内 輪 第95回
大野万紀
ついに念願のオンライン版THATTAを立ち上げることができました。この連載も紙THATTAからほとんど2年ぶりの再開となります。古いのが読みたい人はバックナンバーの方をどうぞ。
さて、この連載はもともとはキース・ロバーツの翻訳をしこしこと連載することから始まったのですが、いつの間にやら身辺雑記と書評のページになってしまいました。WEB上で版権なしの翻訳をするわけにもいかず、今後も内輪な話と最近ぼくの読んだ本の感想(書評というほど大したもんじゃなくて、どっちかというと読み終わった直後の第一印象を気ままにつづったという感じ)を中心に、ぼちぼちとやっていこうと思います。
今回は久しぶりの再開となるので、身辺雑記はやめて、この1〜2年にぼくが読んでメモしておいた本のうちから、いくつかピックアップして掲載します(それでも結構な量になってしまった)。何しろ読んだ直後の感想なので、今では意見が変わってしまったものもありますが、基本的に当時のままに載せておきます。96年〜97年というのは身辺がめちゃくちゃ忙がしかった時期なので、あまり深く考えずに書いていることが見え見えですね。
それでは、ここ1〜2年に読んだ本から(読んだ順です)。
『虚空のリング』 スティーヴン・バクスター
バクスターは小説が下手だ、というのが枕詞になっているけど、小説の下手さが気になったというのは、そのアイデアがまだまだ十分に壮大じゃなかったということなのだな。重力定数が違うだの、中性子星の中の世界だの、小さい小さい。
『時間的無限大』はけっこういい線いってたのだが、これもほとんどが太陽系の中の話だった。本書は違うよ。時間的には宇宙の(このバリオン宇宙の)終わりまで――といってもたった(!)500万年後なんだけど――空間的には銀河団も越えてグレートアトラクターまで何十億光年。これだけのスケールだと、さすがに人間ドラマがどうなんて全く関係ない。宇宙のいろんな景色が見えてきて「わあきれい!」の連続だ。小説? そんなものどうだっていいじゃないか。ひさびさにスケールのでかさのみでわくわくさせられましたよ。
暗黒物質対通常物質の戦いというのも想像を絶していて、かっこいい。おサルの子孫と電卓の子孫が銀河で戦う話もあったけど、それよりもずっとスケールでかくていいや。ジーリーがもう少し前面に出て欲しかったとは思うけど、いや、堪能しました。
『星界の紋章1〜3』 森岡浩之
評判のスペースオペラ三部作を一気読みした。うーん、面白かったけれども、期待したほどじゃなかったというところ。〈銀英伝〉のような読みごたえを期待したのだが、特に1巻の後半から2巻目が盛り上がらず、がっかり。3巻目の宇宙戦争はそれなりに面白かったのだが。
設定はいい。〈銀英伝〉タイプのスペースオペラ大作になり得る、世界の奥行きがある。SF性という意味では〈銀英伝〉より上かも知れない。しかし、それがあまり生きていない。何より物語にぐいぐいと読者を引っ張るドライブ感が少ないのが致命的。淡々としすぎている。
キャラクターについていえば、ヒロインには確かに魅力がある。でも主人公の男の子がよくない。これだけの広がりを持ち得る物語なのに、平凡で軟弱な今時の男の子でしかない主人公と、魅力はあるが子供でしかないヒロインに、視点を集中しすぎだ。すぐれたキャラクター造形とは、あまり細々としたキャラクターに密着した描写をしすぎないことにあると思う。それが読者に自由なイメージのふくらみを許し、愛着を増すことになるのではないか。いやいや、本書はまだましな方で、ライトノベルと呼ばれる小説の中では作者がキャラクターに思い入れるあまり、キャラクターとべたべたになれ合ってしまってうんざりさせられるものもある。もう少し客観的に見たり、突き放して見たりした方が面白くなるのに。本書では、もっと脇役というか、子供二人以外にもっと重要な役を振って欲しかったと思う。それとルビはやっぱり使いすぎ。読みにくい以外の何ものでもない。
『恐竜レッドの生き方』 ロバート・T・バッカー
あの温血恐竜説で有名な恐竜学者バッカーの小説。知能の高い肉食恐竜ラプトルが主人公。はじめ、恐竜を擬人化して描くなんて、とちょっとうんざりしながら読み始めたのだが――確かに著者のちょっと変わった感情移入のしかたや、擬音語の多用など、なんだかなというところはあるのだが――しだいに気にならなくなる。白亜紀がここまで鮮やかに描かれ、恐竜の生態がしっかりと表現されていて、ストーリーテリングも充分。これは合格です。なんていうか、動物小説ですね。これって。
