みだれめも 第120回

水鏡子


 ぼくごのみの漫画家だれかいないかと近くの漫画読みの元おねえさまがたに尋ねて、谷地恵美子という名前を教わったのはだいぶ前のことである。
 さすがに、榛野なな恵、逢坂みえこ、槙村さとる、山下和美とならべたうえに谷地恵美子まで重ねるとヤングユウを毎号買った方がいいような気がするということで、棚上げしていたのだけど、百円で買った『明日の王様』第1巻でつぼにはまって、一月足らずで30冊が積みあがった。
 『明日の王様』は芝居業界コミック。『ガラスの仮面』『ライジング』『アクター』など劇中劇プロットを駆使した文字どうりドラマティックな傑作が目白押しのジャンルである。女優ではなく演出家を主人公におく新機軸を打ち出し、これは、と思わせたのだけど、展開があれよあれよで説得力に欠ける。基本的には心地いいサクセスストーリーだけど、まあ並どまり。まとめて読んだなかでは、『オモチャたちの午後』がベスト。
 ただ『明日の王様』を読みながら、シナリオと役者と演出の食い合い、しのぎあいについてけっこういろいろ考えさせられた。ほとんど同じ話が、シナリオライター・役者・演出家、だれが主導権を握るかでまるで異なる感触に仕上がる理屈が実感された。さらにたとえば演出家が主導権を握ったとして、その演出家のスタイルによっても舞台はまるでちがうものになる。それもまあわかる気がする。
 で。
 小説とか雑文にとって、芝居においてライター・役者・演出家にあたる要素に分解できるものは果たしてあるのか。文体=役者、テーマ=ライター、プロット=演出。うーむ。違う気がする。

 その言い方でいえば、恩田陸『月の裏側』は演出家が主導権を握った作品だったと言えるような気がする。とんがったところのない、マイルドな心地いい小説で、最初から最後まで安心して読める。最初のあたりで張ったいくつかの伏線が使われることなく消えていき、物語は必ずしも著者の予定した方向には流れなかったようであるのだが、無理に元の流れに戻そうとせず、流れのままに身をゆだねたかの自然さがある。『光の帝国』には〈ピープル〉を持ち出してきて、ああでもないこうでもないと云々する余地があったが、『月の裏側』の場合、オマージュの対象である『盗まれた街』に言及することがほとんど意味を持たない自然さがある。もちろんここで言っている自然さは演出的な意味での自然さであり、そうした自然さがシナリオ的な不備を気にならなくしている。
 今年のSFベストの当確候補。
 去年のティプトリーの短編集、これに『BH85』『月の裏側』と続いたせいもあって、作品として高い評価を与えつつ、全体に溶けていく物語の傾向を否定的に捉える意見が冬樹蛉をはじめいくつか目についた。
 先に書かれちゃったよな、というのが偽らざる意見で、この問題、かなりじっくり練りあげてみたいと前々から思いつづけているところである。科学に基づく人類進化は、直接神と化す道ではなく、悪魔として神の下僕の道を選びとり、長い道程の先に神に近似した存在に達することを目指すものである。これを指してカレルレン主義という。

 榛野なな恵『ピエタ I・II』はスポイルされた少女たちの物語。重たい話。『Papa told me』の作者というイメージに固められていく息苦しさから抜け出して息をつこうとした感じ。もっとも作品の主旋律は『Papa told me』でも繰り返される伏流水のひとつであり、伏流水を表面に持ち出すことそれなりに意味ある行為であるとはいえ、作者としても、息苦しさは感じていても『Papa told me』に固められていくこと自体をいやがったり、否定する気はなさそうで、そういう意味で、重たい話ではあっても、切羽詰った感じはない。主体性の復権を目ざしたひとつの息抜き作品。

 アシモフ&シルヴァーバーグ『アンドリューNDR114』は、御伽噺。悪役でさえいい人ばかりで構成されているユートピア。それでいてフランケンシュタイン・コンプレックスだけは人々の意識に強く根づいている。そんな世界で人間になろうと努力するロボット。粗雑ではないが稚拙な論理が縦横に駆使されて難題がひとつひとつ解決されていくのを、馬鹿になって、にこにこといつくしむ視線で味わいたい。これはこれでほほえましく心地いい。
 それはそうと中村融は本書の方がいいというけど、ぼくは『夜来たる〈長編版〉』の方に軍配をあげたい。残る1冊『停滞空間〈長編版〉』も読みたい。

 『アンドリューNDR114』を読むような、そんな視線で絶対に読めないのがピート・ハウトマン『時の扉をあけて』。もっと予定調和のたとえば『時に架ける橋』風のタイムトラベル・ラブ・ストーリイを期待していたのだけれど、とにかく破格な展開で、正直なぜこういう展開が入用だったのか謎である。自伝的要素が強いのかもしれない。自虐自省小説は好きなので(アメリカSFには意外と少ない)、個人的には買いだけど、万人には薦めがたい。

 池波正太郎の『剣客商売』全16巻をつい、全巻読破してしまった。つるつる読めてしまう。この読みやすさはなんなんだろう。
 品のいい小説だけど、話の骨格はバイオレンス・ノベルとそんなに変わらないものも混じる。
 30年近く前に書かれた本だというのに、全然古さを感じない。10代のころは30年前の本というのは、昔の本を読んでいるといった気分で時代の誤差を調整しながら読んでいた記憶がある。
 はたして本当に古びていないのか。それとも、ぼくが一緒に古びているせいなのか。


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