大野万紀「シミルボン」掲載記事 「ブックレビュー」
地球を買った少年と、猫娘ク・メルと――〈補完機構〉唯一の長編
『ノーストリリア』
コードウェイナー・スミス
このレビューは1987年に初めて『ノーストリリア』が刊行されたときに書いたものを一部修正したものです。それから約30年たち、今では、コードウェイナー・スミス全短編集として、第1巻『スキャナーに生きがいはない』と第2巻『アルファ・ラルファ大通り』が刊行されました。いずれも傑作なので、本書と合わせてぜひお読みください。
コードウェイナー・スミス、その魔法の響き。SFに多少とも興味のある人なら、どこかで名前くらいは聞いたことがあるはずだ。その時、何か微妙なオーラのようなものを感じませんでしたか?
その昔、評者はある雑誌でスミスの紹介をした際に、スミスを知っていることがSFマニアの条件である、てなことを書いた覚えがある。もちろん、コードウェイナー・スミスの魅力はマニアだけのものではない。SFに不慣れな人でも、彼の描く独特な世界観がすぐには理解できなかったとしても、そこにはとても不思議で魅力的な物語がある。もしまだ買っていないのなら、本書を見かけたら即買うこと!
どうも冷静な書評になりそうもないなあ。大好きな作家の大好きな本だから、かえって難しいのだ。もともとスミスの作品というのは分析しにくい要素を多く含んでいる。それがスミスの魅力であると同時に、奇妙で不可解な印象を与えるもととなっている。底が深く、異質で、豊饒な、根元的想像力の沼地に美しく咲いた蓮の花といったところだ。美しいと同時にグロテスクで、引きずり込まれそうな不安感を漂わせている。といって、嘆美的・芸術的というよりは、おとぎ噺やマンガに近く、やたら願望充足的な要素も多い。とてつもないSF的アイデアが惜しげもなくちりばめられ、綿密に考察されている一方、とんでもない荒唐無稽な物語が展開していく。そしてそれらすべてを覆い尽くす冷酷な権力機構〈人類補完機構〉。スミスの描く権力構造の自 立的な強力さは並外れたものである。スミスの世界では自由意志など気まぐれの同意語にすぎない。すべての登場人物はこの枠内でしか動けないのだ(だがその枠の何と広大無辺なことか。すなわち、それは神の意志に等しい)。
とにかく、SFファンが集まってわいわいと話をはずませるネタには事欠かないのだ。遙かな未来の宇宙、オーストラリアからの質実剛健な植民者たちによって築かれた惑星ノーストリリア。不老長生薬を作り出す病気の巨大羊(ちなみに初版の表紙の羊の絵は誤った印象を与える。ノーストリリアの羊は想像するだに恐ろしいグロテスクな存在なのだ)。必殺の凶器である殺人雀。主人公の少年の指示により、先物取引で地球を買ってしまうコンピューター。自分をミイラ化して送る宇宙旅行。主人公の影武者になってしまう召使のおばさん。そして地球で一番美しく、賢く、ユーモアあふれる猫娘のク・メル。こういった数々のディテールから成り立つスミス世界の集大成こそが、スミス唯一の長編である本書『ノーストリリア』の最大の魅力なのである。
本書のストーリーは要約すれば三行で足りる。一番いいのは「テーマとプロローグ」の章を読むことだ。そこにはすべてが書いてある。それを読んで面白そうだと思ったら、後は一気に最後まで読むこと。読み終ったら、あなたはもうスミス・ファンになっているだろう。とはいえ、おそらく、作品としての完成度は本書より他のいくつかの短編の方が上である。作者の他の短編を読み、スミスの未来史のイメージをつかんでから本書を読む方が面白く読めることは間違いない。また作者の実像について知識を持って読む方がさらに興味深い体験となるだろう(これらは短編集『鼠と竜のゲーム』や本書の後書に詳述されている。コードウェイナー・スミスとは、実はポール・ラインバーガー教授と、ジュヌヴィーヴ夫人と、愛猫メラニーとが、そうなりたいと思った架空の存在だったのかも知れない)。それはともかく、例え予備知識なしに本書を手に取ったとしても、きっと今までのSFやファンタジイとは異なる不思議な読書体験をし、充分にそれを堪能することができるはずだ。やっぱり、即買いなさい!
(16年8月)