SFセミナー2001は5月3日と4日、いつものように開催された(今年はカナダ大使館へロバート・ソウヤーを招いて開かれた特別編もあったのだが、残念ながら参加できなかった)。本会の開始が13時からということで、われわれ地方からの参加者には便利になったといえるだろう。最初の講演が始まっても、まだプログラムブックが会場に届いていないといったハプニングもあったけれど、進行は順調で、内容的にも大変面白い講演が多く、大成功だったといっていいだろう。関係者のみなさんには、ごくろうさまでしたとお礼したい。なお、以下のレポートで一部の方の敬称を略しているが、他意はないのでご了承を。
最初の講演は昨年のSF大賞候補になった『レキオス』の作者、池上永一氏へのインタビュー。いやー、講演を聴いた人、誰もが思ったに違いないが、この人はすげー面白いお兄さんだ。沖縄はそれ自体がSFなのかも知れない。いや、これは誤解を招く表現だな。でもサマンサが無茶苦茶したり、ろみひーがうっかりすると火を噴き、空を飛んでいたかも知れないとか、そういうのも土地の魔力のためではないかと思えてくる。とにかく、計算して作っていった話ではなく、いわば物語の精が舞い降りて、キャラクターたちが好き勝手に動き出し、あれよあれよという間にふくれあがってできたお話だということだった。面白いエピソードがいっぱい聞けたインタビューだったが、詳しいことは省略。SFマガジン7月号にインタビュアー本人(鈴木力)によるレポートが載っているので、買って読んでください(ついでにロバーツ特集も読んでね)。とにかく、作者のぶっとんだ、だがそれでいて知的で緻密な思考に触れることができて、大満足な講演だった。
続いて河出文庫から出版の《20世紀SF》アンソロジーを編集した中村融、山岸真の二人に、担当編集者の伊藤靖を迎えて、小浜徹也が司会するパネルディスカッション。この種のテーマは、ぼくとしてはさほど目新しい話題ではなかったのだが、今回の収穫は中村融の新たなキャラクターが明らかになったこと。彼は高校のころから現在まで、膨大な量の読書ノートをつけているというのだが、その内容が、作品の原題や初出といった書誌事項の他に、原稿用紙換算の概略枚数まで記入してあるという。だから、これとこれで文庫一冊ぶんとか、計算ができてしまうのだ。試験が近づくとアンソロジーの構成を考えてしまうとか、まさにアンソロジストになるために生まれてきたような人だ。なお、ここで語られたいささか挑発的な「水鏡子を怒らせるようなアンソロジーを作りたかった」という言葉については、合宿の場で、第二ラウンドが繰り広げられることとなる。
これは今までになかったような講演。三橋順子さんは女装の大学講師としてトランスジェンダーを研究されている人。もともとSFが好きな天文少年だったが、特別ファンというような感覚はなかったという、いわばSFも読む普通の人。SFセミナースタッフの牧紀子さんや小谷真理さんとは着物の着付け教室で知り合ったということだ。最初はトランスジェンダーということについての説明。同性愛との違いについて、自分の性別が重要か、相手の性別が重要かという区分は(おそらく単純化されているのだろうが)わかりやすかった。さて、氏はSFにおけるトランスジェンダーについても研究されており、エフィンジャーのブーダインシリーズや、谷甲州の『エリコ』、コールダーや手塚治虫、柾悟郎、さらには戦前や戦後の名もない作家もひいて、議論をされた。われわれSFにどっぷりと浸かったファンからすれば、ある意味で、SFの外からのSFに期待される視線というものを感じ、これもまたSFの楽しみ方のひとつであると感じた。もうひとつの別の世界とのファーストコンタクトであり、とても面白い体験だった。
本会の最期は瀬名秀明氏の講演。氏は「SF」に対してアンビバレントな思いを持ち続けておられるということで、それを追求してみたという企画。パワーポイントを使って資料をまとめ、読者や編集者へのアンケート調査も含めて、いかにも講演会という感じの発表だった。後半が駆け足になったのがとても残念な、内容の濃い講演だったが、これまた詳細は他にゆずりたい。発表資料も、そのうちWEB上でも読めるようになるということだし。しかし、おそらく瀬名氏がこだわっているような、面と向かって「XXXはSFじゃない」というようなSFファンは間違いなく存在するだろうし、いや、ごく普通のSFファンだって、そういう発言をすることだってあるだろう。でも、そんなの無視したらいいじゃん、という、誰しもが思うことが、氏の場合どうしてもこだわってみたいポイントなのだろう。逆にぼくなどにはそこが理解できない。ずーっと昔のSFセミナーでぼくはSFとは文化的・歴史的存在であり、いくつもの定義領域の異なるSFが重なり合っているイメージを地層に例えて語ったことがある。