続・サンタロガ・バリア

津田文夫


 F&SFを定期購読して20年以上になるけれど、ここ10年は書評とエディトリアル(今はないけど)ぐらいしか読まない。エディトリアルにヴァン・ゲルダーという名前を見たときは、ジャズの有名な録音エンジニアの息子かと思った。未だに確認していないのだけれど、誰か教えてください(中原尚哉さんなら知っておられるかな)。

 そのF&SF3月号が3日前に届いて、開けてびっくり。F&SFみずから10年ぶりというくらい久しぶりに個人作家特集を組んだ。それもルーシャス・シェパード! 何でまた今頃? と思ったのだけれども、キャスリーン・ダンのイントロがとっても素敵だったので、そのまま70ページをこえるノヴェラに突入。長いのをまともに読むのも10年ぶりぐらいだったので、ボキャ貧(死語)な現状を強く認識させられる結果となってしまった。
 詳しいことはきっと山岸真か小川さんが紹介してくれるだろうから、私がここでわざわざ恥をさらすこともないのだけれど、読後感の「ちょっとはっきりしない度」が高いので、ほんのサワリだけ紹介してみる。

 舞台は現代のモスクワ、でも時空間が少々ズレているかも知れない。基本的には、アヤしい娼館の娼婦に惚れ込んだ男が娼婦を身請けしようとして大金を持ってのりこんだはいいが、果たせず、娼館でアヤしい一夜を過ごした後、再びいつもの明日を思いながら帰っていくという、実に陳腐なハナシなのである。でも、中身はマジック・リアリズムのオンパレード。題して「エターニティそしてその後 Eternity and Afterward」。

 題からして、相当なものだけれど、この「エターニティ」というのが、娼婦の館の名前なのである。この主人公がイキナリ変なやつ(よくあるけれど)で、几帳面がきわまって朝起きる時間や身だしなみはもとより、顔の表情やセリフ回しまで一生懸命練習してから外へでるという、もちろん独身男。 彼が立っているのは雪の降る「エターニティ」の駐車場。娼婦の館の持ち主に愛する女の身請けを持ちかける約束の時間まで待ち続けているのである。そう、彼は絶対に時間に遅れないために随分前からここに立っているのだ。嗚呼、几帳面!
 ところでこの娼婦の館は外観は背の低いオンボロ建物なのだが、それは知る人ぞ(金持ちと権力者ってことね)知るで、豪奢な本体は地下にある。
 立ち続けているところへやってきたのが、彼の上司(当然、出っ腹のオッサン)。まずいとこに来やがった、とはいうものの上司の連れのアヤしいアイルランド人を紹介されてコイツもしかして殺し屋? と警戒する彼。実は彼もそういうお仕事もする人なのであった。遅れて館に入った彼は渋々上司と同席。でも上司の話は上の空、心にあるのは愛しい彼女を身請けすることだけ。それには館の持ち主に会わなければ! 一方、上司はアイルランド人(と読者)にこの店のアトラクションのハイライトについて講釈。「裸の娘が銀盆に一本の真っ赤なバラをのせてステージに現れる。それをオークションするんだよ、面白いんだぜ」。そう、これがこの話のクライマックスであり、彼と彼女の間は当然予想通りの結末が待っている。

 でもね、問題はその結末に至る中間にあるのです。オルフェというか「アイズ・ワイド・シャット」というか、悪夢の様に何度も舞台が入れ代わり、アイルランド人と殴りあいしてノックアウトされたかと思うと次の舞台ではアイルランド人を射殺したり。このアイルランド人は彼に「アイリッシュ・ミュージックを知ってるか」と聞き、彼が「U-2ぐらいは」と答えると「あんなクソがアイリッシュなわけがあるか、モリソンだよ、ヴァン・モリソン!」てな調子で、作者の趣味も丸出しなエピソードがあったり。

 そして館の主人はその存在さえ定かではなく、彼が会った主人と呼ばれる存在も本物かどうかあやふやだったりするし、別の舞台では彼が射殺した親友が登場して彼を慰めてくれたり、「ソルジェーニツィンも昔は偉大な作家だったかも知れないが、もはや耄碌ジジイにすぎん」などというセリフを吐いたりする。「エターニティ」は死者の館でもあるのだ。
 ここら辺が読解力のなさで、ちゃんと伝えられないのだけれど、この暗く幻惑的な一夜をくぐり抜けた彼は、最後に当たり前のように明日のことを思いながら家路についちゃうわけで、ナンなんでしょね、これは? と思わず思ってしまう。ま、それが狙い目なのかも−−って読めてない人間がいうことじゃないけれど。

 で、カッコいいイントロの方は、キャスリーン・ダン。名前は知っているけれど、それだけ。「あたしの口からいえる限りでは、ルーシャス・シェパード writes what he is and is what he writes だわ」って、 なんか日本の私小説みたいだけど、いきなりこうはじめられるとオッとくるじゃないですか。それに続いてシェパードの作品を声の多彩さを形容する矢継ぎ早のきらびやかな単語の羅列。常套手段とはいえ、ベスターの金言を思わせる書きッぷり。で、「あたしがシェパードとはじめて会ったのは、90年代の初め頃、シアトルのとあるうす暗いバーでお互いボクシング・マニアとして口をきいたの」と抽象的ハイブラウからシフトダウンして、現実世界のシェパードの横顔を描写してみせる。ここまで社会派マニアとしてボクシングに入れ込んでいたとは知りませんでした。それからダンはおもむろにシェパードのバイオグラフィーへと移る。お手元にF&SFの3月号をお持ちの方はぜひご一読を。


 てなところで、THATTA Online 初見参はおしまい。われながら日本語の壊れ具合が益々ひどくなってきたと感じた次第。次回はマイナーな女神たちその1として、最愛のエロゲー・ノヴェライズ作家、清水マリコ賛を書きたいのだけれど、秘密の紙ファンジンTHATTAならともかく品行方正を以てなるTHATTA Online ホームペ−ジでは、自己規制が必要だなあ。いや、私が書くんですから、間違ってもエロな話にゃならんのですけどね。ということで、次回はジェフ・ベックとクリムゾンとレイディオ・ヘッドで行こうかしら。マイナーな女神たちその2の倉橋ルイ子というのもあるし、こちらは清水マリコとちがって女性ボーカル我が生涯No.1という話です。


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