内 輪   第116回

大野万紀


 ついにPCを買い換え。今度は大阪日本橋の某ショップブランドのDOS/V機。14万円以内という予算で、ペンティアム3の600M、メモリ128M、ディスク20G、CD−RW、17インチディスプレイ付き、ビデオボードはAGPでまあまあのもの(実際はTNT2 M64)、後LANカードも付けて何とか予算内に収まったのでOKでしょう(ちなみにマザーボードはVIA ApolloPro133対応のチェインテックCT-6ATA2というやつ。あんまり聞いたことないけど、まあ今時の低価格MBとしては普通だと思う)。セットアップは簡単にでき、OSもあっさりとインストールできたけれど、過去の環境を移すのに一苦労。何しろ10数年以上代替わりしながら使ってきたPC98の環境なので(いまだに一部のDOS環境も使っていたりする)かなり手こずりました。まあ、多少不安定なところも残っているけれど(たぶんOSの再インストールからやり直せば、今度は大丈夫と思っているのだけれど、めんどくさい)、とりあえず日常使うぶんには不具合ないレベルになった。でも、せっかくのATA/66対応なのに、Win98SEでDMAを設定すると、ひどく不安定になってしまうのはなぜ? IDEケーブルも間違ってないし、ドライバもこれでOKと思うのだが。インテル系のボードだとFAQがあるみたいだけど、そういう何かがあるんでしょうか。まあ、普段使うぶんには遅くても問題ないので(それでも前のPC98に比べればハードディスクアクセスは倍以上早いのだ)、通常モードにしているのだが、うーん。
 そして、古いPCは子供たちの専用マシンへ。家庭内LANとダイアルアップルータで岡本家と同様の環境です(あれ、岡本家はCATVだったっけ?)。とにかく、これでわが家も電脳一家なのさ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『十三番目の人格 ISOLA』 貴志祐介 (角川ホラー文庫)
 デビュー作を今頃読む。しかし、デビュー当時からずいぶんうまい人だったのだな、と改めて納得。本書は当時、そんなに高い評価はなかったような気がするのだが、いや、十分面白いじゃないですか。そりゃまあ、おやおやという部分もある。でもそれほど気にならない。だって本書ではストレートに超常現象が扱われているわけで、そこに突っ込むのも野暮というもの。いきなりエンパスが登場するところなど、SFっぽさもある(この辺りも、作者がSFファンだったんじゃないかと考えさせられるところだ)。出てくる小道具も含めて、ホラーというよりはSFテイストいっぱいなのだが、でも基本的にはホラーというしかない。ちゃんとそれっぽい落ちもあるしね。いろんな意味でわかりやすい小説であり、読者にとても親切だ。舞台が震災後の西宮ということで、ぼくの現住所でもあり、うちの娘が「わー、これきっとあそこやで」と喜んでいた(娘が先に読んだのだ)。何かこのところ岡山とか西宮とか身近な地名の出てくる小説が続くなあ。それはともかく、本書に出てくる登場人物はほとんど美女ばかりなので、これもまた良い。エンターテイメントはこうじゃなくちゃね(映画は見てないので知らないけど)。

『陋巷に在り6/劇の巻』 酒見賢一 (新潮文庫)
 ついに戦争だ。しかしまあ、悪悦といういかにも悪役な奴に操られて、りっぱな漢も術に陥るし、孔子もあわやな目にあってしまう(まあ自業自得という気もするが)。しかし、「左伝」にほんの数行書かれた記事からこれだけの物語を作り上げる作者もりっぱだなあ。ようやくのクライマックスということで、面白く読めた。でも、本書で一番魅力的だったのは媚術を使う魔女、子蓉だ。、ちゃんをあんまりいじめないで欲しいなあ。

『フレームシフト』 ロバート・ソウヤー (ハヤカワ文庫)
 今度のソウヤーは「地に足の着いた」話。宇宙の謎は解かれない。でも、ナチの残党にからむミステリー、連続殺人事件、ヒトゲノムの謎、ネアンデルタール人の謎、難病の問題とアメリカの保険制度批判、テレパシー、夫婦の愛と家族愛、カリフォルニアのキャンパスライフ……と、やっぱり盛りだくさんだ。もちろんソウヤーだから、そのすべてに解答や決着がつけられる。もちろん楽しく読めたからいいのだが、こういったテーマは宇宙の謎よりもとっつきやすいだけに、同じようにあっさりと解決が与えられてしまうと、物足りなさを感じてしまう。例えばテレパシーや神の問題をこんなあっさり扱ってもいいの? まあいいのかも知れないなあ。シリアスなテーマにしても、きっとソウヤーには何か信念があって、その正しさに疑問の余地はないのだろう。

『ミクロ・パーク』 J・P・ホーガン (創元SF文庫)
 ナノテクならぬミクロテクで、ミクロの世界を冒険しよう! という話を期待したのだが、ホーガンはニーヴン&パーネルではなかったということか。知的所有権を巡る企業間の争奪戦を中心にしたハイテクスリラーという味わいで、いい美女と悪い美女、天才少年たち、天才だけどちょっと変なお父さんといった、とても典型的な(ディズニー映画によくあるパターンだ)キャラクターたちが活躍する。そういう意味では良くできているし、変に政治的な横道にそれず、ストレートに話が展開するぶん悪くはない。最近のホーガンの中では面白く読めた部類に入る一冊だ。あー、でも物足りない。せっかく、ミクロのサイズでは物理現象がマクロな世界と異なって見えるということを一つのテーマにしているのだから、そっちを突き詰めて欲しかった。ほとんどがマクロの世界から見た映像として描かれていて、ミクロ世界に身を置いた描写が少なすぎる。そっちをとことん物理的に描いてこそホーガンでしょう。でなきゃ、ハリウッドの優秀な脚本家や、ハイテクスリラーのベストセラー作家たちにまかせとけばいいんだから。

『月の裏側』 恩田陸 (幻冬舎)
 恩田陸の新作は、九州の水郷柳川じゃなくて箭納倉を舞台にした『盗まれた町』。この前読んだ森青花『BH85』と良く似た話で、こちらでも盗まれて一つになった側をあまり敵視していないのが特徴だ。ぼくの奥さんもこれを読んで「それでいいんか、人類!」と叫んでいました。「みんな、ぱらいそさ、いくだ」(諸星大二郎)といって、本当に行っちゃう話で、その意味ではティプトリーの「スロー・ミュージック」もそうだ。まあ、『幼年期の終わり』だってそういう話なんだけどね。SFではこういう、集合意識みたいになって行っちゃう〈新人類〉と残された人々というのは古くからあるテーマで、あなたはどっち側? というのが一つのポイントだろう。新人類か、残される側か。やつらを敵視する必要はないかも知れないけど、一つになってそっちに行ってしまうのはいやだなあ。というわけで、テーマにはちょっとしっくりしないものがあるのだが、物語は面白く、良くできている。あ、でも中盤以降の展開には、一部納得できないところがあるなあ。特に箭納倉の町が外部と切り離された時、世界ではいったい何が起こっていたのかという所は、最後の章の内容から考えると何だかわからなくなってしまう。小野不由美の『屍鬼』でも同様の疑問はあったのだが、こっちの方がずっと大きい町だしねえ。それはともかく、本書における風景や雨、水の描写はとても美しい。作者の他の作品でも感じたことだが、強い雨が降り止んだ後の、水気を含んだ風と空の動きのある描写には心を動かすものがある。ところで『月の裏側』の表紙には「The Dark Side of the Moon」って書いてあるのだけど、ピンク・フロイド?


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