内 輪 第130回
大野万紀
池田の小学校で恐ろしい事件が起こりました。世の中には何の関係もない子どもたちを殺すことに良心の呵責がない人間が存在しているということで、まさにディックが書いているような〈アンドロイド〉がわれわれと混じって生活しているような怖さがあります。といっても、そのような存在を常に意識しながら暮らさなければならないとなると、これまた50年代SFによくあったようなパラノイアめいた社会が復活しかねず(いや50年代SFといわずとも、隣組が日中から家にこもっている何の仕事をしているのかよくわからない中年男を監視しているという社会は、ごく身近に存在するわけで…ねえ、古沢さん)、そういうのもイヤだなあと思う今日この頃です。しかし、今度の事件は、以外に身近なキーワードが散らばっていて(場所が近いこともあり)、本当に後味の悪い事件でした。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『スーパートイズ』 ブライアン・オールディス (竹書房)
キューブリックに、そしてスピルバーグによって映画化された(もうすぐ公開だ)映画『A.I.』の原作「スーパートイズ」を含む短編集。といっても、それって本書の5分の1にすぎない。悪くはないが、大した作品とも思えない。手塚治虫の方がよっぽど面白い。ディックの方がよっぽど深い。でもでも、オールディスのイヤらしさみたいなのは、はっきりと現れていて、そういうのにしびれる人もいるだろう。短編集自体は、いかにもニューウェーヴだったオールディス。さっと読んだだけではなんじゃこれな話が多い。でも、時々どきっとするようなSF的な、宇宙的・叙情的なイメージがぱっと広がるところがあり、そういう瞬間が面白いんだよなあ。一番面白く読んだのは「スタンリーの異常な愛情」というエッセイだったけれど。
『ドッグファイト』 谷口裕貴 (徳間書店)
第2回日本SF新人賞を『ペロー・ザ・キャット全仕事』と同時受賞した作品。精神感応で結ばれた〈犬飼い〉の少年とその犬たちが、植民星を占領した悪辣非道な地球統合府統治軍と戦う。敵も一種のテレパスだ。それにしても、本当に新人?と思うくらいうまい。犬たちがすごく生き生きとしている。ストーリーはちょっと単調だし、結末のつけかたも、ルール違反すれすれな感じだが、読ませるし、読み応えがある。SF的な広がりがある話なのだが、シリーズならともかく、この作品だけではそれが生きてこない。もっと犬たちとその戦いに集中した方がよかったかも知れない。圧倒的な力をもつ占領軍に対するパルチザンの戦いとしてみたとき、ちょっと無理がありすぎというか、何か彼らはゲリラ戦じゃなくて正規戦をいどもうとしていないか。戦いの規模もよくわからない。そういうところが小説としては弱いところだろう。でも、読んでいる間はそんなことがほとんど気にならない。精神感応で互いに連絡しながらグループで戦う犬たちが、本当にいいんだから。
『ペロー・ザ・キャット全仕事』 吉川良太郎 (徳間書店)
これまた第2回日本SF新人賞の受賞作。『ドッグファイト』の作者をうまいなあと思ったが、この人はさらにうまい。猫に精神をダウンロードした孤独を愛するダメ男を主人公に、未来のフランスの暗黒街での戦いを描くSF。一人称だからということもあるだろうが、実にすらすらと読ませる。ストーリーも面白いし、キャラクターも魅力がある。しかし、『ドッグファイト』と違い、この作者、猫を無茶苦茶に扱って、愛はないのか。猫への思い入れはほとんど描かれず、猫好きが読むと腹が立つかも知れない。ぼくは別に猫好きというわけじゃないので、OKだけど。SF的な魅力は『ドッグファイト』の方が大きいと思うが、エンターテインメント小説としての出来はこっちが上だろう。でもすらすらと軽く読めすぎるというのも逆に問題かも知れない。いずれにせよ、才能ある若い作家がこの分野に現れてきて嬉しいかぎりだ。
『モンスターフルーツの熟れる時』 小林恭二 (新潮社)
実在の地名が飛び交い、一見日常的な風景が描かれ、普通小説のような雰囲気で始まるが、やはりファンタジーであり、幻想小説である。フルーツがエロティックなのは、それが植物の生殖器官だからだろうか。何となく願望充足的で現代的なエロスの物語が、まるで神話的な女神の死と再生の物語となり、やがて悪魔や破壊の王が、現代の東京の街に現れる。しかし、この連作長編で最も重要な人物である主人公が、単なる語り手として、まるで淡々として、影が薄く扱われ、そのためクライマックスの切実さがあまり伝わってこないのは残念だったと思う。風や光や、そういった心象風景がとても美しいのだが、そのパワーが主人公自身の中に(最後は再生するにせよ)一体のものとして感じられなかった。まあ、本人が約束を忘れていたのだから仕方がないか。それにしても、イメージは鮮烈でいてどこかノスタルジック。猿楽町にあの友引町を思い起こしてしまったのは、ぼくが単にオタクなせい?