『星海への跳躍』 ケヴィン・アンダースン&ダグ・ビースン
米ソ冷戦時代の末期に書かれた話。まあそれはどうでもいいけど。月とL4,L5のコロニーが、核戦争で滅亡した地球に頼らずに、自分たちの努力で生き延びようとする話。フィリピンのコロニーが重要な役割で出てくるのが面白い。で、あんまりハイテクハイテクした技術に頼らず、遺伝子工学の産物である知能のない宇宙生物や、月とコロニーをワイアーでつなぐといったアイデアが中心にあって、それがなかなか興味深い。登場人物は一部をのぞいてみんないい人。独裁者をやる悪役も、根っからの悪者ではない。それはそれでいいんだが、何だかまとまりのない、長期的展望の見えないストーリーに終わってしまったのが残念だ。火星にいくぞ、とかいっているけど、どうすんの? いや技術面じゃなくて、こんな少人数で生き残った世界が、どう再建していくのかという展望がさっぱり見えないよ。でもそういうのを別にすれば、不満も多いが面白く読めた普通のSFです。
『SFバカ本』 大原まり子・岬兄悟編
タイトルがいいし、バカ話としてのSFをやりたいという主旨もOK。でも残念ながら、SFおじさんには何だかつまらない、物足りない短編集になってしまった。下ネタに走るのはいっこうにかまわないのだが、わーすげー、超絶センスオブワンダーなバカだなーというぐらいバカじゃないとSFのバカとはいえない、ただのそこらのバカじゃあーりませんか。
おじさんの愚痴になっちゃうけど、昔の日本作家のバカSFは(ハチャハチャといっておりましたが)とてもこんなもんじゃないでしたよ(何か口調がおかしくなっちゃった)。
まー、それはともかく、けっこう気に入った話もなかったわけではなく、中井紀夫の「ジュラシック・ベイビー」なんていい雰囲気出している(けどバカSFとはいえないんじゃないの)し、岬兄悟の「吸血Pの伝説」も、ありきたりの展開じゃなくて、これはかなりいい線いったバカSFだといえる。でもバカSFがいい線いっちゃうとバカSFとは違うものになるんで、難しいところか。
期待していたまり子さんの「スーパー・リーマン」はちょっと期待はずれ。もっと、もやもやっとしたものが欲しいです。いずれ大原まり子論はやらねばならねば(小松SF論の反語として……)と思っていろいろ考えてはいるのだが、たぶん「処女少女マンガ家」というのが一方にあるとしたら、「既婚共稼ぎ女性作家」というのはちがうベクトルで……おっとあぶない、うーん、本当はオタク概念の変質が重要なんだろうな。で、要するに成功した業界に生息するオタクなんて、バカSFの対象にはならないよ、ということがいいたい……のかも知れない。まあいいや。
最後に斎藤綾子「ハッチアウト」、これはバカSFじゃありません。でもファンタジーというか、エロティックな幻想小説というか、よくできた短編小説でした。
『重力の影』 ジョン・クレイマー
科学者作家の「学者SF」だけど、これは面白かった。超ひも理論といったハードな部分はメインのストーリーとあんまり関係なく、ストーリーはディズニーのファミリー映画のノリだ。でもこれがなかなかいい感じで良くできている。良く読めばきっとすごくハードなんだろうけど、ほとんど気にならないで楽しめる。ただ、全体がハッピーなのに、あの教授の扱いだけがちょっと後味悪いんですが。
『吸血鬼エフェメラ』 大原まり子
吸血鬼ものというよりも、残酷な恐怖政治の世界の、血と力と耽美を描いたお話。何か文学的な感じ。お茶を楽しみ、りんごのお菓子を食べていても、あまり日常的な感じはなくて、ひたすら暗く深く気まぐれな死と恐怖に耽溺している。何となく古風で、でもオウムの現実も思い起こされて(でもオウムはこんなに美しくはなかったと思う)、何だか日本人ってこういうのが実は好きみたい。空から降ってくる人の雨はもろC・スミスだけど、スミスのおとぎ話っぽさがなくて、妙にリアルで神経に触る感じ。何だか哀しい物語でした。大原まり子のひとつの頂点でしょう。
『宇宙のランデヴー3』 アーサー・クラーク&ジェントリー・リー