批評をする上では、もちろんその文脈の中でどういう意味でSFという言葉が使われているかが明らかでなければ、「XXXはSFじゃない」という言い方は慎むべきだろう。しかし、瀬名氏がいっているのは、そういう批評言語の中でのSFではなく、もっと一般的な、大きなジャンルとしてのSFのことではないだろうか。ならばそれはむしろマーケティングや業界やファンダムの人的交流といった、作品内容とは無関係な〈社会〉の問題であって、分析や議論より行動あるのみ、やったもん勝ちの世界の話になるように思う。『パラサイト・イヴ』がジャンルとしてのSFに入らないといわれたのであれば、アホかと無視するか、お前のいうSFが古いんだよといえばいいのであり、そうではなくて菊池誠がいったような意味でSFではないといわれたならば、確かにそういう意味のSFではない、と認めるところからはじめるべきではないのだろうか。瀬名氏のSFに関する議論は、どうもそのあたりのレベルの混乱があるように思えるのだ。瀬名氏はSFをすごく硬い、一枚岩の団結がある、定義のはっきりしたジャンルのように捉えていらっしゃるような気がする。ぼくの実感とずいぶんかけ離れて思えるところである。そういう意味でも、最後に語っておられた「SFはSFファン以外の人に何を与えてくれるのか」という問いかけは、実はまったく無意味なものとしか思えないのである。まさかSFファンといっているのが、セミナーに来るような、コアなファンダムファンという意味じゃないんだろうねえ(でも実際そうとしか思えない)。SFが好きで、SFっぽい作品を良く読んでいるという人がSFファンなのである。そういう人にSFは何かわくわくするような娯楽や、日常から離れた感覚や、未知への思弁を与えてくれるものだろうし、そうじゃない人にとっても、何かの拍子にSFを手にとって、それをSFとして特別に意識することがなくても、何か新しい面白さを感じてもらえたらそれで充分だと思う。あなたが今読んで面白いと思った、それはSFなのですよと、あえて布教してまわる意味はどこにあるのだろうか。SFはもう充分に浸透しており、空気のように遍在しているものなのだ。問題はもっと狭い、個々のSFに関する、個別の批評がどうなのか、SFのジャンル批評はどうあるべきかということにこそあるだろう。そしてそれはSFをSFと意識するSFファンの中で議論されるべき問題だろう。瀬名氏はSFファンをひどく排他的な集団として見ているように思える。これは悲しいことだ。もしかしたらこの文章も、瀬名氏を批判し、SFがわからないやつはSFから去れといっているように読めるかも知れない。だとしたらとんでもないことである。『パラサイト・イヴ』も『BRAIN VALLEY』も紛れもないSFである(もちろんホラーでもある)。ただし、それ(特に『パラサイト・イヴ』)が英米の伝統的な本格SFとは手法的に異なるものであることも、明らかだといえるのではないだろうか。そういうものを好まない人もいるだろう。そこに新しい魅力を感じる人もいるだろう。とにかく、そういう色々なことを考えさせられる、大変刺激的で有意義な講演だった。
夜はいつものふたき旅館。ここへ来ると気持ちが落ち着く。さて、今回は大広間と企画部屋1を行ったり来たりして過ごした。
写真左は、海外SF同好会「アンサンブル」の部屋。加藤さんが海外SFの紹介をしています。何だかこの時間帯は意識が朦朧としていて、どんな内容だったかはっきり覚えていない。ごめんなさい。右の二枚は海外SFアンソロジーの部屋。赤い服の大森望お父さんが目立っております。大森さんの左にいるのが中村融さん。右は山岸真さんと水鏡子。ここではぼくも加わって、《20世紀SF》のリストを見ながら、これはダメ、これはいいと好き勝手なことを放言していました。中村融は本会のパネルディスカッションでは「アンソロジーはお徳用の福袋でいい」といった発言をしていたのだが、ここでの水鏡子やぼくの放言に対する反論から、いややっぱりアンソロジストとしてしっかり目次にはこだわり、非常に考え抜かれた作品選択をしているということがわかった。ともかく、こと70年代編に関しては、ここにいた誰にも文句のつけようのない傑作アンソロジーだという結論になった。みなさん、ぜひ買ってね。
下の写真、左は「ほんとひみつ はりまぜスペシャル」と題する企画。三村美衣が広げているのは東京創元社が作った江戸川乱歩自作スクラップブックの完全復刻版『貼雑年譜』(はりまぜねんぷ)。本当に完全復刻で、貼り付けた紙は動かすことができるし、裏も読める。まあ何というか工芸品というかおもちゃの世界ですね。
といった具合でいつのまにやら朝が来て、今年のセミナーもおしまい。本会といい合宿といい、内容の充実した参加しがいのあるセミナーでした。スタッフのみなさん、ごくろうさん。来年もよろしく。