みだれめも 第107回
水鏡子
◇古本散策報告
ぼくが週2弱のペースで通っている、近所の10万冊収納を掲げる郊外型大規模古本店の近くに、今度は20万冊収納を謳う大規模店がオープンした。*万冊といったところで実際には同じコミック本を大量に抱えているだけのことだから、大差はない。問題は百円均一コーナーの品揃えの問題である。ハードカバー百円本の棚が10列近くあって、オープン当日は十数冊買い込んだものの、その後の補充が不十分で若干期待はずれ。
当日買った本はこんなものである:
『囚われの世界』(サンリオ)、『ザ・ベスト・フロム・オービット(上)』(NWSF)、『マルティン・ハイデガー』(法政大学出版局)、『他山石語(吉川幸次郎)』、『間間録(石川淳)』(毎日新聞社)、『改革の時代(ホーフスタッター)』(みすず)、『岩波講座 文学 新しい世界の文学』、『岩波講座 世界歴史 別巻』、『世界の歴史 地図・年表・小辞典』(中央公論社)、『女性たちよ!(橋本治)』、『世界文学全集 ラーマーヤナ』(河出)、『改造社の時代』(図書出版社)、『孤高のダンディズム』(早川)、『アザラシの自然誌』(平河出版)、『トロツキズムの史的展開』(三一書房)、『異次元交換の政治人類学』(勁草書房)、『老いと死のフォークロア』(新曜社)
全部百円本である。百円の値段で買えたということだけが快感で、買って帰って読むことはほとんど放棄している。それでも読む読まないは別にして、読みたいかもしれないという意味で、自分の興味の方向の自己確認と自己鼓舞を果たしてくれるという意味で、とりあえず行為の自己正当化はできているようである。10万円で買った一千冊の本の背表紙で自分というぼが再認識できるとするなら安い買物ではないですか。
今回買ったなかで唯一の文庫本であるハリスンは前から持っている本だけど、とりあえず再刊行されていないサンリオ文庫は百円でみつけたら拾うことにしている。『ベスト・フロム・オービット』もそう。この日買った一番高い本は三原順の『ラスト・ショー』(150円)だった。三原順のなかでこの本だけ持っていなくて、いくらさがしても見つからなくて、先々月あきらめてとうとう文庫判の『三原順傑作選’70S』を買ってしまったところなのだ。(もっともこの文庫判に載っている和田慎二のあとがきは逸品。三原順、和田慎二どちらのファンにも必携のエッセイとなっている。)
それにしても、こんな調子で拾ってくるものだから本箱は、ほんとうに収拾がつかなくなっている。だいたい、だぶってしまった本でダンボール箱ひとつ満杯になってしまうという事態はやっぱり反省する必要がある。
新刊で買う本と古本待ちする本の2極分化がますます激しくなっている。発売日に買わなかった本は、半額で古本屋市場に流れるまで買う気がしなくなっている。『ループ』と『BRAIN VALLEY』は入手が10月にまでずれこんで、けっこういらいらした。よほどのことがない限り、原則1冊百円、たまに3冊千円という買い方をくりかえしているだけに、そんな中で古本屋でそこそこの値段で買った本というのはそれなりに自慢してみたくなる。というわけで最近の成果のご報告。
『現代国民文学全集第27巻 現代推理小説集』(角川書店 昭和33年発行) 購入価1000円
この全集全部で36巻を数えるものだが、第8巻では『江戸川乱歩・木々高太郎・横溝正史集』が編まれている。国民文学というのは、いわゆるエンターテインメントを包含する昔ふうの言い方である。もっとも太宰や島崎、漱石、露伴も入っている、というかこのあたりまでエンターテインメントで括るほうがむしろまっとうな感覚というものだろう。面白みのある文学全集である。この全集に収録された40年前の〈現代〉推理小説集である。全28篇、目次だけでも楽しんでいただこう。
