大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」

狐につままれたもう一つの現代――懐かしくて恐ろしい傑作SF

『きつねのつき』
北野勇作


 『かめくん』で日本SF大賞を受賞した北野勇作の、2011年の作品。大破局の後の世界の、父と娘の日常生活を描く、どこか懐かしくて、そして恐ろしい作品だ。作者のSFにはどれもどこかでつながっているような雰囲気があるが、本書にも同様に、全くの非日常がふと懐かしい日常に思えるような、そんな不思議な感覚があるのだ。本書も2010年代前半のベストSFという某誌のアンケートで、ぼくがベスト5に選んだ傑作である。

 本書の読後感は『どろんころんど』『かめ探偵K』に近い。作者の作品を支配していた昭和ノスタルジーな感覚(それはいわば、おっちゃん感覚)は背景に退き、〈現代〉が前面に出てきている。

 それは子供のいる風景でもある。とりわけ本書では、幼い女の子(作者の実際の子育ての反映もあるのだろうが、むしろ「よつばと」のような、ある種抽象的な存在としての幼女)と父親の強い関係性が描かれ、親子の絆が作品の太い縦糸となっている。

 その一方で、この世界は『どろんころんど』『かめ探偵K』の世界と同じく、ある破局の後の、取り残された世界である。人工巨人が大暴走した、とのこと(エヴァかしら)で、破壊され、置き去りにされた小世界(その外側にはどうやら「普通の」人々の日常世界があるらしい)。そこには生きているか死んでいるかわからないような、亡霊のような人々が、一見「普通の」生活を営んでいる。
 3.11後の日本の現状を強く想起させられるが、この作品に実際どこまで3.11が反映しているのかはわからない。ただ、本書の後半に強く見られる「怒り」は、このどうしようもない現実への苛立ち、怒りとして読めてしまう。
 とはいえ、本書全体は、月のきつねに化かされて見ている夢に過ぎないのかも知れない。バイオハザード的なSF的モチーフは一貫しているのだが、前半の保育所のエピソードや、後半の電車のエピソードなどには、とても幻想的で、諸星大二郎の短篇マンガや、ちょっと暗めの吾妻ひでおを思わせる雰囲気がある。

 基本的には淡々と進む物語であるが、ふいに激しい情念が露わになるところがあり、親子の切ない愛情物語としても読めるが、はっとするほど恐ろしい、美しい幻想小説となっている。傑作である。

(17年1月)


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