内 輪 第113回
大野万紀
2000年おめでとうございます。というか、正月は2000年問題でなかなか大変でした。まさか何もないだろうと思っていたのでびっくり。それはともかく、帰ってみるとわが家でも2000年問題発生。奥さんの使っている家計簿ソフト(MS−DOSのフリーソフト)が2000年対応できてなくて、1月から入力できなくなってしまいました。しょうがないので、これを機会にウィンドウズ版の新しい家計簿ソフトに変更。データの移行とか、まさにY2K対応やってしまいました。テレビのコマーシャルで3000年問題というのをやってますけど、10年先にえらいことが起こるぞと未来の自分にいわれても、頭の薄さの方が気になる時代(これは別のコマーシャル)、まあ、きっと何か起こることでしょう。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『俳優』 井上雅彦編 (廣済堂文庫)
異形コレクションの13。このテーマもちょっと難しかったんではないだろうか。良く似たパターンがいくつかかぶっていた。また、今まででも最もSFから遠い一冊となったように思う。テーマが人間に密着しているためで、いつものマンガトリオがいないせいだけではないだろう。中では、友成純一「黄昏のゾンビ」が(これはSFといってもいいな)破天荒で面白かった。また五代ゆう「遍歴譚」、篠田真由美「君知るや南の国」、朝松健「小面曾我放下敵討」、田中文雄「死の谷を歩む女」などはいずれも独特な雰囲気があり印象に残った。斎藤肇「柚累」も筒井康隆を思い起こさせる幻想的で美しい作品だった。
『エンディミオンの覚醒』 ダン・シモンズ (早川書房)
やあ堪能した。SFです。派手だが端正で、波瀾万丈だがストレート。とにかく面白い。もっとも、シリーズの完結編ということで『エンディミオン』の破天荒さはなく、あからさまな予定調和にしらける向きもあるかも知れない(ぼくはそれも含めて好きなので全く文句なし)。まあ、宗教に関することとか、批評家的に読もうと思えばいろいろと議論できる主題はあるだろうが、そういうのはやりたい人にまかせちゃおう。とにかく、最良のスペースオペラの楽しさがたっぷりで、(異論があるかも知れないが)ジョージ・ルーカスに大画面で映画化してほしい作品だ。絵になるシーンがいっぱいじゃないですか。壮大で、迫力があって、衝撃的で、センス・オブ・ワンダーに満ちている。そして、キャラクターとして魅力的な登場人物たち(人物じゃないのも含めて)。ええ、絶賛してます。この読みやすさと文章の迫力には訳者の力も大きいだろう。雲の惑星の壮麗さ、恐るべきスケールの宇宙戦闘のものすごさ、随所で描かれる目もくらむようなスピード感。うまいよねえ。張りつめたシーンばかりでなく、とぼけたユーモアやのんびりしたシーンもいい。こういうのがぼくの読みたいSFなのだなあ。ディレイニー、ゼラズニイ、コードウエィナー・スミスといった名前が浮かんでくる(何だ、水鏡子と同じじゃないか)。そうだな、様々な謎に答えが得られる完結編ではあるのだが、あまり謎解きに集中して読むのはお勧めしない。ダン・シモンズは例えばハードSF的に、とことん整合性を追求して世界を構築するというタイプではなさそうだ。破綻しているというわけではないが、謎は謎のままにしておいてもいっこうにかまわない種類の作品である。ここはテテュス河の流れのままに身をまかせて、立ち現れるスペクタクルを素直に楽しむのがいいだろう。やっぱし、続きが(あるいは外伝が)もっと読みたいよー。
『誓いのとき』 マーセデス・ラッキー (創元推理文庫)
女剣士と女魔法使いのペアが主人公の、タルマ&ケスリー・シリーズの短編集。軽い幕間劇のような話が多く、物足りない感じ。もともと長編の方もそんな重量級という雰囲気じゃなかったが、こちらは何だか低予算な一話完結のテレビ・シリーズの一編を見ているようで、ちょっとがっかり。と思っていたら、中編「誓いのとき」が意外に出来が良くて、ちょっと見直した。この作品も後半は作者の悪い癖が出て、いかにもなご都合主義に陥ってしまうのだが、主人公となる子供たちの造形や、途中までの緊迫感ある展開は印象に残った。
『quarter mo@n クォータームーン』 中井拓志 (角川ホラー文庫)
『レフトハンド』の作者の第二作。『レフトハンド』はどちらかというと〈バカSF〉のノリで楽しめた作品だったが、本作はいたってシリアスな、現代的な恐怖を描いた傑作だ。とはいえ、ホラーやSFというジャンルには収まりにくく、むしろミステリといった方がいいのかも知れない。ネットワークで増殖する悪意、憎悪、異常さといったものがテーマで、それはとてもリアルなものなのである。そうねえ、これをある種のウィルスととらえるなら、SFだといえるかも。でも、そういう仕組みや何かに作者の興味はなく、ある種の雰囲気の中では、人は異常なことでも平気でできてしまう、そして、そういう雰囲気が集団の中で増殖するということは、現代においてとても身近でリアルなことであるというところに、作者の書きたかったことがあるのだろう。リアルとバーチャルリアルに関する、とても切なくて、とても怖い傑作だ。ところで、本書の舞台は地方の小都市に設定されているが、別に架空の地方都市でかまわないところを、岡山県北部の、名前は変えられているが明らかに津山市だとわかるように書かれている。街の描写からは現実の津山とは無関係なことがわかるのだが、ならばどうしてわざわざ津山を舞台に選んだのか? 『ぼっけえ、きょうてえ』もそうだったが、今また津山が流行ってるのかしらん? 出身者としては気になっちゃうよ。横溝正史や島田荘司じゃあるまいし。まあ、それはともかくとして、もう一つ疑問がある。題名のquarter mo@nって何? quarter moonは上弦・下弦の月だけれど、mo@nはmoanにしか読めないよねえ。それでいいのだろうか?
『終わりなき平和』 ジョー・ホールドマン (創元SF文庫)
『終わりなき戦い』とは無関係なホールドマンの長編。でもこのタイトルは関係あると思ってしまうよなあ。うーん、これがヒューゴー/ネビュラのダブルクラウンだって? 悪い作品ではないけれど、そんなすごい話かよ。始めは戦闘ロボットを神経接続でコントロールする兵士による激しいゲリラ戦が描かれ、それが非番の時は物理学者で、彼の大学での年上女性との恋が描かれたり、木星軌道上での大プロジェクトの話が描かれたりと、日常と非日常の交錯もあっていかにもホールドマンと思わせるのだが、主な舞台は地球を離れず、そのうち何と、マッドサイエンティスト集団による世界征服の物語になってしまうのでびっくり。政府内の陰謀や暗殺者をめぐるサスペンスなどもあって、それなりに面白いことは面白いのだが、うーん。ホールドマンに期待するものとは違っていると思うなあ。