クラークじゃなくてリーの本だと思えば何も問題なし。SF的なシチュエーションの中での家族や性や子供の成長といった問題が論じられているSFとして、それなりに面白く読める。後半は社会と人間性がテーマか。たまに出てくる異星人の描写がクラークぽくってよい。ハードカバーで買う気はしないので、早く続編が文庫になることを望む。
『ハッカーと蟻』 ルーディ・ラッカー
面白かった。コンピュータ・サイエンス的な話がかなり細かく書かれていて、述語も多い。こういうのもハードSFといえるんだろうな。すごい人工知能みたいなソフトをデバッグするのに、まるでライントレースみたいなデバッガを使っていたりするのは、何となく笑える。しかし、ラッカーの登場人物って、えらいことが身の回りで起こっているのに、なんかすごく日常感覚で対応していて、よほどタフなんでしょうね。
『つぎの岩につづく』 R・A・ラファティ
これって、Strange Doings なんだよな。懐かしいというか。何というか。いかにもラファティらしいお話だ。「レインバード」は単純でストレートな話にもかかわらず、どこか印象深い。「テキサス州ソドムとゴモラ」みたいなフォークロア調の話もいいが、「豊饒世界」や「ブリキ缶に乗って」みたいな宇宙ものが好き。そして「超絶の虎」のようなとんでもない子供たちの話は大好きだ。
『さよならダイノサウルス』 ロバート・J・ソウヤー
あとがきを読むとぜひ読みたくなる、とても面白そうな話。で、確かに面白かったんだけど、ちょっとやりすぎのような気がしないでもない。あんまり主人公たちが魅力的じゃないんだな。謎と解決は面白いんだけど、強い人間原理が出てきては、ハードSFとはいえないだろう。でもこういうSFがもっともっと訳されて欲しいと思う。
『大暴風』 ジョン・バーンズ
『軌道通信』に比べてずいぶんと派手なSFとなった。パニックSFというよりは、コンピュータネットワークSFであり、人類進化テーマSFといってもいい。肝心の大暴風の描写が淡々としすぎているというか、小松左京の『日本沈没』よりも迫真性が感じられないのがつらいが、話は面白い。進化したネットワークというのがありふれていて、ちょっとね。ポルノスターが準主役になっていたり、わりとエッチっぽい。それにしても、視点がこれほど多いのはやっぱりうっとおしいね。SFのお約束としては、結末の壮大なスケール感が陳腐ではあっても嬉しいわけだから、もっとそちらに集中されていればいうことはなかったと思う。タイトルのわりに、思いがけない秀作だった。
『ヴァート』 ジェフ・ヌーン
今年の話題作なので、遅ればせながら読んでみた。うーん、近未来ドラッグ小説。若者たちのぶっとんだ風俗は悪くない。翻訳もあっているみたいだ。でも何だかドラッグの悪夢がサイバースペースそのもので、変な感じ。だからSFなのかな。リアリティがぐちゃぐちゃになるというのはいいのだが、ベースがはっきりしないので、ちょっとぼくら普通のSF読みにはつらいかな、というところ。
『パワー・オフ』 井上夢人
SFMで紹介されていて良さそうだったので、さっそく買って一気読み。面白かった。この人はコンピュータ関係に詳しいみたいで、そのあたりはちゃんと書かれており、なんだこれというところがない。前半はハッカーとウィルスの話だが、それがA−LIFEの話になり、最後はぞくぞくするようなファースト・コンタクトへとつながる。大森望がいうように、これは確かに本格SFだ。
『BS6005に何が起こったか』 小松左京
アスペクトから出た新装版の短編集。しかし、今小松左京を読み直すと、若い頃読んだのとはまた違う印象があるなあ。これを書いていた当時の作者より年上になっちゃったんだもんなあ。読んでいるとつい、ポリティカル・コレクトネスなんて言葉が浮かんできて(特に女性の扱い)困ったけど、まあそんなことは大したことじゃない。どれも気恥ずかしくなっても仕方のない大上段なSFだけど、今でも結構新鮮に読める。「神への長い道」より「あなろぐ・らう゛」の方が感動的なのは何故でしょう。
『女王天使』 グレッグ・ベア
うーん。ベアってもっと面白いものを期待できると思うのだが。面白くないとまではいわないけれど。認知科学の問題を扱ったSFとしてりっぱなのはわかる。人工知能が自意識を持つところは感動的なのだが、他のストーリーがやっぱりつながってこないし、色々と意識について考察してみました、という以上ではないような気がする。メインのストーリーは面白いのだが、最後は、え、もうページがないよ、で終わってしまっている。リアルといえばリアルなのかもしれないが、物語としてはこれじゃあ物足りない。
