大野万紀「シミルボン」掲載記事 「このテーマの作品を読もう!」
海外SFはちょっと苦手という方に――こんなもんいかがっすかぁ
「こんなもんいかがっすかぁ」は亡き水玉螢之丞さんの決めぜりふだったけど、読書家なのにSFは――特に海外SFは――ちょっと苦手という人、けっこう多いですよね。その理由はと聞いても、何となく難しそうとか、よくわからないからとか、そういうもやもやした理由が多いのではと思います。さすがに昔みたいに子供だましだからとか、そんなのは減ったみたいですけれど。
ぼくの友人などでSFが苦手という人は、本の内容よりも、うっかりSFが好きだとかいうと、まわりにいる「SFファン」を自称する連中からあーだこーだといわれるのがイヤだと。まあそういう面倒くさい分野だと思われているんでしょうね。
実際そういうことがないとはいえないので、ごめんなさいというしかないのですが。ごめんなさい!
でもまあ、純粋に作品の内容だけについていえば、おそらく日常からの飛躍の大きさが壁になっているのではないかと思います。科学的なものが苦手という人もいるかも知れませんが、一部のハードSFや、科学そのものをテーマにした哲学的なSFを除けば、SFの中の科学は世界設定の飛躍を説明するための道具にすぎない場合が多いのです。ウサギを追って穴に落ちたら異世界へ飛ばされたというより、タイムマシンで過去の世界へ行ったとする方がもっともらしいじゃないですか。
そこで、とっつきやすいポイントから入ることができて、しかもそれがいわゆる「初心者向け」というのではなく、こうるさいSFファンでも納得するようなSFを紹介しようというのが、このコラムの趣旨です。もしそれが気に入ってもらえたら、一点突破全面展開で、さらに深くて広いSFの世界へようこそ、というもくろみです。
というわけで、まずはわかりやすくロマンチックな物語から。
最初にお勧めするのは、イギリス生まれのSF作家、マイクル・コーニイの傑作『ハローサマー、グッドバイ』です。
舞台は遠い宇宙の惑星。そこに住むのは人類にそっくりだけど、人類ではない異星人です。そのことは最後で大きな意味をもってくるのだけれど、当面は関係ありません。普通の人間の物語として読んでちっともかまいません。極寒の冬が近づきつつある惑星。そこには地球でいえば19世紀末から20世紀始めのような暮らしがあり、戦争の影がしだいに色濃くなっていく中、ここ港町バラークシでも、人々はささやかな日常生活を送っています。
ある夏、この町で休暇を過ごすために訪れた、政府高官の息子ドローヴ少年。彼は宿屋の少女ブラウンアイズと恋に落ちます。幼い恋。少年も少女もなかなか癖のある性格で、読者はハラハラさせられますが、二人は物語の中で確かな成長をとげ、「SF恋愛小説の最高峰」と評されるだけの、微笑ましく魅惑的でさわやかな、そして切ないラブストーリーが展開します。
でもそれで終わりじゃありません。本書には、訳者いわく「SF史上有数の大どんでん返し」が待ち受けているのです。それは物語の中で少しずつ描かれてきた自然や生き物たちの生態と関係があり、つまりSF的な世界設定が前面に出てくるわけですが、決して難しい飛躍があるわけではありません。夏の港町の潮の香りが濃厚に漂う、ストレートな思春期の恋愛小説として読んでもいいし、SF的な舞台設定と大きなアイデアが生きる本格SFとして読んでもいい。傑作です。
『ハローサマー、グッドバイ』の続編『パラークシの記憶』も、同じ世界の数百年後を舞台にしながら、同様なロマンチックでほろ苦いラブストーリーです。
次に紹介するのは、アメリカの女性SF作家、コニー・ウィリスの作品。
2016年は二本のアニメ映画『君の名は。』と『この世界の片隅に』が大ヒットして話題になりましたが、その監督である新海誠さんと片渕須直さんが、影響を受けたSF作家としてともに挙げていたのが、コニー・ウィリスでした。新海さんが挙げたのは『航路』(文庫版の帯を書かれていますね)、片渕さんが挙げたのは『ブラックアウト』と『オール・クリア』です。
コニー・ウィリスの作品は分厚くて長いので、つい手に取るのをためらいますが、心配無用。とても読みやすくて、どんどん読めてしまいます。読み始めると止まらなくなるので、そこは要注意。
『航路』は臨死体験を科学的に、そしてSF的に扱った医学サスペンスSFです。人間の死というものの普遍性と、一人一人にとっての個別性が重要なテーマとなっているとてもシリアスな作品ですが、その語り口はコミカルで、まるでアメリカの連続テレビドラマを見るかのようです。
主人公の認知心理学者ジョアンナは、臨死体験を研究対象とし、精神内科医のリチャードと組んで、病院内で被験者を募り、擬似的な臨死状態を起こしてその体験を聞き取り調査しています。しかしオカルト的な興味から参加する人が多く、なかなかうまくいきません。そこでジョアンナは自分自身が実験台になろうとするのですが……。
