気分はリングサイド――わたしのプロレス観戦日記(5)
青井 美香
2月1日(月)
夜、きょうは相方は会社の飲み会で遅いからなぁなどと思いながら7時のニュースを観ていたら、電話。いきなり「馬場が死んだよ」と言われる。「え?」ってな感じ。電話をかけてきたのは、ミステリー関係の知り合いのNさん。プロレスとは関係ないはずなんだけど。「いま、TVで速報が流れたよ」「うちはNHKを観てるけど……」「こっちはほら、スターの出る運動会みたいな番組を観てたんだけどさ。テロップで出たんだ。旦那に知らせようと会社のほうに電話したんだけど、もう出たっていうから」
動転するも、ちょっと雑談をしてから電話を切る。
嘘でしょ、嘘……そう思いながら、ニュースをそのまま観ていると、やがて「訃報です」のコメントとともにNHKでも日本TV提供の映像が流れました。
やっぱり本当だったんだ……あわてて、ニフティのFBATL(プロレスフォーラム)に入ると、みんなの追悼メッセージがぎっしり。読んでいるうちに涙が出てきちゃいました。
後楽園ホールのエレベーターを降りると、いつもガラス窓の向こうには馬場さんの大きな背中が見えました。すこしうつむき気味で、窮屈そうに椅子に座って、売店でTシャツにサインをしている……そんな、ごくあたりまえだと思っていた風景が、記憶のなかだけになってしまったなんて……。
なんだか誰かに話したくなって、いつもプロレスをいっしょに観にいく相方の友人Iさんに電話。そのあと、やっぱりプロレス好きの知り合いの翻訳家Nさんにも電話。
10時まえ、相方からカエルコール。「馬場さんが死んじゃったぁ」「え?」相方も絶句。二人でシュンとなって、そのまま寝てしまう。
2月2日(火)
朝、犬の散歩のついでにコンビニによってスポーツ紙を買う。どこも一面。ほんとうにほんとうのことだったのね。
当然、午後はワイドショー・ザッピング。やっぱ、こういうときは日テレですね。馬場さんの出棺(棺は間に合わなかったから、ストレッチャーで運んだらしい)のシーンで、車の外で立ち並ぶ喪服の現役レスラーたち……こういうときでも、わたしが探してしまうのはもちろん大森くん。一瞬だけど、馳、秋山の隣に眼鏡をかけた大森くんを発見。そして、わたしは見たのです、馬場さんの乗った車がマンションの前を出て、みんながぞろぞろとマンション玄関に向かうとき、眼鏡をはずしてそっと涙をぬぐう大森くんの姿。TVカメラのまえだというのに、そういうところを見せてしまう彼の飾らないところが、わたし、やっぱり好きです。
2月4日(木)
印刷所にストップ命令を出して、差し替え原稿を入れたらしいという噂は、やっぱり本当だった。きょう発売の週刊プロレスもゴングも、表紙はモノクロの馬場さんの写真。週プロが「悲報! 馬場逝去」で、週ゴンが「巨星墜つ!! ジャイアント馬場死去」。びっくりしたのは、週ゴンがカラーページでも追悼記事を2ページさいていたこと。いやぁ、印刷所はきっと泣いたでしょうね。
でも、中身のほうはさすがにどこもそんなに載ってない。なにせ、週刊誌の締め切り当日でしたものね、それがわかったのは。
そのてん、自社で輪転機をもっている新大阪新聞社は強いです。週刊ファイトは、表紙は「猪木 小川に試練」だったけど、中身は一番多くこの「馬場さん死去」のニュースに触れてました。
今週の週プロは永久保存だぁとわたしが思ったのは、しかし、馬場さんの死去がらみの記事が載っていたからではなく、中ほどのカラーグラビアで3ページも大森くんが紹介されていたからかも。(^_^;)
いままで観たなかでいっちゃんカッコイイ彼の写真がそこにあるのです。
とくに最初のカットの、ちょっと伏し目がちで下を見ているところなんぞ、ぞくぞくしちゃいます。(って、こんなこと思うのはわたしだけか)
着ている服も、今回はまとも。白いTシャツにジージャンというシンプルなコーディネートがいいんだわさ。と、気分はすっかりミーハーファンモード。ああ、これでまた全国に大森くんファンの女性が増えるにちがいないと確信。この記事はわたしのお宝にしまぁす。
2月13日(土)
馬場さんが亡くなってからはじめての全日本プロレスの試合。
後楽園ホールの狭い通路はごった返していた。いつも馬場さんが座っていた藤椅子には、遺影とそして白い花束。お客も選手もフロントも、なにか、哀しみをこらえながらの狂騒状態。この日はファン感謝デーだったのに、馬場さんへの感謝デーになってしまった気分だった。
でも、ま、そんな感傷をよそに、試合はさくさく進む。もちろん、レスラーそろってリングを囲み、三沢と百田による馬場さん逝去の報せはあったけど、いつものようにリング上では、いつものようなファイトが繰り広げられる。会場の「馬場さんありがとう」の横断幕は哀しいけれど、生きている人間は、いつまでもそのことにこだわってはいられない。胸の中の虚脱感は、この場で発散して、新たな戦いの場を見つめるだけ。
