岡本家記録とは別の話(SF論争篇)

扉を開くもの(その1:初級篇)
(絵をクリックしてみてください。Media Player(Win/Mac)が必要です)

 岡本家記録(Web版)(読書日記)もご参照ください。

 ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。

SF論争編
 知らない間に、瀬名秀明SFセミナーネタ論争が起こっていた(過去形か)ようですね。残念ながら私の場合、掲示板の熱心な読者ではないため、そもそも事件が起こっていることにすら気が付いていません。また、セミナー不参加でもあり、瀬名講演の中身も知らずに論じることはできない、と思っていたのですが、PDFによる詳細なレポートが書かれていることを今ごろ知りました(あー歳は取りたくないですね、って関係ないか)。しかし、トップページからたどるには、ちょっと分かり難いところにあります。

 瀬名講演の趣旨は、「なぜSFファンは、SFである/ないにこだわるのか」(『パラサイト・イヴ』で自身が体験した“SFではない”批判の意味と弊害)と、「SFを世間に認知させるための障害と対策」という、至極まっとうな論議であると思われます。パワーポイントで作られたプレゼン資料という形での講演は、

  1. 小学校のマンガ時代から、中学での眉村卓の影響、さらに大学でクーンツに惹かれた経緯の説明
  2. 『パラサイト・イヴ』では、尊敬していた専門家からも科学面での批判を受け、用心深くなったこと
  3. SFファンの感性に対する違和感(例えばコンタクト・ジャパンなどで異星人をシミュレーションする姿)の原因を考え始めたこと
  4. 統計調査として、筑波大学でSFを交えた講義の際採られたもの、ウェブアンケートで収集したものの紹介。特に『パラサイト・イヴ』に対して、「SFとして宣伝されたことに怒りを覚える」という内容に対し、最初から誰もSFと言っていないのに、なぜそのような誤解を生んでいったのかが説明される(菊池誠が原因?)
  5. 編集者に対する調査では、SFは売れていないわけではなく、風説に踊らされている面がある(日本では、特に負の風説が流通しやすく/好まれやすい)。現代の神話として、ティーンエイジとのつながりを探る道具として有効ではないかとする
  6. SFファンと分かり合えるキーワードとして、センス・オブ・ワンダー(SOW)があるが、これがなぜ非SFファンと共有できないのか。これを森下一仁『思考する物語』のフレームの非共有と仮定してみる
  7. さらに同書のスクリプト論で、物語の因果関係を説明する初期設定がSFとホラーでは異なることから、SFではないという結論を出しているのではないか。(約束事が違っても、本来小説として楽しむことができるはずなのに)いったんホラーをSFとして読んでしまうと、初期設定の違いに気が付かずに、反感を抱いてしまうのではないか
  8. SFを客観的に批評する場/媒体がないと思われている(SF書評は仲間内のSF界でしか通用しない)
  9. 「何でもSF」では、(その逆はできても)SF外の人をSFに接近させることができない
  10. 最後にSFを一般化するための提言をする
    (1)出版社を超えたグループによる認知度向上キャンペーン実施
     (最初の広告費は瀬名秀明が負担してもよい)
    (2)SFファンは、SFである/ない、わかる/わからないといった狭量な批判はしない
    (3)SFファンの編集者を増やす(SFファンがもっと編集者になる)

といった展開のものでした(注:上記は私の文責による要約)。

 続くPDFファイル「講演後の反響」では、さまざまな意味でSFファンに対する論考が述べられています。SFファン活動をしない人から、これだけ詳細な分析がされたのは初めてかもしれません。

 野尻抱介によるハードSFファンの定義(少数だが声が大きい)が引用されていますが、このタイプは、古代から存在する古典的SFファン(いわゆる“ファン活動”をするSFファン)と似ています。つまり、「SFのことは外部に語らない」(語ったところで理解してもらえないから)、「利害の絡む組織的な活動は嫌い」(強制されたくない。個人の自由意志で行動できないから)といった考え方です。極端な場合、SFが分からないのは頭が固い/悪い証拠、とか、SFファンのほうが柔軟な発想ができる、とかの選民思想を持っている人も(一部でしょうが)います。自由と言いながら、日常生活や政治心情では、結構保守的な人たちでもあります(それはそれで悪くない)。ただ、そういう立場である以上、瀬名発言に対して「どうしてSF外の人が、熱心にSF振興を唱えるのか不明」という、戸惑い/警戒心に近いニュアンスが出てくるのは当然かもしれません。

 今のネット系のSFファンの人々は、昔(旧ファンダム時代の伝統)を知らないはずですが、なぜか生態は変わらないようです(同じ環境には、同じような性格のものしか生き残れないという、適者生存の法則か)。しかしながら、ファンジンや喫茶店/宴会論争で済んでいた時代とは異なり、ネットではHPが作られ、誰でもアクセス可能になっています。しかも数10万ヒットといったメジャーHPも多数あることから、マイナーとはいえないように見えます。とはいえ、毎日更新の日記ならば100人/日の固定読者でも、年間トータル36,500ヒットなので、数字に大きな意味があるかどうかは別問題でしょう。

 キャンペーンで広告を打つ話はいただけません。新聞広告(朝刊)の寿命は、当日と次の日の午前中まで。読者は瞬く間に忘れてしまいます。その朝見て、夕方書店にあった本だけに効果があるからです。分秒で状況が変わるマーケティングは難しい。専門的に考える必要があります。これはやはり、利害から遠いSFファンや作家だけに呼びかけても無駄でしょう。出版社の営業も、時代に追従できているとはいいがたいのですが、そこらも含めた綿密な検討が必要です。

 「これはSFではない」発言がテクハラ(文章表現によるハラスメント)に相当するとは、私自身気が付いていなかったことなので、反省する必要があります。また、眉村卓さんに文体が似てしまうほどのファンとは知りませんでしたね。

 

SFセミナー2001での瀬名講演をまとめたPDF
(セミナーHP内で配布)

瀬名秀明関係リンク集
(雪樹さんのHPにあります)

『パラサイト・イヴ』評者のレビュー

『ブレイン・ヴァレー』評者のレビュー

なぜ瀬名秀明はSFファンに嫌われるのか

『八月の博物館』評者のレビュー

グレッグ・イーガン『祈りの海』と瀬名解説についての評者レビュー

『思考する物語』評者のレビュー


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