『第81Q戦争』 コードウェイナー・スミス
落ち穂拾いみたいな短編集。といっても、「マーク・エルフ」とか「昼下がりの女王」、「人びとが降った日」、「青をこころに、一、二と数えよ」、「夢幻世界へ」といった心に残るスミスらしい作品はある。でも、これはスミスの世界に慣れ親しんだ人が、こういうのもいいよね、と読むのが正しくて、スミス入門にはならないだろう。
『宇宙のランデヴー4』 アーサー・クラーク&ジェントリー・リー
ジェントリー・リーの人間ドラマというのは、悪くないのだ。親子の問題とか、夫婦の問題とか、確かにしっかりと描かれていて、よくできたドラマとして読める。幸せと不幸せの相対性といったものが、けっこう厳しく描かれていて、ずきんときたりする。だけど、クラーク的な宇宙SFとは合わない。中核点のクライマックスは、これがクラークだったら感動するセンス・オブ・ワンダーにあふれたシーンなのだが、人間ドラマのスケールとミスマッチで、感覚が分裂してしまうのだ。両方とも同じくらいの比重で描かれるのが問題なんだろう。この点で解説は間違っていると思う。
日常性と超絶的なSF性の比較が効果を上げている例としては、小松左京の『果てしなき流れの果てに』がある。あそこで、大阪近郊の数十年の発展と爺婆の茶飲み話が果てしなき大宇宙とからんでいくところに、今生きているわれわれと大宇宙の関係を考えさせてくれる感動がある。ところが、本書の場合、ニコルたちの家族の問題があまりに彼らの中で自己完結しているために、(それなりに切実な人生の問題を語ってはいるのだが、ぼくらと直接からむようなある種の抽象性に欠けるのだ)ベクトルが合わないのだろう。
『ライトジーンの遺産』 神林長平
超能力を持つ人造人間(この語感はあんまりいただけないなあ)を主人公にした連作。ありきたりな話になりそうなところが、神林はうまくするりとはずしてくれる。基本的には軽い話だ。なかでも「ヤーンの声」はSFでも何でもないが、いい雰囲気が出ている。最終話の「ザインの卵」もこの手の話の定石を崩していていい感じだ。このレベルの話が普通に書ける作者は、やっぱり偉いと思う。
『SFバカ本 白菜編』 大原まり子・岬兄悟編
この中でやっぱりSFファンだなあと思ったのが谷甲州「五六億七千万年の二日酔い」と野阿梓「政治的にもっとも正しいSFパネル・ディスカッション」。系統は全然違うのだけど。谷甲州の宇宙論バカSFは昔だったら堀さんの書きそうな話だけど、こういうのは好きだなあ。野阿梓のはファンジンに載るすごくよくできたパロディという感じ。いずれもある種の知識を要求されるところが、SFらしいという気がするのだ。
『アルカイック・ステイツ』 大原まり子
いやあ、かっこいい。今の日本SFの最高の書き手は大原まり子(と谷甲州)じゃないだろうか。なるほど、今度はヴォクトですか。でも、そういうことじゃなくて、大原まり子は大原まり子だ。確かにワイドスクリーン・バロックといってもいいのだが、そういうレッテル以上にすごくSFを感じる。例えば第5章。ほんの数ページに凝縮された1万年。ここは読んでいてまさに戦慄的な時間の流れを感じた。手塚治虫の『火の鳥』や光瀬龍の昔の作品や、小松の『果てしなき』を思い起こさせる数ページだ。理屈じゃなく、こういうのに感動できるのがSFを読む魅力じゃないだろうか。SFは読者を選ぶと思う。誰にでもわかりやすいSFっていうのもあるかも知れないが、本当に魅力的なSFは、SFのミームに感染した受容器官を持つ読者にのみアピールするものだと思う。それでいいんじゃないだろうか。で、本書にはきっと続編があるはずだ。書かれないかも知れないけれど、この宇宙を舞台にした短編なら、いくらでもできるはずだ。それがとても読みたい。
『デッドボーイズ』 リチャード・コールダー
『蠱惑』は衝撃的で面白かったのだが、『デッドガールズ』は退屈で、そして『デッドボーイズ』はぼくには読むに耐えない。自己満足した言葉が垂れ流されるが、残酷でSM的で凶暴であっても、宮崎勤の「ネズミ人間」ほどのリアリティも衝撃性もなく(感情がないから感情移入もないし、したがってポルノ性も薄い)、頭痛いだけ。巽先生の解説も、ストーリー紹介と近作紹介、それに映画の話で終始しているし。
