みだれめも 第105回
水鏡子
琴線に触れる本がどこに転がっているものか、じっさいわかったもんじゃない。
リファレンス本、リスト本、データブックはどうあるべきか、どういうふうに作られるべきものか、あらためて、真剣に考えさせられる、すばらしいデータ本に遭遇した。
編著者名は須田鷹雄。本の名前は『POG完全攻略ガイド』(光文社・1050円)である。
笑っただろう。何の本か知ってる人ならたぶん笑うのが当たり前。わたしだって、そんなつもりで買った本ではないのである。だから最初に断ったのだ。琴線に触れる本がどこに転がっているか、わかったもんじゃないのだと。
とりあえず、無縁の世界の人たちになんの本かの説明をする。
お馬さんの本である。
競馬文化の一角で、今、猛烈にブームを迎えているペーパー・オーナー・ゲームという遊びがある。頭文字を取り、略したものがPOGである。
どういう遊びかというと、友人知人でグループを作り、今年の6月にデビューする3才の新馬たちのうち、自分の気にいった馬10頭くらいを、自分の持ち馬と宣言する。グループ内のそれぞれが、そうやって同じ頭数ずつの馬についての紙の上での馬主になる。それらの馬がレースに出て、勝ったら、その馬の持ち主にグループ内の他の人がご祝儀を出すというゲームである。6月の札幌・函館開催の新馬戦から始まって、5月のダービーまでの1年間をレース期間とするのが定番である。
前評判の高かった馬がレースで惨敗を繰り返したり、故障で戦列を離れたりするのはまだいい。いつまでたっても新馬登録さえされず姿を消してしまったりする。そのあたり、けっこう楽しい。
つまりこの本は、ペーパー・オーナー・ゲームをするにあたって、どの馬を選んだらよいかを検討するため、3才デビュー予定馬についての密度の高い情報を、目一杯盛り込んだ本というわけなのである。
読んでてめちゃくちゃ面白かったわけだけど、そのうちSFやその他文芸ジャンルにおけるガイド本、リスト本、データ・ブックと比較した彼我の差についていろいろ考えたくなった。リストをめぐる意識において根本的なへだたりがある。
どこから話を始めよう。
まずは見開き2ページの一千字ほどの緒言に言及したい。この本の編集方針を高らかに宣言している文章で、ほとんど全面引用をしたいくらいすばらしい。
『まず最初に、エネルギーを割く方向として、「読めるPOG本」ということを意識しました。3歳馬の馬体写真を重視する読者は、カタログタイプの雑誌と併用してください。少なくとも「POGを考える、POGを語る」ための本としては、他の追随を許さない仕上がりになっていると自負しています』
『次に、「結論を与えるのではなく、手段を与える」という方針を重視しました。(中略)自分で選ぶ楽しみを放棄してしまっては、POGの魅力は半減です。この本では「結論」として与えられるものよりも、「選ぶ手段」を多く収録してありますので、どうか大いに悩み、大いに楽しんでいただきたい』
「最後に、短絡的なPOG情報に終わらず、POGを通じて競馬の様々な要素に目を向けてほしいということも考えました。POGが競馬に貢献できることがあるとすれば、それを通じてファンが知識を得、競馬への理解を深めることができる点だと思います。POGは血統・生産・育成・調教・流通…競馬を支える様々な要素と関連があります。この本では各ジャンルに造詣の深い方々のご協力を得て、POGの「功」の面に貢献できるよう努力しました。」
うーむ、ほんとうに全文引用になってしまった。
もともと競馬ジャンルの情報密度は異様に濃い。1頭の馬がわずか3年前後の期間にたかだか20レースほど、それも多種多様な条件のもとで走るだけである。それを、騎手であるとか厩舎であるとかオッズ、血統、生産者、馬主、展開、出目などなど、あげくのはては9曜、馬名、語呂合わせにいたるまでありとあらゆる集合データを設定して、勝馬の蓋然性を高めて(?)いこうとするわけである。
データだけに限っていえばこの本よりももっと大量のものを詰込んだものはいくつもある。出版された時期が早目であったこともあり、リストの整理は追加追加でばらけていたりもしている。けれども、この本のよさは、紹介したような多面的な目配りが利いていること。リストの客観性とライターの趣味嗜好がじつにうまく調和していることだろう。
