みだれめも 第112回
水鏡子
●古本屋めぐり。
『ぼくたちの近代史』『サルの正義』『ミステリーを科学したら』『「からくり」の話』『青狼王のくちづけ』『天から降ってきた泥棒』『眠り姫、歓喜する魂』『クリムゾンの迷宮』を100円で買う。
めずらしくコミックがない。
小林泰三『肉食屋敷』を読む。根が礼儀知らずのうえに臆病だから、ふだん顔を合わせる機会のある作家の本は、なるべく読まないようにしているのだけど、ここ一、二年の四人組(牧野、小林、田中、田中)、切磋琢磨というか「せっせっせ」というかをしながらレベルを上げてく気配があって、リアルタイムでフォローしないと損しそう。往年のSF作家クラブや新本格、英保・村山新人編集者時代の元気を思い起こさせる。小林本は『人獣細工』についで読むのはまだ2つめ。どの作品も水準をコンスタントにクリヤーしていて、考えられた設定にきちんとアイデアを詰め、最後にひねりを忘れない。エンターテインメントがなにかわかっているちゃんとした小説。文章的にもパサパサしていないし、けっして悪くはないのだけれど、いかにも理詰めに生み出されている感があり、鬱屈というか過剰性というか、作家のあくみたいなものが見えてこない。いまのところ、まだ、出たら即買うという作家には含められない。なまじ技術の裏付けがあるものだから、たとえば後述の『ダブルキャスト』に漂うようないい意味での青臭さ、気恥ずかしさを書き記すような事態に立ちいたることを巧妙に回避していく。そうした手際が作品の力を弱めている面があるような気がする。評価中の中。
読まれそうだなあ。やだなあ。
貴志祐介『クリムゾンの迷宮』を読む。カレー事件で一躍有名人になってしまった人だけど、この人の本を読むのもこれがはじめて。中の下。ありきたりのアイデアにありきたりの種明かし。でも、やっぱり、世間的には〈斬新な着想〉とかいわれるんだろう。
今、脈絡なく思いついたのだけど、発着という言葉がありますね。
さて、発想と着想はどうちがうんでしょうか。
●例会に行く。
純平夫妻の結婚お披露目。青木社長が来る。青心社創立20周年とのこと。記念ボールペンと今日の会席費用を持ってくれる。
ブルータス図書館『山田風太郎』『谷川俊太郎』『手塚治虫』、『SFM8月号』『HMM8月号』『デュエリスト7』『広告批評6・7月号』『西遊妖猿伝11』『天馬の血族21』『黒いスズメバチ』を買う。
それにしてもカードを買うのをやめたのに『デュエリスト7』を買ってしまうあたりがリスト・マニアの情けなさ。
●ジェームズ・アラン・ガードナー『プラネットハザード』
出だしにはシニカルなヴォネガットをへたくそにシリアスしたような、間抜けた会話とキレのある視線がからみあう評価に苦しむ面白さがある。惑星着陸後は、お間抜けの比重がグレードアップし、さらに冗長さが目を掩うばかり。同人誌レベルでももう少しまし。愚作です。ただし、作家として見捨てる気にはならないので、つぎの本も出たら読みます。評価下の中。
●ロバート・アスプリン『魔法無用の大博奕』
こういう本の評価って、どうやればいいんだか、ほんとにけっこう悩んでいる。話は一本調子だし、トラブルも大団円も期待どおりに起きて期待どおりに集結する。謎のアックスなんて、名前が出た途端に正体はわかってしまうていたらく。(だって、ほかに該当者がいないうえ、やたら念入りに伏線を張ってくれちゃってるじゃない) サムシング・エルスを読後評価の最重要ポイントにしていた時代だったら、まずまちがいなく下の中、へたをしたら『プラネットハザード』より下のランクに位置づけていた。
でもねえ。完全に思考停止の受け身状態で楽しめる本なんて、いったいどれだけあると思う。
読んで、幸せになってんだから、それでいいじゃん。評価中の中。(気分的にはもう1ランク上げたいけれど、さすがに頭の中の教条主義ペンギンがブレーキをかける)。
●SF大会に行く。
実質8時間くらいの時間帯に本企画と合宿企画がぎゅう詰めになったかたちで、珍しく覗く企画が重なりあい、迷いながらほとんど通しで企画に通った。野田パーティ、ギャルゲー、SFカルテット、コレクター談義、SF史、SFクイズ、空想音楽祭、アニソン・マラソンそんなとこですか。プログラムブックやアーブ語講座の教習本みたいに、一回性の企画に対してとことん細部に凝ること、ただし凝る細部はあくまで枝葉末節ではなく、企画の本質に直結したものであること、これが好意点を高める秘訣であるのでないかなと改めて思った。たぶんそれは小説についてもそのまま通じるポイントだろう。