『20世紀のSF(4)/1970年代』 中村融・山岸真編 (河出文庫)
SFセミナーでこのシリーズの作品選択に色々と注文をつけたけれど、この巻はほとんど誰からも文句が出なかった。まあもちろん、この作品よりはこっちの方が良かったのではということは確かにあるのだが、それよりも全体として70年代という時代の空気をはっきりと示したいいアンソロジーになっている。しかし、もしかしたら、これはぼくらの世代(まさに70年代後半に本書に載ったような作品をリアルタイムで読んでいた)に特有のノスタルジーにすぎないのかも知れない。そこはちょっと留保しないといけないかも知れないのだが、でも客観的にも面白い作品、味わいのある作品がそろったと思う。ただ時代の空気が生々しすぎて、今読むとわかりにくい作品もあるようだ。ティプトリーの「接続された女」で、浅倉さんが「オタク」と2人称を訳しているが、これは今の「おたく」とはニュアンスが違うことは書き留めておこう。
『鳥類学者のファンタジア』 奥泉光 (集英社)
めちゃくちゃ面白かった。二段組みの分厚い小説だが、一気に読んでしまった。36歳の女性ジャズピアニスト、フォギーこと希梨子は、光る猫パパゲーノ、土蔵のオルゴールが奏でる音階に誘われ、1944年のドイツへタイムスリップする。そこには彼女の祖母、霧子がいて、ナチスの神霊音楽協会で「オルフェウスの音階」をもつソナタを演奏することになっていた。といったSF的(物語の半ばで描かれるイメージはまさにSF的としかいえない壮大で宇宙的なものだ)あるいは幻想的、ファンタジー的、オカルト的な物語は、それはそれで興味深いのだが、そういった重々しい物語をひたすら日常的なノリのいい一人称で語ってしまう、これは語りの物語なのだ。これがいい。登場人物たちがみんな気持ちよく、面白く、魅力的で、そしてとにかく軽い。ぼくにはジャズの知識は乏しいけど、この楽しさはよくわかる。この幸福な結末にはひたすら嬉しくなってしまう。こういう小説もいいなあ。
『地を継ぐ者』 ブライアン・ステイブルフォード (ハヤカワ文庫)
ステイブルフォードですよ、懐かしいなあ。バイオやナノテクにより人々が限りなく不死に近い存在になった22世紀の世界で、未来をどうしていくべきなのかということがテーマになったSFだ。それで『地を継ぐ者』というわけなのだ。でもストーリーはアクションと陰謀が中心で、良くできたテクノスリラーという面が強い。しかし、ステイブルフォードだなあ、と思うのが、単純に悪と戦う話じゃなくて、いかにもステレオタイプから外そう外そうとしているのが感じられることだ。それはよくわかるのだが、逆に頭で書かれた話だなあという感想も持ってしまう。途中までは緊迫感もあってぐいぐいと読ませるのだが、何だかずいぶん大人しい話になってしまうのだ。