藤井太洋
 『公正的戦闘規範』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫JA
 2017年8月25日発行
 (株)早川書房
ISBN978-4-15-031290-9 C0193


 本書は藤井太洋の〈SFマガジン〉デビュー作から最新の書き下ろしまで、五編を収録した著者初の短篇集である。
 まず何より、これは傑作だ! そこのあなた、今すぐレジへ持って行くのだ!
 とりわけ、IT業界に働く人、AIやドローンやグローバルネットワークの未来に興味のある人には、ぜひ読んでもらいたいと思う。
 SFで未来のAIといえば、シンギュラリティが起こってコンピュータが意識をもち、人類を凌駕して世界が大きく変わるというようなことがすぐ思い浮かぶが、本書では少し違う。現在から断絶した超技術ではなく、今ある技術が、もう少しだけ進んだとき、どのような世界が見えてくるのか(もちろんSFだから誇張はあるけれど――著者はあるところで、それを「見えないシンギュラリティ」と呼んでいる)、そして超天才ではない普通の人々の生活にそれがどう関わってくるのか。著者は実際にキーボードの上で手を動かしているようなリアリティに、SF的な想像力を加え、その具体的なビジョンを目の当たりにさせてくれる。そこにはソフトウェアの未来とともに、生身の技術者の姿がある。
 実際、著者自身、SF作家であると同時に、最近話題のマストドンのインスタンスを構築・運営しているような、バリバリのコンピューター技術者なのである。
 藤井太洋は、一九七一年、奄美大島の生まれ。Netscapeが出る前から初期のMacでインターネットに触れていたという。DTP関係の仕事やグラフィックデザイナーとして働いたあと、ソフトウェア開発会社で有名な3Dソフトの開発に携わり、二〇一二年、電子書籍の個人出版サービスで『Gene Mapper』を発表。それが一躍注目を浴び、二〇一三年四月にはその増補完全版『Gene Mapper -full build-』(ハヤカワ文庫JA)を刊行した。二〇一五年には二作目の長編『オービタル・クラウド』が、第三五回日本SF大賞と第四六回星雲賞(日本長編部門)を同時受賞。そして同年より日本SF作家クラブ会長に就任した。
 藤井太洋はまた、世界を舞台にグローバルに活動している作家でもあり、日本SFの”顔”でもある。
 長編『Gene Mapper -full build-』と『オービタル・クラウド』をはじめ、本書に収録されている「コラボレーション」と「公正的戦闘規範」もすでに英訳されており、彼はアメリカSFファンタジー作家協会(SFWA)の正会員でもあるのだ。
 これはあるSFのイベントで著者本人が語っていたことだが、アメリカの作家は本が出るとあちこちへ出かけて行ってファンと積極的に交流するという。そこで英訳本が出たことから、藤井さんも自ら世界SF大会{ワールドコン}に出かけ、自著をプロモーションし、朗読会を開いた。バーでは、ケン・リュウっぽい人に「フジイサン?」と呼びかけられたが、その彼こそ英語版の『ジーンマッパー』を読んでいたケン・リュウ本人だった。二人はたちまち意気投合したという。
 こういう才能が同時代にいて活躍していることは、とても嬉しく、頼もしいことだ。

 それでは本書の収録作について、順に紹介していこう(カッコ内は初出)。

「コラボレーション」(〈SFマガジン〉二〇一三年二月号)
 先に書いたとおり、〈SFマガジン〉への初掲載作であり、また〈小説 TRIPPER〉の「UNDER GROUND MARKET」とほぼ同時に発表された、著者の商業誌デビュー作ともいえる作品である。『Gene Mapper -full build-』の数年前の、同じ時間線上の世界を舞台にしている。現在の無秩序なインターネットが事実上崩壊し、接続するのに認証が必要な〈トゥルーネット〉に置き換わった近未来。主人公は東京にまだ生き残っているインターネットの残骸の中に、かつて自分が構築したサーバのプログラムの痕跡を見つける。
 IT用語が飛び交い、プログラムのテキストも挿入されていて、詳しくない人には何のことかわからないだろうが、現場にいる人には、あまりにも身近な世界が描かれている。この作品を身近とみるかどうかで、すでに読者も分断されている。それもこの作品の裏テーマとしてあるのかも知れない。いつの間にか、ほとんどの人が気づかないうちに世界は変わっている。ここで描かれるのは、人間の意図を越えて無限の試行錯誤を繰返し、混沌の中からやがて突破をはたそうとするソフトウェアたちの姿である。それが「見えないシンギュラリティ」というものなのだろう。そのキーワードが「コラボレーション」(協力)だというのも魅力的である。