●コニー・ウィリス『リメイク』(早川文庫)
ハリウッド・ミュージカルが題材というので「月がとっても青いから」みたいなお気楽ラブ・コメ(ちょっと泣かせ入り)を期待したのに、意外とマジっぽくて辛気臭い。
小業はいろいろ利かせているし日本版労作リストも含め細部の凝りは好みなのだけど、恋愛ドラマ部分はもっと脳天気にやってほしかった。評価中の中。
●例会に行く。
『東京開化えれきのからくり』『爆勝!競馬激本』『この3歳馬で勝つ!』を買う。レースに興味がなくなってきてもデータ本を見ると手が出るところ業としかいえない。
●ジェイムズ・サリス『黒いスズメバチ』(早川文庫)
『プラネットハザード』に若干の支持をしたのがバカバカしくなった。そんなことをやっているからSFはいつまでたってもジャリ物扱いされるのだ。70年代のアメリカの黒人問題その他もろもろの差別のなかで生きてきた自分やまわりの人々への共感と郷愁を綴ったこの本の気分をほとんど続けて味わうと、あんな稚拙な本が大手を振ってまかり通っているから、心ある作家はSFから離れていってしまうのかもしれないとまで思ってしまった。
幻のマイナー作家というのがいる。先物買いの連中の間でひそやかに語りあわれ、ほんとうにすごいのかどうかわからないまま訳されることもなくやがて忘れられていった作家たち。ジェイムズ・サリスというのもそんな作家のひとりだった。
70年頃、オービットを中心に先鋭的なオリジナル・アンソロジーに頻繁に名前を連ねていた作家。デーモン・ナイトをしてディッシュ、ディレイニーに比肩すると言わしめた作家。翻訳は『新しいSF』(サンリオ)に収録された「蟋蟀の眼の不安」、たぶんこれひとつだけ。いやあ、こんなところでお目にかかるとは思いませんでしたねえ。
探偵稼業で一家を構えた主人公が、はじめて探偵となった時代の事件を思い起こすといった体裁で過去と現在の視点が交差する凝った設定。ミステリとしては、探偵がなにもしないのにネタがひとりで事務所に集まってくるぐらいだから、評判は悪そう。
そんなものはどうでもよくて、作者が若かりし生きてきた時代に対する思いいれがなんといっても読みどころ。そんな時代をときには追体験するものとして、ときにはふりかえるものとして捉らえたい、そんな思いがこの構成を生んだのだろう。なぜ『プラネットハザード』に対して怒りを掻きたてられたということが、あるいはなぜこんな作家がSFからいなくなったことへの怒りというのが、とりもなおさずこの本への評価である。今回コメントした本のなかでは、意外性も含めて、この本が一番の収穫。評価中の上。
●倉阪鬼一郎『活字狂想曲』(時事通信社)
執筆スタンスとしては、ぼくの「みだれめも」と似たようなものだ。たちの悪い、じゃなかった、知的レベルの高い顔見知りの読者を相手に、そこそこ受けを狙いつつ雑文を積み上げていく。そこに職場のことを書くか書かないかというところが性格もしくは身の処し方のちがいといったことだろう。回想本とは異なって、経過していく時間を量的に感覚できるのが、この種の本の隠れた魅力のような気がする。おもしろかったけれども、けっきょくのところ読み捨て本。評価中の下。
●古本屋めぐり。
『本気』56冊、『幻蔵人形鬼話 1』『星界の紋章読本』『ミズチ』『ホットロック』『風に吹かれて』『パラダイスの針 上下』『コールド・ファイア 下』『友なる船』『プラクティカル・マジック』『妖精メリジェーヌ伝説』『カーマ・スートラ』『世界短篇文学全集 フランス中世』『ルネサンス精神史』を100円で買う。『大いなる復活のとき 上下』半額で買う。家に帰って並べてみたら持っていない『コールド・ファイア』は上だった。
立原あゆみ『本気』全冊読み返しで3日潰れる。
●高畑京一郎『ダブルキャスト』(メディアワークス)
『タイム・リープ』は未読。ヤング・アダルトというより「コース」や「時代」に載ってた頃のジュヴィナイルSFの呼称の方がぴったりくる。SFというほどのものではないけれど、思いをこめた地に足がついた小説世界は読んでいて気持ちいい。評価中の上。