で、今夜の目玉はワンナイト・トーナメントとアジアタッグ戦。どちらも面白かった。インパクトとしては、アジアタッグのベルトが久方ぶりに他団体に流出したほうが大きかったかもしれないけど、大森ファンのわたしにとっては、大森くんのブレイクがすぐそこで起こりかかっているという感じのした、ワンナイトト・トーナメント第一試合が上でした。結果としては負けてしまったのだけど、大森、高山に、ブレイン役の馳が加わったこのトリオ、けっこう見ごたえがありました。(って、大森、高山ってブローン、馳は『歌う船』のヘルヴァだったのか……(^_^;))
てきぱきと的確な指示だしをする馳先生に、いつもなら連携のいまひとつ悪い大森・高山の生徒組の合体技が面白いように三沢によく決まる。圧巻は、大森が主張した(と、インターネットのその日の馳日記に書かれていた)、3人がかりのトリプル・フットスタンプ。ただし、大森はまだしも、2番目にやった高山は明らかにバランス悪すぎ。やられている三沢の顔が苦痛にゆがんだのは、高山の体重のせいばかりではない。最後に決めた馳は、さすがにきれいにこなしていたけど。
ワンナイト・トーナメントの勝者は、結局、馬場さんの最後の付き人、志賀。その前の試合で場外で田上の喉輪落としをうけた彼は、自力で帰ることができないほど痛めつけられ、いったい最後の試合に出られるのかどうかと危ぶまれたのに、根性で試合に出る。コーナーでエプロンサイドでぜいぜい言いながら立っているのに、リングにも入り……そして最後は垣原をうまく丸めてピンフォール。
なんだか、まるで、物語の大団円を観るようだった。
ほんとのこというと、この日の選手の動きはみんなあんまりよくなかった。シリーズとシリーズの谷間の、一日だけの試合に、もともとペースをもっていくのはむずかしいところへもってきて、誰しもが空白の数日間を、虚脱感に満ちた数日間を過ごしてきたのだから。トレーニングなんてできっこないあの数日間……でも、選手は動きの悪さを気力で補った。そして、観客も……。
馬場さんの引退記念興行は5月2日の東京ドーム大会に決まったけれど、実質的な引退記念興行は、この、きょうという日だったような気がする。
2月20日(土)
きょうの東スポのトップ記事は「鶴田引退!」。相方が買ってなかったので、後楽園ホールのなかで思わず他人の東スポをのぞきこんでしまったわたし。
肝臓を患って以来、実質的引退状態だったから、そんなに違和感はないのだけど、とうとうこの日が来てしまったのかとは感じる。わたしがプロレス生観戦をはじめたころといえば、思えば、まさに鶴田の全盛時代。善戦マンから脱して、鶴龍コンビ、五輪コンビと最強のタッグチームを作り上げ、そして三沢にとって高い高い壁となっていった……いまでも忘れないのは、あるときの6人タッグ。ほかの選手は終わったとき、みんなヘロヘロだったのに、鶴田ひとりが元気で、「オー!」と拳をふりあげて、ファンに応えていた。まさに無尽蔵なスタミナだった。あのとき、わたしは思ったものです、鶴田こそ最強のレスラーだと。
ところで、きょうの大森くんは高山、オブライトと組んで、ジョニーズ(エースとスミス)とウルフ。このメンバーだと、スミスががんばっても、ばたばたした試合展開になるかと思いきや、けっこうしまったいい試合でした。しかし、高山がエースに見舞ったフットスタンプは危なすぎ。あの体重でバランス悪くトップロープからやられたら、下手なレスラーなら怪我ものですよ。エースの身体が変なふうに折れ曲がったもんね。高山は馳 先生の観ているまえじゃないと、この技をやってはいけないとせつに感じました。で、結局、エースがこの技で悶絶したのがきいたか、なかなかリングにカットにいけないあいだに、大森くんがウルフをアックスボンバー、ダイビングニーの必勝フルコース(と呼んでしまってもいいよね)で仕留めて、わたしとしては大満足。
セミは、抜擢された丸藤が抜擢された理由がよくわかるほどの大活躍。彼が先輩レスラーをおちょくると、同じ芸風の金丸にはちょっときついものがある。
で、メインは三冠戦を控えた田上とベイダーの乱闘という、お約束のジ・エンド。
13日のファン感謝デーは、馬場さんの姿を偲んでの雰囲気が強かったけど、きょうはいつもの開幕戦。馬場さんがいなくても「全日本プロレスはこれからも安泰」という感じを抱かせる興行でありました。
3月6日(土)
医師に処方された薬の副作用でかえって体調が悪化したわたしは、断腸の思いで、きょうの武道館のチケットを翻訳家のNさんに譲り、うちでふて寝。三冠戦や最強タッグ戦も観たかったけど、やっぱりこれ一回きり(たぶん)の鶴田の引退セレモニー、その場にいたかったなぁ。
もちろん、相方は嬉々として出かけていき、帰宅は午前1時過ぎ。
「いやぁ、きょうは大森、よかったよ……モスマンをフォールしたんだけど、その前にこっちの通路の目の前でハンセンにのされてさ……」
「うがぁ」
翌朝、わたしが不機嫌だったことはいうまでもない。