内 輪 第131回
大野万紀
FFXを始めました。家族でやっているのと、時間がないのとで、あんまり進んでいませんが。さすがにPS2、画像とくに動画の美しさは本当にすばらしい。今回は音声付きですが、ここまで映画的な演出があるなら、声があって当たり前でしょう。何も違和感はありません。戦闘や成長のシステムもけっこう良く考えられていて、遊びごたえがあります。キャラクターも今のところ悪くない。ヒロインがちょっと……という面はあるのですが、FF8ほど困ったちゃんじゃない。ストーリーはまだ序盤なのでどうなるかわかりませんが、回想形式というのはけっこういいんじゃないでしょうか。これなら主人公=プレーヤーと勘違いすることもないだろうし。普通の小説や映画を見るように楽しめるんじゃないかな、と期待しています。
で、こういうお話を「SFじゃない」といったとしたら、果たしていかがなもんでしょうか(いや、FFなのかも知れないけど)。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『ノービットの冒険 ゆきて帰りし物語』 パット・マーフィー (ハヤカワ文庫)
『ホビットの冒険』をユーモア・スペース・オペラにしてしまったという作品。しかし、SFファンにはけっこうトールキンを読み通していないという人が多いのだ。ぼくだって、みんながトールキン、トールキンというので、あんな分厚いファンタジーが読めるかと反発していたものだ。ま、それはともかく、べつにそっちを知らなくたって、全然問題なし(でも読んだ人によると、やっぱり知っていた方が楽しめるところも多いそうだ)。とても楽しいスペース・オペラで、しかもちゃんとしたSFになっている。まあ、火星の小さい方の衛星はフォボスじゃないだろうとも思うのだが、この時代には違っているのかも知れないし。各章に引用されているルイス・キャロルの「スナーク狩り」もすごく気が利いていて効果をあげている。ホビットじゃない、ノービットのベイリーがとてもいい。
『ΑΩ』 小林泰三 (角川書店)
昔、楳図かずおのウルトラマンのマンガがあって、すごくグロテスクで有機的で不気味だったのを思い出した。ぐちゃぐちゃと内臓と粘液と吐き気のするようなものでいっぱいのウルトラマン対宇宙怪獣の話。でも別にパロディじゃないし、宇宙怪獣側は途中からはむしろ人間と一体化した諸星大二郎的ブラッドミュージック的BH85的な存在となって、まさに黙示録的な世界が展開する。途中にはぐっと世界の広がった超ハードSF的宇宙SFの要素もあり、まあ、作者らしい話になっている。もっともハードSFとグロテスクの合体というのはバクスターという例もあることだが。だけど一番異常なのは、本書の登場人物たち。こいつらみんなまともじゃない。一番まともなのが「ガ」じゃないだろうか。気持ち悪い話だけど、めちゃくちゃ面白かった。小説的なバランスがどうとかいう問題じゃなく、ひたすらびっくりするような無茶苦茶な話でありながら、異常な魅力と迫力に満ちている。一般読者に勧められる話じゃないかも知れないが、この次の星雲賞にはぜひ推薦したい。
『昔、火星のあった場所』 北野勇作 (徳間デュアル文庫)
第4回日本ファンタジーノベル大賞受賞作。92年に新潮社から出た長編の復刊だが、ぼくは今度初めて読んだ。なるほど、さすがに『かめくん』ほど安定はしていないが、作者は始めからこういう作風なのだと納得。不確定性理論がベースのイメージになっていて、やや理屈っぽい印象があるが、それでもたぬきたちやカチカチ山のイメージが重畳されて、単に不確定な存在になってしまった火星の話ではなく、もっと独特のものになっている。で、それというのが、ひとことでいえば懐かしさという感覚なのかなあ。そういってしまうと身も蓋もないというか、つまらなく聞こえるのだが、でもこの一昔前の大阪の下町っぽい日常感覚がとても心地よいのも確かだ。同じ時間を共有していたという感覚。でも、それだとちょっとおじさんっぽすぎるよなあ。若い人たちにも熱心な読者がいるようだし、そのあたりはどうなんだろう。
『禍記 マガツフミ』 田中啓文 (徳間書店)