『内海の漁師』 アーシュラ・K・ル・グィン
ハイニッシュ・ユニバースものの短編集。比較的最近の作品で、「ル・グィンがSFに帰ってきた」と帯にある。まあ、最近の長編(読んでないけど)よりは読みやすそうだなっと。〈落とし話〉だという2編は、どこが落とし話やねん。「ニュートンの眠り」は別に反科学という感じはせず、物語として面白く読めた。ハインものの三部作では、最後の「内海の漁師」がSFとして面白かった。面白かったんだけれど(タイムパラドックスを扱っていたし、主人公が普通の感情移入できるタイプだったので)、これと「踊ってガナムへ」の、ル・グィンが力を入れた文化人類学的アイデアというのが、ぼくには難解で、すんなりと理解ができなかった。「ガナム」の方はまだ納得できる(というか、この結末は見え見え)のだが、惑星Oの婚姻制度はさっぱりわかりましぇん。で、物語はむしろ男女二人の普通の愛情関係が中心にあって、特有の文化との関係が見えてこない。〈ハードSF〉って難しいねえ。それでも、ごく日常的な普通の人間関係と農家の生活が宇宙的な謎とからまってくるところはとてもいい。
『火星転移』 グレッグ・ベア
上巻はSFハーレクィン・ロマンスなのかという展開。面白くは読めるけど、ベアってこんなのだっけ。古代火星の生態系の話はいい。下巻で戦争がはじまり、最後には宇宙SFになるのだけれど、そしてこのエピローグはSFファンの琴線を刺激してとってもいいのだけれど、物語とのこのギャップはどうしてくれるの。メインストーリーとしては、別に火星じゃなくても月でもかまわないわけで、要するに最終兵器を手にしたことによる、やるかやられるか、それとも逃げるか、という話なわけだ。これって本当に他の手段はないのかね。そういう意味でかなり寂しい話だから、それほどすかっとした読後感がないわけね。エピローグにしたところで、地球という潜在的な敵をかかえたままなのだから、のんびり平和だといっていられないと思うよ。
『ターミナル・エクスペリメント』 ロバート・J・ソウヤー
脳波計で魂を発見し、サイバースペースにコピーされた人格が妻の浮気相手を殺し、まあ、そういう話。面白いことは面白いけど、ネビュラ賞?という感じ。で、作品そのものより瀬名秀明の解説が話題になっているみたい。でも、これはすごく正当で好感のもてる解説じゃないですか。「SFは難しくて普通の読者にはわからない」といったのが批判されているというのだが、そんなの間違っているとはいえない、正しい意見だと思うのですが。で、ソウヤーって、アイデアストーリーとしてのSFをごくまっとうにやっている作家だ。別にハードSFってわけでもなく、こんなの思いついたぞ、と嬉々として書いている感じ。SFの王道ですね。
『天使墜落』 ラリー・ニーヴン&ジェリー・パーネル&マイクル・フリン
反科学主義・非合理な保守主義が支配する未来のアメリカでSFファンダムが正義の活動をするお話。SFファンのエゴブーがとても満足される、いってみれば脳天気なストーリーで、どんなご都合主義もSFファンなら許される、というやつ。お遊びたっぷりでとっても面白いんだけど、このいやな感じの未来社会がヘビーでけっこう真面目に描かれているだけに、これでいいんだろうかと思ってしまう。反科学主義・非合理な保守主義に反対し、未来を信じて科学技術の進歩のために戦う、というのなら人が命をかけるに値する政治信条といえるが、それはSFファンとイコールじゃないでしょう。ファンダムの連帯に命をかけるというのは、うーん、ちょっと怖かったりする。
『敵は海賊・A級の敵』 神林長平
ここしばらくの〈敵は海賊〉は何ていうか神林節が強すぎて、もともとのストレートな面白みが薄れていた印象があったのだが、今回のは面白い。新キャラクターがいい味を出している。意外とアプロと相性がいいようですね。今度の敵はニワトリだ。このあたりがやっぱり神林だなあ。りっぱにバカSFしている。でも純粋な情報としての存在といったあたりのスペキュレーションは、これとはまた違った形で、ハードSFとして展開してほしいところだ。
『3001年終局への旅』 アーサー・C・クラーク
歳とってからのクラーク単独の作品というのはどれも淡々としていて、エッセイ集を読むような感じだ。メリハリのあるストーリーはなくなってしまっている。いずれも短いシーンの積み重ねで、そのシーンにはいかにもなクラークらしさが現れているのだが。
