内 輪 第124回
大野万紀
ドラクエ7はまだ終わりません。
世紀の変わり目ではありますが、もちろん時間がそこから滝になって流れ落ちているわけでもなく、当たり前の日々が連続しているだけです。そうはいっても、21世紀という言葉には、SF者としてそれなりの感慨があるのも事実です。レトロな未来はノスタルジーの対象ですが、現実に未来は少しずつやって来ているのです。それは子供たちがいつの間にか成長していることでもわかるし、途中経過をとばして、過去と現在を比較してみてもわかる。意識されない少しずつの変化と、突然起こる大きな変化。それはこれから先もいっしょだろうし、変化を描く文学としてのSFも、まだまだいくらでもがんばれるというものです。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『人喰い病』 石黒達昌 (ハルキ文庫)
この作者の小説は初めて読んだが、非常に読み応えのある短編集だった。中でも「人喰い病」と「雪女」がいい。医学スリラーというか、ほとんどノンフィクションのように読める。派手さを廃し、淡々とした地味で堅めの描写の中から、息詰まるような迫力が現れてくる。徹底して科学的、論理的に導かれるストーリーは、最高級のハードSFとして読むことが出来る。だがそれは、決して無味乾燥なものではなく、ある意味残酷な、人間的なユーモアに裏打ちされている。後半の2編はより幻想的というか、壊れていく人間の内面がこれまた淡々と描写されていて、凄みと美しさがある。いずれも傑作。
『エンダーズ・シャドウ』 オースン・スコット・カード (ハヤカワ文庫)
カードの特長はとにかく小説がうまいということである。SF的に特別すばらしいアイデアがあるとかいうわけではないのだが、よくあるSF的設定がストーリーや登場人物に深くからんで、独特の効果を上げる。本書もそういう作品だ。もちろん本書は、名作『エンダーのゲーム』の姉妹編――『エンダーのゲーム』をエンダーの副官だったビーンの視点から描いたもの――であり、読者がすでに『エンダーのゲーム』を読んでいるかどうかは重要な要素である。単独でも面白いのに違いはないが、なぜ年端もいかない少年少女たちがこんな過酷な状況に置かれているのか、バガーとの戦いとはどのようなものなのか、これだけではぴんとこない場合も多いだろう。本書だけを見た場合、これはストリート・チルドレンだった天才少年が、激しい生存競争を生き抜き、そしてエリートたちばかりが集まるバトル・スクールに入って、年上の少年少女たちや教官たちと厳しい訓練に明け暮れる学園生活を送りながら、地球の危機と戦うというお話である。なんとまあ、マンガやアニメやヤングアダルト小説にいくらでもありそうな王道のストーリーだ。アンシブルの存在や相対論的宇宙での恒星間戦争といったSF的テーマは、本書では背景に隠れており、それは『エンダーのゲーム』との合わせ技で効果が現れるようになっている。だが、そんな王道的ストーリー、主人公が天才である理由とか大人たちの権力闘争とか、いくつかの味付けはあっても、基本的にはまったくシンプルでストレートなストーリーが、力のある作家の手にかかれば、こうも圧倒的な面白さを発揮できるのだ。本書の主人公にしても、彼は天才少年だ、というだけなら誰でもいえる。それを本当に天才少年として書けるのは、本当に力のある作家だけなのである。
『グッドラック 戦闘妖精・雪風』 神林長平 (早川書房)
SFMでは読んでいたのだが、あらためて読み直した。短編で読んでいた時とだいぶ印象が違う。ちゃんと長編としての一貫したストーリーになっている。短編を途切れ途切れに読んでいた時も、傑作だという印象はあったが、あらためて読むと、本書は人間ではない知性をしっかりと描いている、本物の傑作SFだった。しかし、会話体がとても変。まるで独り言がそのまま出ているような、会話とは思えないようす。でもこの小説ではこれが正解。コミュニケーションがストレートにできず、まさに不可知戦域を経由しないと届かないというような、そういう雰囲気が描かれている。それはジャムも、雪風も、深井も、准将も、あらゆる登場人物(人間じゃないものも含めて)がそうなのだ。でも、そういう深いテーマを持つ本格SFとは別に、これがまったく普通の戦争SFだったとしても、この話だったら通用しそうに思える。神林ならそういう話も面白く描けるはずで、そっちも読んでみたい気がする。
『地球環』 堀晃 (ハルキ文庫)
〈情報サイボーグ〉シリーズを集めた短編集。堀晃の描く小説に物語性は希薄である。そこにあるのは科学的アイデアから見えてくる、あるいは見えてくると想像されるような情景である。クラークならその情景を具体的なものとして描くだろう。ものとして描けない場合も、個人から離れた大きな物語として描くだろう。堀晃は鋭い感覚でつかんだ先端的なアイデアを、個人の内面に沈潜させる。クラークや海外のハードSF作家とは明らかに視点が違うのだ。そこで彼の作品には、他の人々とは違うものを見てしまった人間のもの悲しさ、寂しさが漂うことになる。本書のシリーズにはとりわけそれが顕著だ。同じ作者のシリーズでもトリニティのシリーズは、トリニティという他者が存在し、キャラクター的な魅力があるため、ずっと読みやすい。本書の場合、大きなアイデアを扱いながら、物語の印象はとても地味なのだ。もちろん、それがいいところでもあるのだが。エルゴード性、停止問題、定常波といった懐かしいキーワードが嬉しい。
