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岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。
ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。
SF論争編
知らない間に、瀬名秀明SFセミナーネタ論争が起こっていた(過去形か)ようですね。残念ながら私の場合、掲示板の熱心な読者ではないため、そもそも事件が起こっていることにすら気が付いていません。また、セミナー不参加でもあり、瀬名講演の中身も知らずに論じることはできない、と思っていたのですが、PDFによる詳細なレポートが書かれていることを今ごろ知りました(あー歳は取りたくないですね、って関係ないか)。しかし、トップページからたどるには、ちょっと分かり難いところにあります。
瀬名講演の趣旨は、「なぜSFファンは、SFである/ないにこだわるのか」(『パラサイト・イヴ』で自身が体験した“SFではない”批判の意味と弊害)と、「SFを世間に認知させるための障害と対策」という、至極まっとうな論議であると思われます。パワーポイントで作られたプレゼン資料という形での講演は、
といった展開のものでした(注:上記は私の文責による要約)。
続くPDFファイル「講演後の反響」では、さまざまな意味でSFファンに対する論考が述べられています。SFファン活動をしない人から、これだけ詳細な分析がされたのは初めてかもしれません。
野尻抱介によるハードSFファンの定義(少数だが声が大きい)が引用されていますが、このタイプは、古代から存在する古典的SFファン(いわゆる“ファン活動”をするSFファン)と似ています。つまり、「SFのことは外部に語らない」(語ったところで理解してもらえないから)、「利害の絡む組織的な活動は嫌い」(強制されたくない。個人の自由意志で行動できないから)といった考え方です。極端な場合、SFが分からないのは頭が固い/悪い証拠、とか、SFファンのほうが柔軟な発想ができる、とかの選民思想を持っている人も(一部でしょうが)います。自由と言いながら、日常生活や政治心情では、結構保守的な人たちでもあります(それはそれで悪くない)。ただ、そういう立場である以上、瀬名発言に対して「どうしてSF外の人が、熱心にSF振興を唱えるのか不明」という、戸惑い/警戒心に近いニュアンスが出てくるのは当然かもしれません。
今のネット系のSFファンの人々は、昔(旧ファンダム時代の伝統)を知らないはずですが、なぜか生態は変わらないようです(同じ環境には、同じような性格のものしか生き残れないという、適者生存の法則か)。しかしながら、ファンジンや喫茶店/宴会論争で済んでいた時代とは異なり、ネットではHPが作られ、誰でもアクセス可能になっています。しかも数10万ヒットといったメジャーHPも多数あることから、マイナーとはいえないように見えます。とはいえ、毎日更新の日記ならば100人/日の固定読者でも、年間トータル36,500ヒットなので、数字に大きな意味があるかどうかは別問題でしょう。
キャンペーンで広告を打つ話はいただけません。新聞広告(朝刊)の寿命は、当日と次の日の午前中まで。読者は瞬く間に忘れてしまいます。その朝見て、夕方書店にあった本だけに効果があるからです。分秒で状況が変わるマーケティングは難しい。専門的に考える必要があります。これはやはり、利害から遠いSFファンや作家だけに呼びかけても無駄でしょう。出版社の営業も、時代に追従できているとはいいがたいのですが、そこらも含めた綿密な検討が必要です。
「これはSFではない」発言がテクハラ(文章表現によるハラスメント)に相当するとは、私自身気が付いていなかったことなので、反省する必要があります。また、眉村卓さんに文体が似てしまうほどのファンとは知りませんでしたね。
SFセミナー2001での瀬名講演をまとめたPDF |
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瀬名秀明関係リンク集 |
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