本書も『2001』の続編という感じは全然ない。そもそも、ツアラトゥストラが鳴り響くような荘厳なクライマックスが存在しない。モノリスも単なるオブジェ、超知性たちもあっけない、はかない存在だ。あのボーマンさえ、ここでは大したことない。いや、面白くなかったわけじゃなくて、のめり込んで読んだわけだけど、まあ、あっさりしているというしかないや。それと、無慣性航法なんてすごいのが出る一方で、光速は越えられないとするなど、1000年後の未来の常識が、そのバランスがよくわからない。
ついこの前までのクラークには、ステープルドン的というか、超越者へのあこがれみたいなものが常に低層音となってつきまとっていた。ちょーと紙一重みたいなあやうさがあった。そういう神秘性が本書ではあっさりと切り捨てられている。あの〈遠未来〉の叙情がなくなってしまった。これはこれで、クラークのひとつの決断なのだろう。
『グローバルヘッド』 ブルース・スターリング
スターリングってやっぱりすごく政治的で、アジテーションみたいなのが似合う人間だと思う。「あわれみ深くデジタルなる」なんかまさにそうだし。こういうアジテーションの口調って、引き込まれるものがあるよね。グローバルヘッドといっても、本書では結局ロシアと中東のことじゃないだろうか。それとアメリカとの関わり。極東とかアフリカとか、南米とかいったところは作者の視線から外れているといわざるを得ない。まあ、その分ロシアと中東ものは面白い。でもでも、どの短編もなんか中途半端で、小説としての魅力には乏しいんだよなあ。途中まではけっこう引っ張っていくのだけど、なんだかよくわからない結末で終わる。ぴんとこない。もっとストレートに面白ければいうことないのに。
『火星夜想曲』 イアン・マクドナルド
ふう。やっと読み終えた。『火星夜想曲』というタイトルと、新時代の『火星年代記』という帯の文句は、おもいっきりミスリードだなあ。まあ、始めのうちはそれでも間違いではないのだが。途中はプロレタリア文学か宮崎駿(ラピュタ)かという感じで、さらには地獄の黙示録みたいになってくる。で、やっぱり緑の火星人なのね。いや、すごく密度の高い傑作だとは思うけど、SFというよりは幻想文学ということなのでしょうね。原題からはもっとバラードっぽい乾いたものを想像していたのだが。傑作には違いないのだが、アピールしてくるところというのは、「ひょっこりひょうたん島」や「ネコジャラ市の11人」を思い起こさせる〈町もの〉(?)なところだった。いや、好きだからいいんです。ついつい、誰がガバチョで誰がトラヒゲでと、そういう方に頭が向いてしまうんです。
『仄暗い水の底から』 鈴木光司
東京湾をテーマとしたホラーの短編集。これはなかなかいい短編集だ。いずれの作品もずばりとお化けや超常現象が出てくるわけではなく、心理描写で読ませる作品だ。怖いけれど、どことなく引き込まれるものがある。都会の夜の闇、暗くどんよりとした海、静かな水の音。小説としてとてもうまいと思うし、読み応えがある。余韻を残し、かといって中途半端にならず、ちょうどいいまとめ方だと思う。「海に沈む森」のように、死の恐怖がリアルに描かれているがホラーではなく、人間の勇気を正面から描くような作品も感動的だ。描写が程良くて、いやらしくないところが良い。
『星は昴』 谷甲州
昔の短編集。「フライデイ」「私の宇宙」「コズミック・ピルグリム」などの情報系をテーマにした作品は、強く堀晃を想起させる。トリニティ・シリーズの一編だといっても通じそうな感じ。谷甲州らしさを感じるのは「時の檻」や「道の道とすべきは」のような中国ものをからめた宇宙SFや、「星殺し」や「猟犬」のような冷たくハードな味わいのあるものだろう。いや、それよりも何よりも「敗軍の将、宇宙を語らず」や「ホーキングはまちがっている・殺人事件」のようなハードSFバカ話にあるのだ。
『戦争を演じた神々たちII』 大原まり子
通勤電車の中で1日で読み終えた。いろんな情景が頭に浮かび、考えさせられる短編集。ストーリーが重要な話ではないのだが、エピソードの中にはこれは何だったんだろうという、ピンとこないところもある。もっとじっくりと読まないといけないのだろう。〈神話的SF〉というのがいいのか、数万年を一気に飛び越えてみせるところや、滅びのイメージが美しい。でもぞっとするほど残酷だ。