小説本の世界において、リストを作成するうえで、正確性や緻密性、情報量を誇る本にはいくつも出会った記憶があるけど、じっさい、読み捨ての雑誌記事用やっつけリストや自分たちの読書体験だけに頼ったパースペクティブに欠けた恣意的カテゴリー分類によるリストが多々あるなかで、それなりに優れたものは少なくないけど、この種の競馬本の情報量と比べるとはっきり言ってリーグがちがう。
そのもととなるのは、メディアが蓄積してきた情報量の差ということであるのだけれど、同時に、提供される側である読者サイドの規模と知識という問題がある。
ここ数年、文章をこねていくのに苦労している理由のひとつに、いったい読者がどこまでの知識を持っているという前提で話を組み立てたらいいのか、そんな迷いが生じているということがある。
ゴキブリが1匹いれば、床下には30匹はいるものと考えなければいけないと、昔からいわれている話だけれど、この話をひっくり返せば、たとえば、ロバート・アバーナシイという名前を書いて、ああ聞いたことがあるという人が、全国仮に1万人いたとして、書いた文章を目にする機会のある人は300人くらいということになる。そしてまずまちがいなくアバーナシイなんて固有名詞に反応する人間なんて1万人より一桁少ない。
この程度の名前を知っているのはあたりまえだというふりをして、文章を書いていくのは商業出版ではやはり許されないことではないか。アバーナシイとはどういうレベルの評価を受けたどういうタイプの作家であるかをえんえんと説明していかなければならないのでないか、アバーナシイ自体について書くのならそれもいいかもしれないが、ちょっとそんな名前を散りばめてみたいだけだったりするのなら、全体的な文章をどう処理していくのがいいか、そんなことを考えていると組み立ての基本がわけわからなくなってきた。
今年の巨人や阪神についてだれかと話をしたいとする。坪井がどうしたダンカンがどうした、渡辺オーナーというのが問題でね、なんて話の始まりを、もしかしたら、プロ野球にはセ・リーグとパ・リーグというのがあってね、といったとこから説き明かさねばならないかもしれないと思ったら、どう話をつないでいけばいいのだろう。
いい例が、SFM498号と499号に連続して載せた、ティプトリイとスタージョンについてのコメントである。ティプトリイについては読む人とかなりの部分の知識が共有されてると思い込めるものだから、わりと安心して文章を組み立てることができたのだけど、スタージョンに関しては、今のSFMの読者層にとっての〈知識〉のレベルが見えなくて、どう書いたらいいのか、たった100字の原稿に頭を抱えた。
〈「孤独の円盤」は『一角獣・多角獣』(異色作家短篇集13)に収録された作品である。〉
これはまあ、いいとしよう。さて、いまのSFMの読者には『異色作家短篇集』の説明がもしかしたら必要なのではなかろうか。
『POG完全攻略ガイド』を読んでいて、痛切に感じたのは、読者のもっている知識レベルに関しての提供側の信頼感の強さである。ロバート・アバーナシイ・レベルの単語が知られていて当然という前提で本が組み立てられている。そういうレベルで語れる相手が購読者として万のオーダー存在すると信頼されている。ゴキブリ理論からすれば潜在読者30万人である。
そんな信頼感のうえ、自分の抱えている知識について、正確さだけでなく、好みであるとか物の見方、パースペクティブなどをできるかぎり読者に伝え、ある種の文化共同体として成立させたいといった熱意が伝わってくる。
POGのブームが盛り上がり、そんなブームの推進役を果たしたといった自信も、本の出来栄えに反映されている。
とりあえず、この須田鷹雄という人のリストをめぐる考え方には強く共感を覚えたので、もうほとんど意味のない過去の年のこの人の〈POG読本〉を古本屋で探し回ってみたところ、とんでもない傑作本をまたひとつ発見した。
『馬券術大改造計画』(ワニブックス・1000円)
これがなんと〈競馬本・論〉本である。こういう発想で本を作ってしまう人だからぼくのアンテナにひっかかってきたのだともいえそうだ。またまた立派な序文がついていて、「この世に本当に当たる必勝法はないのである」という大前提をぶちあげ、馬券本の世界を俯瞰してみせる。内容のほうはやや拙速な面があり、この発想ならもっとちゃんとした本にしたててほしかったなという愚痴はでるけど、随所は立派である。うーむ、へんな日本語だ。