「常夏の夜」(『夏色の想像力』二〇一四年七月/『楽園追放 rewired サイバーパンクSF傑作選』二〇一四年十月(ハヤカワ文庫JA))
 第五三回日本SF大会なつこん記念アンソロジー『夏色の想像力』に書き下ろされ、『楽園追放』に収録された作品である。これまたベストSF級の傑作。自然災害により大きな被害が出たセブ島の復興にあたる人々の物語だが、テーマは量子コンピュータ技術による、最新の自動機械たちと人間とのコミュニケーション・インタフェースにある。ここでもテクノロジーをオープンにし、リテラシーを広めることで、人類全体の未来を夢見るという、とても前向きで明るい展望が描かれている。なお、AIを活用して複雑な物流の最適化を図る技術は、すでに現実に存在している。

「公正的戦闘規範」(『伊藤計劃トリビュート』二〇一五年八月(ハヤカワ文庫JA))
 伊藤計劃は現代社会の不条理や理不尽さとテクノロジーとの関係を衝撃的に描いた作家だが、これは同様の問題意識を、伊藤計劃とはまた違った視点から描いた作品である。
 スマホやドローンといったありふれたIT系の小道具が、どのように進化し、近未来の中国の対テロ戦争でどう展開されるかという点も大変リアリスティックで面白いのだが、この作品の最大のポイントは「公正的」というところにある。戦争にルールを持ち込んで理不尽さや悲惨さを(少なくとも意識の上では)軽減しようとするものだ。テロ戦争というのがそもそも不条理で理不尽で悲惨なものだから、それを少しでも減じようとする方向性が、それが実際に可能かどうかは別にしても、いかにも作者らしいと感じられる。
 なおこの作品には、ある有名な海外SFのテーマが隠されているが、その扱い方は作者独自のものである。

「第二内戦」(『AIと人類は共存できるか? 人工知能SFアンソロジー』二〇一六年十一月 早川書房)
 人工知能学会とコラボレーションしたSFアンソロジーに書き下ろされた作品である。
 まるで今のアメリカの少し先にあるような、保守と革新に分断された近未来のアメリカ。先進的な合衆国と、保守的で人工知能を原則禁止しているアメリカ自由領邦。合衆国の証券取引所で使われている高度なAI技術が、領邦内で不正に使われているのではないかと、主人公たちは領邦に潜入し、調査を開始する。冒険小説的なエンターテインメントとしても面白いが、中心にあるのはAIの独自の進化というSF的なビジョンだ。ここでも様々な小さな変化がすさまじい勢いで自走的に進むことによる、シンギュラリティとはまた違う観点からの、SF的なAIの可能性が描かれている。それはまた「コラボレーション」ともつながっていく。

「軌道の環」(書き下ろし)
 藤井太洋がついに太陽系の奥深くまで進出した! 舞台は未来の太陽系。主人公は木星大気の中で資源を採掘しているジャミラという女性だ。肉体を改造し、こんな世界で生きる彼女は、もはや人類とはいえないかも知れない。それでも彼女はこの時代、この世界で〈地球教〉と呼ばれるようになったイスラム教の敬虔な信者である。彼女は事故に合い、地球へ向かうという謎めいた宇宙船に救われる。何とその目的は、地球を滅ぼすことだった!
 物語はその計画を止めようとするジャミラの活躍を描くが、そこで描かれるイメージに、何となく今のアメリカの状況が反映しているように思うのは考えすぎだろうか。そしてここでもまた、結末に広がる壮大なビジョンには、ある海外SFで描かれたアイデアが反響している。決して同じものではないが、その最終的な姿には、圧倒的なセンス・オブ・ワンダーがある。

 藤井太洋のSFのもっとも大きな特長は、普通ならディストピア的に描かれるような、分断され、様々な矛盾や理不尽に満ちたこの社会と生活を、むしろその先の未来へとつづく過渡期の姿として、とりあえずは肯定し、その可能性へと目を向けていることだろう。変化と未来への展望。とどまることなく動いていく科学技術への前向きでポジティブな視線。それを楽観的すぎるという人がいるかも知れない。確かにそういう面もあるだろう。だがぼくはこの視線に共感する。そこにこそSF=サイエンス・フィクションを読むときの、未来への期待、わくわくするような喜びがあると思うのだ。
 新しい科学技術はパンドラの箱のようなものかも知れない。箱を開けると様々なおぞましいものが飛び出してくる。でも最後には、箱の底に希望が残る。おぞましいものの存在を注視しつつも、その希望をこそ大切にひろいあげる。楽天的というのとはちょっと違うだろう。だが前向きだ。ぼくはそんなSFが好きだ。そして藤井太洋の描くSFは、まさにそういうものではないかと思う。

2017年8月


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