『あいどる』 ウィリアム・ギブスン
なかなか読もうという気がおこらなかった本。前半は話がつかめず、もやもやとしたまま進む。未来の東京といった感じはまるでしない。ネットワークの書き方は現実に近づいたのかも知れないが、SF的じゃない。それでも後半なんとか読ませたのは、ヒロインの追っかけ少女がよかったから。それにしてもレイニーは何をしていたのだろう。最後まで役割が不明確だった。もういいかげんにギブスンをサイバーパンクといった言葉で捉えるのはやめないといけないのだろう。テクニカル・ランドスケープを書く作家ということでいいんじゃないだろうか。そういう意味では成功していると思う。
『フィアサム・エンジン』 イアン・バンクス
難解だという評判だったが、読んでみると、難解ということはなくて、しっかり遠未来SFしている話だった。ヴァーチャルリアルな情報の世界が現実世界と同じくらい自立しているので、それがファンタジーな要素となっているが、ごくストレートなSFと感じた。C・スミスを思わせるようなところもある。登場人物たちが、与えられた使命や運命の操り人形であるところとか。翻訳には難があるのかも知れないが、ぼくには十分面白かったし、SFの醍醐味を感じさせてくれる秀作だ。
『時間旅行者は緑の海に漂う』 パトリック・オリアリー
あんまり絶賛している人もいないし、難しそうな感じで敬遠していたのだが、読んでみると思ったよりは読みやすかった。しかし、これは時間旅行の話じゃないわなあ。SFというのもつらい。幻想小説、でもないから、やっぱりSFといってもいいのかな。それとも、結局は幻想なのだろうか。不条理だ。よくわからん。
『花粉戦争』 ジェフ・ヌーン
イギリスでは、というかエジンバラ大学SF研では(とキャロちゃんがいっていた)大人気のジェフ・ヌーン。ちょっとついていけないところはあるのだが、奇妙な魅力があるのも確かだ。前半はかなり退屈なのだが、後半はけっこう面白かった。花のとても官能的な描き方はいいが、鼻水の描き方はグロい。結局形を変えたバーチャル・リアリティものとして読むのが正解なのだろうか。
『ジャンパー』 スティーヴン・グールド
テレポーテイションによる願望充足SF。というと身も蓋もないけれど、テンポが速くて面白かった。とはいえ、主人公の行動が子供っぽすぎて、まあ子供だからしかたないんだけれど、白ける場面もあった。この主人公はあんまり好きになれないなあ。
『光の帝国』 奥田陸
ヘンダースンのピープルシリーズに触発されたという、SFというかファンタジイの連作。淡々としていて、ドラマチックな盛り上がりはないが、とても魅力的だ。すべては描かれておらず、関連についてのほのめかしがあるだけだが、それもまた雰囲気があっていいんじゃないだろうか。ツル先生というキャラクターがいい。すごく気になる印象的なキャラクターだ。隠された力、日常の中の超越というのは、いつの時代もSFファンの琴線をくすぐるテーマだろう。
『BRAIN VALLEY』 瀬名秀明
上下二巻の分厚い本だが、まだ続きがあってもいいような気がした。オカルトっぽいところもあるけれど、前作に比べれば明確にSFといっていい。いや、こんな話をSFと呼ばずにどうするっていうの。ある意味でラッカーと同じノリのハードSFだと思う。つまり科学知識や科学的な知が技術・工学的な方向ではなく、より形而上な(あるいはオカルトな――というと違うかも知れないけど)世界へと向かっている。下巻を批判する人が多いが、そして小説的なバランスからいえば確かに問題ありだと思うのだが、ぼくには後半のビジョンもSFとして納得できる。何でも複雑になれば意識を持っちゃうよ、というのは、許せない人がいるのはわかるけど、ぼくは許してしまうよ。神が現れたって、それは物理的存在じゃないのだから、オッケーだもん。最後のエピソードはさすがにあれっと思うのだが、クラークだって、ついこの前まではボーマンの幽霊をうろつかせていたんだから。ところで「理科少年」というのはぼくにとっては賞賛すべき誉め言葉としか思えないんだが、世の中にはそうではない人もいるらしい。うーん。
『らせん』 鈴木光司
