第39回日本SF大会
大野万紀
2000年8月5日、土曜日。第39回日本SF大会「Zero-CON」1日目。
パシフィコ横浜についたのは10時30分を越えていた。ロビーで受付。クロークへ荷物を預ける。会場が広く、会議室内での分科会形式なので、あまり会場がごった返しているという印象はない。最後のエンディングにほぼ全員が集まったとき、こんなに参加者がいたのかとびっくりしたほどだ(1500人ぐらいだったとのことだ)。
とりあえず、ディーラーズへ。堀晃さんに挨拶。都築由浩さんや野尻抱介さんなど作家の方々とも挨拶。SF資料研究会では、SF書籍データベースのCD−ROMを買った。これはオンラインでも検索可能だが、ちゃんと購入しておくべきものだと思う。ディーラーズの奥では、牧夫人らがオークション用の古本を並べている。合宿がないので、展示してある本の下に名前と希望額を書き込む形式だ。さっそく何冊か登録しておく。
昼からは何を見ようか迷ったが、とりあえず、今度の大会のメイン企画といってもいいだろう、リレー座談会「SFの20世紀」へ。今回の大会は企画面からは大成功といっていいと思うのだが、その反面、いい企画の時間が重なってしまい、どちらかをあきらめねばならないという問題があった。しかしこれは贅沢な悩みのたぐいであって、あえて文句をつけようとは思わない。ただちょっと悔しい感じがするのも事実である。
最初に見たのは伊藤典夫さん、柴野拓美さん、野田昌宏さんの「SFというジャンルの確立」。元々社SFシリーズあたりの時代の話だ。
手塚治虫の『アトム大使』にハインライン『宇宙の孤児』の影響が見られるが、それは直接的なものではなく、ジェネレーション・スターシップという概念が新聞のコラムなどの断片的な情報で伝わり、それを直ちに理解した結果ではないか、とか。
手塚さんのはわからないが、光瀬さんがサイボーグものをアメリカよりも早く書いたのは、新聞の科学記事でサイボーグという言葉を見て、それをすぐに作品に生かしたからだという。
また、元々社シリーズに関しては、会場の高橋良平さんから、アメリカ軍の肝いりだったのではないか、文化交換局の資金援助があったらしく、現在その調査をしているという興味深い話があった。
その後、グループSNE代表、安田均さんの「ゲームとSF」の部屋へ。安田さんがSF大会に参加されるのはずいぶん久しぶりじゃないだろうか。ぼくとしてもずいぶんご無沙汰である。社長業で大変お忙しいということだが、話しぶりも見た感じも昔のまんまだ。何だか、あのKSFA創世の頃の、何かといえば集まってボードゲームをしながらSFの話をしていた頃を思い出してしまった。
2000年のSF大会ということで、大会全体のコンセプトなのだろう、歴史を回顧し、総括するといった方向の内容だった。おかげでぼくのようなゲームの現状にうとい人間にもよくわかる話だった。色々と懐かしい黎明期のエピソードを交えながら、ウォーゲーム→RPG→トレーディングカードゲーム→ドイツ製の新しいタイプのボードゲームというゲームの流れ(それは安田さんの興味の流れでもある)に沿って、海外の事情、日本での受け入れられ方、今だから話せるような裏話など面白い話が続く(ぼくでも面白かったのだから、ゲームファンにはこたえられない内容だっただろう)。
安田さんのゲームへの関わり方は、まずはSFと同じで、新しいアイデア、センス・オブ・ワンダーをかき立てられるものを求めてのものだったという。しかし、大局的に見れば、SFがアイデアや新しいものの考え方を常に求めるものであるのに対し、ゲームは大きな枠(ルール)の中での、様々なモザイクであったり、シミュレーションであったりして、保守性や安定志向がそのベースにある。けれども、現在はどうなっているかというと、SFは新しいものをつかみかねているように思え、むしろゲームの方が新しいもの、面白いものを常につかもうと努力しているようだ、とのことだった。このあたり、ゲームの世界でも常にセンス・オブ・ワンダーを求め続ける安田さんは、やっぱり70年代の人だなあと、共感できるところが多かった。ただし、ゲームのプレイヤーはというと、楽しいお約束の世界へ閉じこもりがちであるとの苦言も呈しておられた。
最近は忙しくてSFがほとんど読めないという安田さんだが、ぼくを見つけて、最近ではどんな新しいSFがあるのですかと聞かれてしまった。あわてて、イーガンとかバクスターとか名前を挙げたが、SFとしては新しいのだけれど、まだSFファンを越えた一般受けはしていないようだというと、それが問題なんですねといわれた。むしろロバート・ソウヤーやダン・シモンズなどをアピールすべきだったと後で思った。新しいアイデアということで、ちょっとハードSFよりに考えすぎてしまったかも知れない。海外SFなどほとんど読まないが、SFっぽいゲームや映画が好きだというような人にとっても、ダン・シモンズなんかは面白く読めるのではないだろうか。ばりばりのSF用語が出てくるとそれだけでもうダメだという人には向かないだろうけど、『ハイペリオン』シリーズなんて、ゲームになってもきっと面白いと思う。
