みだれめも 第124回

水鏡子


 結局『ドラクエVII』をするために、プレステ2を買った。ゲームひとつに五万円の出費である。
 裏ヴァージョンへの試行錯誤でラスボスを4回も倒したのに、小さなメダルが99個(!)しか集まらない。ダウン。序盤のシナリオは因果を含めた(使い方が変です、古沢様)暗さのある内容でとてもよかった。リセットしても過去は変えられない、過去は一生ついて回る、という堀井雄二の今様教育的指導が感じられる。中段以降はまあふつう。個別のエピソードはそれなりにパズル性もよくまとまりがあるけど、過去と現在を行き来して、宝箱を開けるくりかえしには正直くたびれた。第2の封印はシナリオ的に安直。だらだらやって130時間かかった。根を詰めてやっても、80時間は必要だろう。大作といっても60時間くらいが適当な長さと思える。総合評価中の上。
 眼の調子が悪くて読書量が大幅に落ちている。

 ドラクエ130時間とか書いたあとでは、説得力に乏しいのだけど、実際最近本を読むとき眼鏡をはずさないといけなくなった。
 それで思ったのは、これまでの読書というのは二度読みしている部分があったのではないかということ。つまり、一行一行に焦点をあわせて読んでいるのにちがいはないけど、これまでは、それと同時にページの版面全体をぼんやり一緒に読んでいて、ページ上のそれまでに読んだ部分を咀嚼し、イメージを定着させる支えとし、これから読む部分について、大まかな感触を先行取得し、実際にその行を読むときのスタンスを決定させていたのでなかったかということ。ページの面把握がつらくなるにしたがって、読んだシーンのイメージを頭ん中に定着させるのにてこずって、読みながら読んだ中身が抜けていき、読み返さないとなにが書いてあったかがわからなくなるといったケースが増えている。下手すると1冊読むのに若いころの3倍くらいの時間がかかり、それでいて読めてる中身は薄くなっているのでないかと不安になる。

 そんな状態の中で話題の作家は増えていく。

 評判だけを記憶して自分のなかの作家俯瞰図に記録しておくのが精一杯で、周回遅れの一本釣りが常態になってきている。
 池上永一もそうだったけど、古川日出男も遅ればせ。今年出た『アビシニアン』ではじめて手にした。文字を捨てた娘と文字に支えられた若者の、存在のしかたをめぐる緊張をからめたラブストーリーかと思ったけれど、娘のパワーが強すぎて、結局文字を捨てた娘の物語におちついた。スティーブン・エリクソンのヒロインと共通する印象があり、好きなタイプの小説だけど、世界の物語というよりキャラクターについての物語でしかないというところで、評価中の中、マイナス寄り。評判の『13』『沈黙』も読まなければと思うとこまではいかなかった。

 とりあえず上遠野浩平は全部読んだ。個別の評価はブギーポップと比較して、どれも中の中どまりだけど、作家評価としては上の下あたりに位置している。単に好みだというだけの話かもしれない。
 一応同じ宇宙に属する2作品だけど、『冥王と獣のダンス』はシリアスとユーモアのバランスに難があり、うすっぺらくなっており、『ぼくらは虚空に夜を視る』は趣向を凝らしすぎてよそよそしさが生じ、ブギーポップのときのような作者のある種の自然さにやや欠けるところがある。学園版鼠と竜のゲームというとんでもない設定には参りましたの一言なのだが。
 実はボリュームの問題というのがけっこう大きいかなと思う。RPGのルーティンワークと不評の『殺竜事件』がじつはぼくとしてはいちばん不満を感じず、楽しめたのだけど、あらかじめ悪い評判をたくさん聞いていたせいも少しはあるけど、それより、型にはまった話であり、しかも原稿枚数が多いぶんキャラクターに仮託された作者のスタンスみたいなものがいちばんすなおに滲み出ていたせいでないかと思っている。ヤングアダルトの三百枚前後の枚数の中で、異世界設定に頭をつかい、相当量のアクションを盛り込んだのでは、どうしても話がうすくなりやすい。

 恩田陸『ネバーランド』『麦の海に沈む果実』はやや期待はずれ。登場人物の耽美系のネーミングへの軽い拒否反応もある。とくに『ネバーランド』の陰鬱な告白合戦の前と後とで4人の間の互いの距離の取り方にほとんど変化が生じないのに読んでてつらいものがあった。

 津守時生『やさしい竜の殺し方』つまらなかった。

 ロバート・アスプリン『魔法探偵、総員出動!』軍隊とか会社組織から抜け出そうとして、馬鹿なことをして、それが上層部に評価されてどんどん出世していくってのは、山のように見聞きした気がする。コメディの基本パターンといってもよく、あとはそれをどう気持ちよく演じてくれるかだけかもしれない。楽しいし、次号が楽しみ。

 ウィリアム・ギブスン『フューチャーマチック』を読んだあとって、自分のなかになにかくっついたという感じがなにもない。けっして悪い出来ではないのだけれど、良くも悪くも読む前に予想していた枠内の読後感にとどまって、裏切られることがない。アスプリンだって同じだけれど、アスプリンの場合だとしょうもないけど楽しめればまあいいやといった意味での楽しさがくっつく。そういう楽しみ方を許されないところにギブスンの置かれている立場のもつある種の不幸というものもある。一介の電脳風俗未来小説として楽しみたい。エフィンジャーなんかだとかなりそういう楽しみ方ができるところがあるのだけれど。 


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