『ファイアストーム』 秋山完 (ソノラマ文庫)
火星SFは好きだ。ブラッドベリもクラークも、川又千秋も谷甲州も、キム・スタンリー・ロビンスンも、イアン・マクドナルドも、ヴァーリイも。大きな時間の流れが描かれているSFは好きだ。数百年、そして20億年。ちょっとセンチメンタルなSFも好きだ。だから本書はとってもぼく好み。お茶目すぎるセリフにしらける部分もあるのだが、ぎりぎり許容範囲。このままでも傑作といえるが、いくつかある余分な要素を取り去って、ファンタジイの部分をもう少し工夫して(まあこれがいいという人もいるだろうから、いちがいにはいえないが)ストレートなSFとして書けば、大傑作間違いなしだ。
『エリ・エリ』 平谷美樹 (角川春樹事務所)
第一回小松左京賞受賞作。テーマはまさに小松左京だ。地球外生命体の探求というSF的なテーマに、神(ここではキリスト教的な絶対神)を信じることができなくなった人類が「神の科学的証明」をめざすという哲学的テーマがかぶさる。この信仰の問題に関する部分が本書の中心となっていて、キリストの物語を挿入しながら、思弁を深めようとするのだが……。正直この部分が作者が力をいれているわりにはぼくらにうまく伝わってこない。新たなビジョンを提示しているわけでもなく、登場人物たちの切実さが、空回りしているようにすら思える。その他の物語、政治的陰謀や、異星の宇宙船とのランデヴー、木星軌道上での生活なども、それぞれは面白く読めるのだが、大きなテーマの回りを巡っているだけで、どこか中途半端な印象が残る。話を絞れば、もっとストレートな傑作になったかも知れない。しかしまあ、新人でこれだけ書ければ十分という気もする。今後の活躍に期待したい。
『文字禍の館』 倉阪鬼一郎 (祥伝社文庫)
短いホラー小説。文字禍というぐらいで、文字というか、漢字が怖いという話。怖いというより、何だか笑えるのだけれど。禍々しい文字が次から次へと出てくる。何で文字が恐ろしいことをするのか、さっぱりわからないのだが、まあいいのでしょう。奇想小説として面白かったのは確か。だからどうしたといわれても、困るよなあ。
『侵略者の平和 第二部/観察』 林譲治 (ハルキ文庫)
評判の高いシリーズの第二部。というか、これは一つの長編の一部分ですね。とにかく設定には凝ってある。部隊の名前の付け方まで細かく考えられている。そういうのが作者の持ち味なのだろう。安心して読むことが出来る。圧倒的に科学力の格差のある文明の衝突なのだが、科学力以外はほとんど似たような物で、前も書いたが、登場人物たちはどちらがどちらの文明に属していてもほとんど変わらないように描かれている。とてもゲーム性が強い小説だといえるだろう。大変なことがおこっているというのに、登場人物たちはずいぶんお気楽な連中だなあと思うが、それも、リアリズムよりフェアなゲーム性を重視したと考えれば理解できる。ストーリーはあいかわらず面白く、早く続きを読みたくなる。
『20世紀のSF(1)/1940年代』 中村融・山岸真編 (河出文庫)
懐かしSFの年代別アンソロジー。いつ読んでも変わらない傑作と、歴史的価値のある話と、編者には価値があったんだろうけど? という話が混ざっている。ぼくが好きなのは、ブラッドベリ「万華鏡」、ムーア「美女ありき」、ハーネス「現実創造」など。普通に面白いのはブラウン「星ねずみ」、アシモフ「AL76号失踪す」、テン「生きている家」など。ブラッドベリは結末の3行がはじめからわかっているのに、やっぱり泣ける。天と地、俗っぽさと崇高さの対比がいいよねえ。でも翻訳は昔の方が好き。ムーアは確かにティプトリーだ。「現実創造」は今の言葉でいえば強い人間原理の話で、やっぱりハーネスはすごい。40年代ということで、原子力というのが魔法の言葉になっている。今で言えばナノテクに当たるのだろうか。
『奇憶』 小林泰三 (祥伝社文庫)
『文字禍の館』と同じ祥伝社400円文庫。あっという間に読めるのはとてもいい。これはやはりイヤだ系な話。汚いアパートにまともな仕事もせず暮らし続ける廃人みたいな男が、えんえんと痛くて嫌な感じに描写される。一方で、彼の子供時代の記憶が描かれるが、それは月が二つあったりして、ファンタジーっぽい。だけど、読んだ印象は圧倒的に主人公の人物描写にあって、ファンタジーの部分はどうでもいいというか、何だかうまく結びつかない感じだ。この結末だとやっぱり悪いのは世界だということになってしまうのでは? それでは人物描写のすごみが薄れてしまうように思う。