「途上(谷崎潤一郎)」「指紋(佐藤春夫)」「二銭銅貨(江戸川乱歩)」「怪奇を抱く壁(角田喜久男)」「ニッケルの文鎮(甲賀三郎)」「探偵小説(横溝正史)」「カナカナ姫(水谷準)」「ジャマイカ氏の実験(城昌幸)」「不思議な母(大下宇陀児)」「恋愛曲線(小酒井不木)」「死後の恋(夢野久作)」「聖悪魔(渡辺啓助)」「悪魔の弟子(浜野四郎)」「振動魔(海野十三)」「聖アレキセイ寺院の惨劇(小栗虫太郎)」「新月(木々高太郎)」「湖畔(久生十蘭)」「キキモラ(香山滋)」「黒衣の聖母(山田風太郎)」「社会部記者(島田一男)」「死刑執行人(高木彬光)」「天狗(大坪砂男)」「軍鶏(永瀬三吾)」「心霊殺人事件(坂口安吾)」「地方紙を買う女(松本清張)」「かあちゃんは犯人じゃない(仁木悦子)」「爆発(日影丈吉)」「五つの時計(鮎川哲也)」「解説(水谷準)」「年譜(中島河太郎)」
こうやってみると、この時期における推理小説の全体像は、社会派はまだ台頭してきたばかりで、猟奇・怪奇幻想風味が強い、ぼく好みの世界であったようである。数年先に出た推理小説全集になるとこの風景が一変してしまうのだから、すごい大変動だったのだなとあらためて思った。
帯の文章がまた、けっこう発見のあるいい文章。「西欧推理小説の輸入に始まった近代文学のこのジャンルは、巨匠谷崎潤一郎・佐藤春夫によって日本的開花を見た。その後推理小説プロパアの作家に継承され、探偵文壇を形成した。戦後、推理小説の隆盛は、日本推理小説の新たな開花と、見事な結実をとげた」
へえ、こういう系譜的理解がなされていたのかという感心がひとつ、最近あまり使われなくなっている「SFプロパー」という言い方の出処は結局この辺なんだなという納得がひとつあった。
『現代国民文学全集第36巻 国民詩集』(角川書店 昭和33年発行)購入価800円
近代詩が全体の三分の一、その後に短歌、俳句、童謡、民謡、歌謡曲、翻訳詩が続く。豪華といったらいいのか、豪放といったらいいのか、こうやって横一線に並べる姿勢に脱帽した。
手に入れたのはこの2冊だけだけど、ラインナップを覗いてみるとほかにも何冊か気になるものがあった。古本行脚の折には頭の片隅に置いておくことにする。
『現代日本文学全集 別巻 現代日本文学大年表』(改造社 昭和6年発行)購入価1000円
これがまた驚きの本。明治初年から始まって、大正15年まで、本として刊行された文芸作品の調べがついたかぎりのものを〈発行月別〉に並べている。それが3段組み500ページにぎっしり詰めこんである。大正15年12月に刊行された年表記載の一番最後の作品が、江戸川乱歩の『一寸法師』であるところなども感動的。付表としてつけられた社会略年表も出版物に重きをおいた文化的色彩の強いネタが多くて読み応えがある。たとえば、明治4年、ミル『自由の理』が訳されるとか、明治9年のところでは、「爾3年来、スペンサー、ミル、ダーウイン、ハックスレー等の学説続々紹介さる。マルサス、モンテスキの訳本等出ず。」などと文明開化というのが、思っていた以上にレベルの高いものだったんだとけっこう驚かされる。明治といってもまだ一桁の時代のことである。リストマニア垂涎の書でありますな。翻訳書がいっぱい拾われているのもうれしい。訳題から本の中味を当てる楽しみ方でみんなで騒げた。
この中味なら3000円出しても惜しくない。
この本の入手と相前後して、岩波新書から丸山真男と加藤周一の対談集『翻訳と日本の近代』が出た。シンクロしちゃったじゃないですかと感動しながら読んだ。『自由の理』というのはすごく有名な本だったようである。今、書きながらパラパラ見たら、吉川幸次郎やR・ホフスタッターなんて人に言及されている。おや、今回百円で買った本のなかにあるではないですか。こういうふうに本をめぐる世界は収束と発展をくりかえしていくものらしい。