内 輪   第128回

大野万紀


 ばたばたしている間に内閣が変わり、大森望さんはお父さんになり、つーことはもんちゃんがお母さんになり、桜が咲いては散り、十二国記の新刊は出、『ダーウィンの使者』(グレッグ・ベア)がネビュラ賞を取り、かくて世の中は確かに変わっていくのです。

 5月に出るSFマガジン7月号で、キース・ロバーツの特集をやることになり、作品選択をしました。あれも入れたいこれも入れたいとよくばったので、塩澤編集長と、訳者のみなさまにはずいぶん迷惑をかけてしまったと思います。地味で渋めな作品ばかり(アニタはちょっとましかな)だけれど、きっと面白いはずなので読んでやってください。
 ロバーツの短編をまとめて読んで思ったのは、SFもあるけれど本質的にファンタジーの人、それも何というか地に足のついたファンタジーの人だなということでした。リアルなこちらの世界とやはりリアルなあちらの世界が、分かちがたく結びついて、溶け合っている。彼のパラレル・ワールドものも、そういう感覚で捉えることができるのではないだろうか。ワイドスクリーン・バロックとは対極にあるようなものですが、どちらもイギリスらしさを強く感じるのはぼくだけでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『少年の時間』 デュアル文庫編集部編 (徳間デュアル文庫)
 少年をテーマにしたSF(とは限らない)オリジナル・アンソロジー。しかし、「少年」というと、ぼくなんかは小学高学年くらいを中心とした年代を思い浮かべる。高校生(ハイティーン)はもう「少年」じゃない、といったら違うのだろうか。さて上遠野浩平、菅浩江、杉本蓮、西澤保彦、平山夢明、山田正紀の作品が収録されているが、一番面白かったのは菅浩江「夜を駆けるドギー」。ネットの描写が今すぎてイヤな感じもあるが、それでも物語そのものが面白く、思春期直前の少年っぽさも表現されているように思えた。

『少女の空間』 デュアル文庫編集部編 (徳間デュアル文庫)
 今度は少女がテーマ。SFもあり、ホラーもあり、ファンタジーもあり。小林泰三「独裁者の掟」がずばりSF。でもこのトリックは何のためにあるのか。本書では、この作品に限らず、わりとトリッキーな話が目立った。二階堂黎人「アンドロイド殺し」はもちろんだし(これもSF)、篠田真由美「セラフィーナ」もそうだ(これはホラー)。しかし、どの作品も面白く読めたのだが、「少女」というテーマがさほどうまく扱われているとは思えなかった。「少年」よりもさらに扱いにくいテーマなのかも知れない。

『時の果てのフェブラリー』 山本弘  (徳間デュアル文庫)
 90年に出た作品の改稿版。時間重力異常地帯の謎に、オムニパシー能力をもつ11歳の少女がいどむ。えーと、こういう典型的なSFファン小説というのを読むと、何だか気恥ずかしくなってしまうのだよねえ。ちょっと謎のある(超能力をもっている)美少女が主人公で、心優しいが芯は強く、元気が良くておてんば(!)で、男の子とは対等以上にやりあうが、じつはとてもラブリー。しかも科学やメカにめっぽう強く、ほとんど天才。で意外と下ネタにも強かったりする。そういうヒロインがハードSF的な設定やディテールを細かく書き込まれたシチュエーションの中で、宇宙の謎といった大きな物語を解き明かす。いや、いいじゃないですか。実にSFだ。でも何だろうな、作者が一生懸命書いているのはわかるんだけど、やっぱりこのヒロインが問題なんだろうな。作りすぎ。作者が彼女を愛するあまり、彼女が〈自分で〉動いていないと思えてしまったのだ。もっとおバカな話なら問題ないのだが。

『スピリット・リング』 ロイス・マクマスター・ビジョルド (創元推理文庫)
 ビジョルドのルネッサンス時代のイタリアを舞台にしたファンタジー。歴史ファンタジーというよりは、大魔術師の娘と優しくて力持ちの青年、黒魔術師と簒奪者、亡霊とコボルトと動く彫像、そういったものでいっぱいの娯楽冒険小説だ。とにかく面白い。明るいのがいい。悪者も力強いし。クライマックスなど、魔法の力がまるでSFのように描かれていて嬉しくなる。ただちょっとあっさりしすぎかな、ここはもっともっと派手にして欲しかった気もする。

『ツェッペリン飛行船』 拓殖久慶 (中公文庫)
 翻訳の参考資料として買ったのだが、面白かった。著者は傭兵部隊経験者として有名な作家。いちいちかけそばの値段と比較したり、文章的にも何だかおかしいなと思えるところがあったりもするが、それはまあご愛敬。しっかり一次資料を集めて書かれており、特に写真が貴重だ。ツェッペリン伯爵のドラマチックな生涯も面白いし、飛行船と航空機の歴史それ自体も面白い。

『黄昏の岸 暁の天』 小野不由美 (講談社文庫)
 5年ぶりの十二国長編。時代的にも最新というか、十二国記の本編である驍宗と泰麒失踪の謎に迫る話。でもたぶん前編。11月に出るという書き下ろし長編が後編かな。延王と六太や陽子も出てくるし、色々な王様や麒麟が出てきて面白い。しかし、物語の中心にあるのは政治と信念、そして法とルールというものだ。西王母が出てきた時はついヴァーリイ(「ティーターン」シリーズね)を思い起こしてしまった。まさかSFにはならんだろう(少なくともあからさまには)と思うが、こういうこだわり方はSFのそれと同じように見える。

『エンダーの子どもたち』 オースン・スコット・カード (ハヤカワ文庫)
 「ゼノサイド」の直接の続編で、エンダー・シリーズの完結編。まあ、実際完結したといえる。しかし、上巻は登場人物が議論ばかりしており、正直読み進めるのがしんどい。下巻に入って、ようやく悩んでばかりではなく、物語が動き始める。それでも、物語やドラマに主題があるわけではなく、人々(や異星人)の生き方が主題なのであり、それも根本には宇宙にあまねく広がる魂の世界があるわけで、大きな意味では予定調和以外に結末があるはずもないのだ。解説で森下一仁氏が書いているように、本書は聖者の物語であり、個性をもった個々人の苦しみや葛藤が描かれているとはいえ、最終的には宇宙的な愛の世界に止揚されていくものなのだ。それを面白く読めるかどうかは、結局読者によるということだろう。後、カードの周縁国家と中心国家の議論は、いかにも底が浅く、つまらなく感じた。


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