内 輪 第120回
大野万紀
まだ夏です。暑いです。さて既報の通り、本誌146号に掲載の水鏡子「文庫解説の系譜――読書展開の指針として」が、第19回ファンジン大賞〈翻訳・紹介部門〉を受賞しました。THATTA会員では、さらに岡本俊弥「夏をめぐるSFの物語」が研究部門、蛸井潔「糸納豆EXPRESS 34号」がエディトリアル・ワーク部門を受賞しました。また、小浜徹也がファンダムへの貢献により柴野拓美賞を受賞しました。ごっついタイトルの割には内容は大したことないんじゃないか、とは本人もいっていることですが、とにかくめでたいことなので、THATTAの梅田例会でも、水鏡子と岡本俊弥の受賞祝賀会を開きました。
水鏡子は花束を受け取っても、照れて照れてもうしょうがなかったのですが、よっぽど嬉しかったのでしょうか(何ていうと、また恥ずかしがるんだろうな)。まあ、すなおに喜んでください。そして今後も読み応えのある原稿をお願いしますね。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『亡国のイージス』 福井晴敏 (講談社)
読んだ人がみんな誉めている。とても分厚い本で、書き込みもぎっしり。でも確かに読み応えがあり、長さも書き込みの密度も気にならない。迫力のある男たちの物語である。軍事スリラーといえばいいのか。究極兵器を手にしたテロリスト集団がイージス艦を占拠し、東京にミサイルの照準を定めて日本国を脅迫する話。テロリスト集団と特殊部隊の隊員を除いては、活躍する男たちはみな超人ではない普通の人間だ。それが極限状態の中でぎりぎりの力を見せる。息もつかせない、これでもかというほどの戦闘シーンはとても迫力があり、確かに映画で見たい気もする。堪能したのだが、やや気になった点もある。それは、マインドコントロールされたテロリストはともかくとして、普通の人間、現代の普通の日本人だったはずの人々が、復讐だったり政治的信念だったりするとはいえ、どうして1000万人の殺戮も可とするような心境に至り、それがこんなことになるまで継続するのかということだ。そこのところがもう一つ説得力に乏しい気がした。みんなが何かの信者とも思えないし。特に中心的な人物の動機が弱いように感じた。いや、それでも面白かったことに間違いはないのだが。
『ピニェルの振り子/銀河博物誌1』 野尻抱介 (ソノラマ文庫)
19世紀の人々が何ものかによって銀河の星々へ運ばれ、そこで超テクノロジーの遺産を手にして恒星間の超光速飛行ができるようになっている世界。しかしその他の技術や文化については、19世紀とあまり変わっていない、という設定。宇宙の大航海時代といったイメージで、そこで珍しい標本を蒐集する博物商、貴族、画工といった人々の物語を描く……おお、ロマンティックで、どこかノスタルジーな感じ。〈博物誌〉という言葉からも、いかにも想像力を刺激される面白い物語が始まりそうだと期待させられる。作者得意の宇宙ハードSFの世界とはちょっと毛色が違い、物理学や工学よりも(いやちゃんとそれもあるのだが)、博物学、生物学、昆虫採集、鉱物採集、エトセトラといったあたりが重視され、人間の等身大の技能がより力を発揮する世界である。パトロンの貴族や博物商は、興味深い人物ではあるけれどわりと類型的なのに対し、画工のヒロインがヤングアダルトではちょっと見られないような、クールでとっつきの悪い女性として描かれており、なかなか面白い。主人公の男の子はとても元気で、思いこみは激しいが明るく前向きな、好感度の高い少年であり、冒険SFの主人公として申し分がない。今回は作品世界の雰囲気作りに主眼があったようなストーリーで、その点では成功しているといえる。ただ、世界を破滅に導く巨大な謎と、まさしく博物誌の要であるような珍奇で巨大な生物が登場したのに、比較的あっさりと扱われてしまったのはちょっともったいない気もした。
『セントールの選択/魔法の国ザンス13』 ピアズ・アンソ二イ (ハヤカワ文庫)
翼あるセントールの子供チェがゴブりンにさらわれた。そこに〈二つの月のある世界〉から迷いこんだエルフの少女ジェ二ーがからむ。はじめはよくある救出劇かと思わせるが、それが何組かの男女の選択と決断の物語となっていく。それにしても、五才のチェがとても賢いのに、最も重大な決断をしなければならないドルフのおバカなこと! 誰にも答えはわかっているというのにね。総じておバ力な男たちの態度にいらいらしない限りは、これまでのザンスにくらべても緊迫感があり、面白く読める巻だった。しかしまあ、〈大人の陰謀〉ってこういうことだったのね。今回とうとう最後にそれが暴かれるのだけど、結婚した二人がコウノトリを呼ぶためにすることって、こんなことだったのか。ぼくも初めて知りました。センス・オブ・ワンダー(というか、アホらしいというか)です。そういえば、人間が卵から生まれる〈十二国〉でも、同じようなことをするのかも知れないなあ。
『美濃牛』 殊能将之 (講談社ノベルス)
作者の二作目。ミノタウロスですか。前作に比べ、今度は定型的な伝奇ミステリの要素(横溝とか)がてんこもりで、何というか、もっとポップな感じになっている。何と、名探偵まで登場するし(この名探偵がなかなかいい。連続ものになってもやっていける魅力があると思う。もっとも警察まで一目置くようになる、その図抜けた人間的魅力というのが、作品の中では具体的に描かれ切れてないと思う。だって普通怪しいじゃん、こんな人)。事件の謎が途中で半分ほどわかるので、伝奇的なおどろおどろしさは薄れ、和らげられている。そこら辺も、軽さやユーモア感覚をねらった感じで、前作ほどの鋭さには欠けるが、もっと落ち着いた魅力を感じさせていて、悪くはない。疑問点がいくつか。まず、鋤屋和人という存在。プロローグでいうように少し狂っていたのだとしても、そんな人間関係がこれまで長期間安定していたのはなぜなのか。それともちろん、一番の疑問はあの人である。プロローグとエピローグで示唆されているように、名探偵の推理で事件が解決しても、その怪しさは全く解消されていない。もしかすると、われわれは別の迷宮をさまよっていたのかも知れないとさえ思えるのだ。何だかすっきりしない、あいまいな結末。ディレーニイの言葉によれば、それこそが良い小説の条件だということだが、こういうテレビドラマになってもいいような作りの小説でも、それは正しいのだろうか。ぜひ、もう一枚タイルが欲しいなあ。