途中からになったが、リレー座談会に戻り「初期の日本SF作家」を見る。石川喬司さんが司会で、小松左京さん、森優さん、高橋良平さん、森下一仁さんが、日本SF作家協会誕生時の録音テープを紹介する。これはまさに貴重な資料というべきもので、福島正実さんがうわさ通りに仕切っている。プロとアマを峻別しようとする姿勢など、先の柴野さんの話と合わせて、当時の日本SF界にあった闘争のありさまが浮かび上がってくる。
とても興味深かったのだが、ファンジン大賞に出席しないといけないので中座する。
さて、ファンジン大賞である。今年のファンジン大賞はTHATTA関係者が多数受賞している。エディトリアルワーク部門で蛸井潔「糸納豆EXPRESS 34号」、翻訳・紹介部門でTHATTA ONLINE 146号掲載の水鏡子「文庫解説の系譜 ―読書展開の指針として」、研究部門が岡本俊弥「夏をめぐるSFの物語」、柴野拓美賞が小浜徹也という具合だ。何はともあれ、まことにおめでたいことであります。岡本俊弥は不参加だったので、ぼくが代理で賞状と記念品(時計)を受け取る。水鏡子が晴れがましそうにしていたのが印象的だった。他の受賞者についてはSFオンラインに速報がある。
続いて星雲賞の授賞式。第31回2000年星雲賞は以下の通り。
まあ、多くの人が納得する結果だったんじゃないだろうか。もっとも、海外短編部門に関しては、伊藤さんがスピーチで、短編集の表題作が受賞することへの疑問を呈していた。基本的に雑誌掲載時には受賞せず、同じ作品が短編集に入った時点で受賞するのはおかしいということだが、ルール的な問題は武田議長も検討すると答えていたので、後は星雲賞そのものの意義とかそういうレベルの問題だと思う。ぼく個人的には星雲賞は何でもありでOKと思うのだが。
2000年8月6日、日曜日。SF大会2日目。
朝、会場へ着くと、長谷川裕一コスプレパレードというのがはじまっていて、コスプレ(というか、怪獣の着ぐるみっぽいのが多かった)した連中と見物人がわーわーと気勢を上げながらホテルのロビーを練り歩いている。
ところで、堺三保くんと水玉蛍之丞さんがいっしょにこのパレードを見ていたのだが、そこで「大人げないねー」と堺くんが一言。どの口がそういうかーと、みんなで突っ込む。菊池一家もいたが、遊ちゃんはコスプレ怪獣を見て怖がっていた。中にいかにもレトロなロボットっぽい、箱形のロボットの着ぐるみを着たのがいて、これはアイデアといい動きといい、とても良くできていた。と思ったら、後で暗黒星雲賞を受賞したと聞かされた。
2日目の最初は菊池誠さんと志村式折り紙部屋をのぞく。菊池さんの新開発した、なんちゃってアノマロカリスを披露するためだ。これは、まずできあがりを上から見ると、なるほどそういわれればアノマロカリスに見えないこともないが、まあほとんど鶴だね、という感じなのだが、そこで裏返して見せ、でも口はちゃんとついているぞと、手の込んだアノマロカリスの口を見せるという仕掛け。オチがついている折り紙というわけだ。で、大いに受けました。良かった良かった(後で、もっとすごい改良型ができたみたい)。
ぼくは一人でまたリレー座談会「SF雑誌の創刊ラッシュ」へ。森下さんの司会で、新井素子さん、神林長平さん、山田正紀さん、川又千秋さん、谷甲州さんというメンバーだ。いわゆる第二世代というのかな。印象に残った発言を以下に記す。
新井素子「父がSFMを創刊号から持っていた。銀背もそろっていた」。
川又千秋「スター・ウォーズを見て、こういう手口もあったかと驚いた。過去のいいもの、好きなものを切り張りし、モザイクするやり方もアリだと」。
神林長平「社会的に認知される職業として作家を選んだ。特にSFを目指したというわけではなかった。父がSFMを、母がミステリマガジンをとっていた」。
山田正紀「SFブームはすぐにダメになる予感があった。逆に『超博物誌』のような作品を書けるチャンスととらえた」。
谷甲州「ネパールまで、4ヶ月遅れのSFMと奇想天外を送ってもらっていた。スター・ウォーズの盛り上がりにははがゆい思いがあった」。
そして、当時のいわゆるSFブームに関して。
川又「SF雑誌が続々創刊されたというが、本誌にはSFなんか載せたくないから別雑誌にして放り出したという感じだった。しかし、それを読んで育った若い編集者が今出版界に入ってきている。そういう効果はあった」。