物語の後半、臨死体験の意味が明らかになっていく場面では、それまでの通俗ドラマ的な描写や、ギャグだと思えた様々なシーン、メッセージの溢れた留守番電話、スイッチの切られたポケベル、迷路のような廊下、開いていないカフェテリア……などの意味が突然明白となり、あっと驚かされます。そして迫力ある怒濤の展開、最後には圧倒的なクライマックスが待っているのです。
『君の名は。』との関係は、臨死状態の夢の中のような出来事と、現実とのつながりというところにあるのではないでしょうか。
『ブラックアウト』と『オール・クリア』は時間SF。そしてこれまた超長い。
『オール・クリア』(新☆ハヤカワ・SF・シリーズ版)はさらに1と2に分かれ、この3冊で一つの長編なのです。でも面白さは抜群。本書はウィリスが書き続けている〈オックスフォード大学史学部タイムトラベルシリーズ〉(この前に『ドゥームズデイ・ブック』と『犬は勘定に入れません』があり、オックスフォード大学史学部のダンワージー教授の指導の下、学生たちが過去へタイムトラベルして歴史の現地調査をするというシリーズ)の一編ですが、いずれも傑作です。
今回のターゲットは第二次大戦下のイギリス。アメリカ人の新聞記者としてダンケルクの撤退での民間人の英雄的行為を調査しようとするマイク、郊外の屋敷のメイドとして疎開児童の観察をするメロピー、そしてロンドン大空襲の中でデパートの売り子として空襲下の市民生活を体験するポリー、この3人の行動を中心に、当時の世相と人々の生活をとてもリアルに、かつユーモラスに描いていきます。現代人の視点から、歴史的な過去の現場に戻って、身をもってその実態を体験する。しかし、過去の人々も、その時代の日常を生きる本当の人間であり、学生たちはしだいに彼らと一体化していきます。でも彼らにはロンドン大空襲の知識がある。目の前の人々の運命を知っている。これってまさに『この世界の片隅に』で戦時下の呉の日常を見るわれわれそのものじゃないですか。
物語はその後、転移装置の不具合が発生して、学生たちは未来へ帰れなくなり、この時代に取り残されてしまいます。右往左往する彼らは、しかしドイツ軍の空襲に耐え、当時の市井の人々と日常を共にし、その勇気と忍耐とユーモアに助けられて、この世界の片隅に生き抜こうとするのです。明日爆撃で死ぬかもしれないという戦時での日常、平常心と勇気と自己犠牲とユーモア。そして淡い恋愛。まさに王道の感動がここにはあります。時間旅行というSF的な設定が、圧倒的なリアルさ(ウィリスは当時のデパートの品揃えまで細かく徹底的に描いています)と完璧に溶け合って、素晴らしい傑作となっているのです。
ちょっと長くなったので、最後にもう一編だけ。少し宣伝めいてしまいますが、ぼくが大好きなアメリカのSF作家、ジョン・ヴァーリイの作品を紹介しましょう。
先に紹介したものと比べて、今度はSF的な飛躍の大きい本格的なSFです。現代とは大きく異なる未来の文化を描いているので、ややハードルが高いかも知れません。クローン技術により同じ人間が何度も死んでは生 き返り、男女の性がころころと変わり、部品を取り替えるように身体を改変し、コンピュータに意識をアップロードしたり、バックアップをとったり、社会や人間性も変化している……でも大丈夫。彼が描くのはそれが日常となった世界なので、そこを「そういうものだ」と割り切ってしまえば、普通に楽しめるはずです。
彼の作品の中心となるのは中短篇なので、ここで紹介するのも短編集です。
初めて読むなら、バラエティに富んだ6篇を収録した『逆行の夏』がいいでしょう。表題作は、「クローンの姉が月から水星に住むぼくらのところへやってきた。太陽が天頂で逆回りする〈逆行の夏〉に、ぼくらは家族の秘密を知ることとなる……」というお話で、〈八世界(エイトワールド)〉シリーズの一編ですが、まずは太陽系名所案内的な、美しく魅力的な風景描写を味わってみて下さい。
多くの賞を受賞した傑作「残像」は、現代に近い未来のアメリカで、視聴覚を失った三重苦の人々が自ら創りあげたコミューンの物語です。官能を軸としたある種のユートピア、人々の心の溶け合うその世界はとても印象的ですが、背景にある荒涼とした世界観は、今読むと本当にどきりとさせられるものです。
他にも、すべての個性を捨てて同一化した人々による共同体と、そこでの殺人事件を描く「バービーはなぜ殺される」、宇宙空間に浮かぶ超巨大な水球の中で繰り広げられる悲しいラブストーリー「ブルー・シャンペン」など、いずれもSFを読む楽しみにあふれています。
本書を読んでヴァーリイ興味がわいたなら、彼の〈八世界〉ものを全部集めた二冊の短編集、『汝、コンピューターの夢』と『さようなら、ロビンソン・クルーソー』もぜひ読んでみてください(『逆行の夏』と2作品だけダブっていますが)。絶対面白いことは保証します。
(17年3月)