ホラーの短編集。伝奇ホラーというのかな。ただ、テイストとしてはSFっぽい。「黄泉津鳥舟」は全くのSFだし。恒星間宇宙船の乗員がいったん死に、黄泉の国を通ってワープするとか、かなりぶっとんだアイデアで面白かった。とはいえ、どうもこの短編集は(作者にしては)大人しく、わりと普通のアイデアストーリーが多いように感じた。悪くはないけど、凄みは少ない。やっぱり長編を読みたいところだなあ。
『異形コレクション 幽霊船』 井上雅彦編 (光文社文庫)
2月に出た本だが、夏らしい幽霊船アンソロジー。さすがにオーソドックスな幽霊話が多い。面白く読めて印象に残ったものを順不同にあげる。薄井ゆうじ「エイラット症候群」はむしろ長編で読みたい話。興味深いテーマがいっぱいだが、そっちは軽く流され、メインのアイデアはこの長さではちょっと弱い。北原尚彦「遺棄船」はマリー・セレスト号を扱った、ホラーというよりもSF的なアイデアストーリー。草上仁「パンとワイン」は完全にSF。宇宙の幽霊船の話。菊地秀行「渡し船」は普遍的なテーマを扱った哀しい幻想小説。田中文雄「シーホークの残照(または「猫船」)」も豊かさのあるいい話だ。
『運河の果て』 平谷美樹 (角川春樹事務所)
テラフォーミングされた火星を舞台に、原火星人の遺跡発掘、性決定を成人後に持ち越す〈モラトリアム〉な人々の存在、木星周辺のコロニー群を中心とする外惑星連合と火星・地球との対立、誘拐された調停者、と盛りだくさんな物語が展開するが、いずれも一つのテーマに収斂するのはなかなかな筆力である。小説の冒頭で、火星テラフォーミングの歴史を解説風に延々と語る場面があるが、こういうのこそSFだと思わせて嬉しくなってしまう。結末があっさりしすぎというか、ちょっと本当?と思ってしまうのだが、まあある意味ハッピーなのでいいのでしょう。
『華胥の幽夢』 小野不由美 (講談社文庫)
〈十二国記〉の短編集。同人誌に載った作品など五篇を収録。一気に読み終えて、面白く読んだのだからかまわないのだが、しかし、これはどうなのか。まず、これらの作品は〈十二国記〉を読んだことのない読者には薦められない。何の説明もなく、歴史の幕間が語られるようなもので、ずっと読んできた読者には楽しめるが、そうでない人は手を出すべきでない短編集だ(長編を何冊か、できれば全部読んでから、あらためて読むべきだ)。シリーズの愛読者には、良く知った人物が登場し、おもわず微笑みたくなるようなエピソードも出てきたり、本編の裏話的な挿話が語られたりで楽しむことはできるが、しかし、本書の物語は、ストーリーを語ることにはほとんど主眼がおかれず、登場人物たちのディスカッションに終始する。そのテーマは「(十二国において)王たる者はどうあるべきか」。確かに納得できる部分もあるのだが、ぼくには興味のもてない議論に重点が移っているようだ。早く本編の、ストーリーの続きが読みたい。
『20世紀のSF(5)/1980年代』 中村融・山岸真編 (河出文庫)
80年代のSFはサイバーパンクというのが普通の感覚だが、中村融は解説で「80年代は、サッチャー政権とレーガン政権の時代だった」と総括する。つまり保守化の時代であり、軍事科学と、一方では科学に対するカルト宗教の時代であるという認識だ。これはパソコン文化の浸透と電脳空間の時代という80年代像の背後に確かに存在したわけで、サイバーパンクもその反動として、あるいはそれを追う形で活性化したのだろう。したがって本書の作品は、どちらかというと重い。ジェフ・ライマンの「征たれざる国」などその最たるもので、しかしこれこそ80年代のカンボジアの現実に触発されたリアルな風景なのである。その一方でルーディ・ラッカー「宇宙の恍惚」みたいな作品を読むと本当にほっとするんだけどね。ポール・ディ・フィリポ「系統発生」はSFではよくある(ブリッシュ「表面張力」以来の)種としての人類の未来をバイオ・ハードSF的想像力で描いた(バイオのところが80年代っぽいか)SFで、こういう作品こそSFでしか読めない、SFの本質をついた作品だろう。マーク・スティーグラー「やさしき誘惑」も楽天的未来志向のハードSFだが(これはナノテクとヴァーナー・ヴィンジの〈特異点〉を扱った作品)平凡な個人が変容する種の姿を見るというスケールの大きさにSFの感動がある。ギブスンやスターリングより、むしろこういった作品の方が印象に残った。