新井「集英社文芸にSFの好きな編集者がいて、デビュー当時からずっと応援してくれていた。しかし、当時はSFを書かせてもらえる環境になく、いっしょに仕事ができたのはずっと後になった(それが『チグリスとユーフラテス』だった)」。
森下「ブームのころの熱気という話へ持っていこうとしたが、現場はしらけていた」。
山田「短編集が出せるのはSFばかりだったり、スター・ウォーズのヒット、『日本沈没』のヒット、筒井さんのブレークなど、個別の現象は確かにあった。しかし、SFブームというものは実体としてはなかった」。
今後の方向として、
山田「最も影響を受けたのは今考えるとニューウェーヴだった。バラード、オールディス、ゼラズニイ、ディレーニイといった作家の作品だった。今後はSFとミステリの比率を3:7くらいにして、ある程度は売れて、クオリティの高いものを目指していきたい」。
谷「SFもコアとして続ける。あまりSFを読まない人でも面白く読めるファーストコンタクトものなんかいいかも。日経新聞しか読まないおじさんでも楽しめる宇宙小説が書きたい」。
神林「バラードに最も影響を受けた。1つのことを手を変え品を変え小説にしている。すなわち、世界について何も知らない自分には、世界がこのように見えるのだということを。20代の頃は人間が嫌いだった。しかし最近は、カオスとしての人間が面白くなった」。
新井「作家としての体力をつけたい。明るい話を書くには体力が必要だ」。
次に大森望の企画「ジャンル対抗最強決定戦」をのぞく。SF、ミステリ、ホラー、ファンタジーから、それぞれの作家がこれこそ最強の悪者(人じゃない場合もあるが)だというのを選んで、トークバトルするというもの。途中色々ありましたが、決勝戦はSF代表山田正紀さん推薦のリプリー(『エイリアン』のリプリー。あいつが実は真犯人で、最強の悪者だったと、様々な理由を挙げて説明された)に対し、ファンタジー代表菅浩江さん推薦のウェンディ(『ピーターパン』のウェンディ。何というか、いけ好かないイヤな女だということを得々と京都弁で説明し、とても説得力があった)。結果はリプリーの勝利だった。これはまあ山田さんの力の入れ方が違った(この日のために何ページものレジメを用意されていたということだ)というところでしょう。
次にのぞいたのは「押井守・光瀬龍を語る」。これは途中からだったが、とても面白く、興味深い話が聞けた。もっとじっくり聞くべきだったと思った。
押井さんは高校生のころから光瀬さんの大ファンで、光瀬さんの自宅に上がり込んで直接話を聞いたりしていたそうだ。とにかく阿修羅王が大好きで、それはまさに幸福な出会いであったとか。高1のころ、『たそがれに還る』をレジに持っていったら、レジのお姉さんに「きれいなタイトルね」といわれ、それだけで1ヶ月は幸せだった……などなど。アニメの道に進んだが、最後には言葉へ還るだろうとのこと。
最後に顔を出したのは「LIVE版日本人補完計画」。菅浩江さん、五代ゆうさん、牧野修さん、田中啓文さん、田中哲弥さんというメンバーで、このタイトルで一体何をするのだろうと思っていたら、まずは菅浩江と五代ゆうで和服と日本舞踊の話。なるほど、それで日本人補完計画か。
第二部がW田中による落語の話。ところが、落語の話というよりは話があっちこっちいって、結局は落語な話になってしまった。
最後は菅浩江さんと牧野修さんで、なんとボンデージ・ジャパネスクと題し、牧野修が語るSM(というか縛り、というかボンデージ)の話。西洋のSM(ボンデージ)と日本の着物が関連がある(締め付けるから)というテーマだったらしいのだが、牧野さんがどんどん深い方へ話を進め、みな、なるほどそうだったのかと納得(何を?)。しかし、これではやばいと思ったのか、牧野さんは、今話しているのはぼくのことじゃないですからね。ぼくの知り合いの話ですからね、と必死のフォロー。はいはい。
最後に全参加者が集合し、エンディング。といっても2003年のSF大会をどこにするか、参加者で投票するということだった。ちなみに2001年は東京(幕張だから千葉だという説も)。2002年は島根と決まっている。2003年に立候補したのは大阪と栃木。かたや都市型、かたや地方型と特徴がある。このプレゼンテーションをしている間に、会場がゆらりと揺れた。明らかに地震だ。伊豆の連続地震の影響か。投票結果は公表されていないが、どうやら栃木に決まったようだ。2泊3日の完全合宿型でやるらしい。
20世紀最後のSF大会はかくして終わった。関係者の方々にはごくろうさまでしたと感謝したい。よい大会をありがとう!