ずっと前に『リング』を読んだときには、良くできているけど、結局そう怖くもないホラーだなと思った印象があり、文庫化された『らせん』も眺めるだけだった。でもふと手に取ってみると面白そう。で買ったら、たちまち読んでしまった。これは面白い。確かに超科学だし、オカルトっぽいし、SFじゃないといえなくもないのだが、でもこの面白さの質はやっぱりSFのものじゃないのかなあ。科学的にはとてもあり得ないとは思えても、情緒的なホラーじゃなくて、しっかり論理的で、瀬名秀明と通じるものがある。前作の弱点と思えたところもしっかり補強されているし。ぼくの中ではもう鈴木光司は紛れもないSF作家となった。
『グリンプス』 ルイス・シャイナー
これは良かった。60年代ロックSFファンタジイ、というのは嘘ではない。60年代ロックってそんなに詳しくないし……と思っていたのだが、詳しくはなくても聞いたことはあるし、何より比重はロックより60年代の方にあって、ぼくも先っちょくらいは60年代にひっかかっている世代なんだなあ、と感慨に耽ってしまった。読んでいるとあのころの空気や、いろんな情景が浮かんでくるのだ。いや、決してノスタルジーに浸るというタイプの話ではないのだが。父と息子の問題や、男女の問題については、ちょっとうっとおしく思えるところもあったが、小説としての完成度が高いので許せる。訳者も思い入れがはっきりと出ていて、それが決して嫌みではない。共感できる、いい小説でした。
『ワイルドサイド』 スティーヴィン・グールド
どこでもドアで大儲けしようという話。軽い話だが、このレベルのSFがコンスタントに出ていれば、SFも安泰なんだろうな。面白く読んだのだが、このがきんちょどもの行動に、お前らはそんな大発見を何てちっぽけなことに使おうとするのか、と納得できない気持ちになったのも確か。とはいうものの、未知への扉があったとき、ワイルドサイドじゃない側との(それは国家権力とかだけじゃなく、家族や恋人といったごく普通の日常も含まれる)軋轢が、どうやらこの作品のテーマなので、世界そのものについての物語はまた別のところで語られるべきものなのだろう。でもでも、結末のSFストーリーは納得できないぞ。使命とかいっているけど、この人たちはいったい何がしたいというのだ。うーん、わからん。
『心の昏き川』 ディーン・クーンツ
すごい男とすごい女と情けない犬が善の側、すごい男とすごい女とすごい怪人が悪の側で追っかけあう話。うーん。何ていうか、迫力はあるし、読ませるし、次第に明らかになる国家権力の悪(クーンツはそれを本気で憤っている)の深刻さ、重さも読みごたえがあるのだが、それはさておき、この主人公たちのスーパーマンぶりにどうも違和感を感じてしまうのだった。特にヒロインの方はどうしてこんなことができるのか、納得いかないって感じ。いっそ超能力者だとか、組織でずっと訓練を受けていたとかいうのならわかるのだが。それと、重要な大道具として使われる人工衛星の描き方が、何だか上空に浮いている気球か何かみたいな感じで、あらあらと思ってしまう。もう少しごまかすとか、それらしく書くとかできたように思う。
『ループ』 鈴木光司
うーん。『らせん』と『リング』を力技でSFにしてしまった。これはどこから見てもSFに間違いない。それも、もう臆面もなくSF。作者がSFプロパーじゃないっていうのはこういう時有利なのかも。だって、普通もう少しひねってみようとか考えちゃうでしょう。ほめ言葉としての「バカSF」というべきか(この言葉はあんまり好きじゃないのだが)。
細かいことをいえば、色々と何でそうなるの? という所がある。この世界がどうしてあの世界と細部まで一致しているのかというのはかなり重大な疑問だし、世界を救うために彼があちらへ行く方法にしても、何で? と思ってしまう。だって、ニュートリノでしょ? まあ、しかしそれが致命的というわけではないわな。
物語は面白かったし、アメリカへ行くまでの登場人物たちの造形もとても良かった。ただ、アメリカへ行ってからはちょっとバランスが狂った感じがする。結局「ループ」という大プロジェクトのすごさがあまりアピールされてこない、というか物語の中心から少しそれたところにあるサブテーマ的にしか扱われていないのが問題なんだろう。実はメインテーマであるにもかかわらず、だ。本書のドラマはどちらかといえばループではなく、ガンウィルスの方にある。それが読後感の分裂を招いている気がする。
ともあれ、本書は読みごたえのある、SFファンにとっても大変おいしいSFでした。