 

 岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。

 ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。扉開けネコシリーズは、今回撮影に成功せずお休み。ドア開け、観音開き開け、引き出しあけ等の特技があるのですが。

秋のきざし
 何年か前に、「人生の30代は9月」(紫門ふみ)と書いた覚えがあります。もはやそのように書いても他人事の時代(年代)になりましたね。あなたもあなたも。

 さて、SF大会も終わり、盆も過ぎ、彼岸を迎えようとする(まだ先ですが)このごろ。世の中の不況色が強まり、なんだかマスコミが浮かれるこのごろでもあります。なんというか、日本人は悲観論が大好きな人種なので、あらゆる社会階層の人々は、危機を叫びます。好況時には不況の到来をさけび、ちょっと不況になれば、さらに危機説を力説するということで、実は右肩上がりの時代は成り立っていました。ところが、逆に右肩下がりになっても、同じパターンの発言をする人が多くて困ります。ここは逆に楽観論でいきたいところです。しかし、楽観は軽薄と見られるため流行りません。日本人が好むのは、“憂国”とかいって深刻な顔をした主人公の背後で、“悲壮感”がごうごうと音を立てて流れるという雰囲気でしょうか。まー、ただこれは、官僚武士階級の美学であって、商人階級の多い関西人が好むパターンではないと思いますがね。

 最近は奇妙なナショナリズムが盛んです。例の靖国神社や教科書問題では、中国、韓国の非難に対して、「他人の国のことになぜ口を出すのか、ほっとけよ」、といった論調が結構もてはやされました。ただ、その主張をする人たちは、中国や韓国の立場を勘違いしているのではないでしょうか。かの国の反日派にとって、日本がナショナリズムに走れば走るだけ、日本危険説を裏付ける結果になります。彼らには、日本の“右傾化”は歓迎されているはず。逆に親日派は、立場が弱くなります。つまり、日本人がどのような考えで参拝や教科書記述をしたとしても、中国や韓国で日本の支持者の立場をより悪くし、反日派を利する結果にしかなりません。

 アメリカが市場崩壊した後、有望な市場は、実は中国しか残っていません。中国は単なる日本の生産基地だと思っている(頭の古い)人がまだいますが、実は既に巨大な市場が生まれつつあるのです。貧富の差が大きな国なので、中産階級がもう日本の人口を上回るほど作られています(12億中約2億人)。彼らの年収は、日本の中産階級以上といわれています。どう考えても、中国を敵に回して得なことはありません。経済的な結びつきが深いほど、軍事的脅威も低下するはず。米中が和解するのもそのためです。官僚武士階級的ナショナリズムは、結果的にドカ貧に至る道です。国家の“自己中”は、日本の経済的利益を損うだけで誰も得をしません。精神的に高潔であれば、貧しくてもよいなどというのは金持ちの戯言、貧すれば鈍すです。貧乏の怖さは、岩井志麻子でも読んで勉強しましょう(ってちょっと違う?)


THATTA 160号へ戻る

トップページへ戻る