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岡本家記録とは別の話(サクラサクカ篇)

 岡本家記録(Web版)もご参照ください。

 ということで、ここでは上記に書かれていない記録を書くことになります。本編は読書日記なので、それ以外の雑記関係をこちらにまわしてみることにしました。

あわただしい年度末
  ではありますが、まだ桜は咲きません。そんな中で出たのが『SFが読みたい!』(SFマガジン増刊号)と、『SF Japan』という徳間の雑誌形単行本です。レビュー的な記事は上記を見ていただくとして、SFのベストを選ぶ意義などを考えてみたいと思います。
  昔から、SFの世界ではベストを選ぶということが、重要な行事としてありました。いや何、別にSFでなくても、年間最優秀作を決めるという意味ならば、文学でも映画でも、無数の賞はありますが、ファンが主体となるのは、例えば鉄道のローレル賞などのようにオタク的色彩の強い世界だけです。日本でもっとも歴史が長いのは星雲賞、最近ではアメリカのSF大会で毎年賞の授与が行われる(*1)ため、世界的にも注目されているようです。とはいうものの、この賞が決まっていくメカニズムは、それほど公平なものではありません。投票権を持つのは大会参加者。大会では、事前に候補を告知したり(しないことも多々ある)しますが、投票は事前にはがきで行う必要があります。料金別納など、利用者に簡便な方法が取られることは少なく、自然投票数は減りますし、だいいち、本を読まない(*2)参加者には何の意味もない賞でもあります。
  ということで、SF大賞のように、一部の識者が年間の作品を公平に判断して賞を選ぶという、(どちらかというと、普通の賞と同様の)基準が出てきます。SF大賞は、それなりの歴史を踏まえているせいで、権威を有するようになってきました。しかしながら、識者筋の意見は分散するため、少数の選者が、議論を経て選ぶスタイルになります。また、作家中心の個性的な選者では、一般読者の感覚とズレるという問題も出てきます。本の読み手は“読者”なのですから、これでは困ります。「このミス」風にムリョ百人規模の評者を集める“統計的手法”で、偏向を避けた(世評に近い)SFマガジンのようなベストが出てきたのも、自然な成り行きかも知れません(*3)。

  まーしかし、賞が決まったら決まったで文句を言う人も多い。昨年も、SF大賞の新井素子『チグリスとユーフラテス』とか、賞は取らなかったものの、話題の梅原克文『カムナビ』とかについても議論百出。この類の議論は昔から針小棒大の傾向があり、重要性の低い面を声高に論じる向きもあります。例えば、前者では、登場人物の個人的独白と、設定された社会の成り立ちの脆弱性(要するに、こんな人物がこれだけの社会的地位を占める不自然さ)が非難されましたし、後者でも、結局、登場人物が一般常識からかけ離れた行動を取る点が難点とされています。とはいえ、これらの作品は、作者の持ち味を集大成したものであるため、実際のところ、持ち味自身をことさらに批判しても、建設的な価値は見出しようがないと思うのですが。


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