エドワード・ブライアント / 市田泉訳
『シナバー 辰砂都市』 解説――シナバーへ帰る道
大野万紀
創元SF文庫
2025年7月31日発行
(株)東京創元社
CINNABAR by Edward Bryant(1976)
ISBN978-4-488-62611-2
シナバーへ帰る道には、青春と、喧噪と、焦りと、未来と、不安と、そして猫たちが溢れている(サメも加えてあげて、という声が聞こえた気もするが)。
本書は一九七六年に出版されたエドワード・ブライアントのオムニバス長篇、Cinnabarの全訳である。
砂漠と緑地と大海に面し、赤土の崖の上にそびえる都市シナバー。そこには超未来の科学によって年を取らない人々が倦怠と快楽の中に暮らしている。都市の中心から渦巻く時間流は過去と未来を交錯させ、人工子宮から生まれる人々は記憶キューブによって夢見るように別人の記憶も体験する。子育てをする巨大な青い猫、人間や動物の姿をした大勢の模造生物(シミュラクラ)たち……。
J・G・バラードの〈ヴァーミリオン・サンズ〉に魅せられてカリフォルニアにあこがれた、ワイオミングの田舎町に住む一人の若いSF作家が、二〇代後半に自らの「ヴァーミリオン・サンズ」を組み立てていった過程は、それだけでも興味深い。(シナバーとは辰砂のことであり、それからつくられる色素をヴァーミリオン――朱という)。若きエドワード・ブライアントの、彼にとってのヴァーミリオン・サンズの物語には、青春の焦燥感と不安、魅了と期待、そして謎と恐怖に満ちた世界が広がっている。
そして本書を読んだ当時二〇代だったぼくは、(彼とは一〇歳近く離れているのだが)そこに同時代の雰囲気を強く感じとり、彼や、彼と同世代のLDGと呼ばれる作家たちに引き込まれていったのだった。
一九七六年。しらけと幻滅の七〇年代。六〇年代末期の興奮がさめた後、人々は政治や科学や社会の現実に背を向け、自分だけの世界に沈潜していた。映画から生まれた空前のSFブーム、SFの浸透と拡散の中にあっても、少数の例外を除いてSF自体は活気を失っていた。
だがその中で新しい世代の作家たちが、彼ら自身のSFを真剣に模索していたのだ。ジョン・ヴァーリイ、ヴォンダ・マッキンタイア、ジョージ・R・R・マーティン、マイクル・ビショップ、そしてエドワード・ブライアント……。そのころのアメリカSFには若い力が満ちていた。彼らは七〇年代後半のヒューゴー賞を相次いで受賞し、後にトマス・ディッシュから労働者の日(レイバー・デイ)に開かれることの多い世界SF大会にちなんでLDG(レイバー・デイ・グループ)と呼ばれた作家たちである。
ディッシュは『SFの気恥ずかしさ』(国書刊行会)の中で、彼らを批判し〈娯楽エンジニア〉と揶揄したが、ディッシュが批判したのは実際には個々の作家や作品というより、七〇年代のSFの浸透と拡散にどっぷりと浸った、現実逃避的で自己中心的な読者たち、そんなSF界の空気ではなかったかと思う。
だがブライアントのネビュラ賞受賞作「ジャイ‐アント」に対してはディッシュは具体的に名を挙げて批判し、〝ブライ‐アント〟が書いたオリジナリティのないお粗末な巨大蟻のパニックものとして笑いものにしたのだ。これにはちょっと待って、と言いたい。SFマガジンのネビュラ賞特集にこの作品を翻訳したぼくとしては、これがネビュラ賞に値するかどうかは別にしても、ディッシュが言うような怪獣パニックものじゃないことだけは言っておきたい。これは妻を事故で失った老生物学者の老いらくの恋を描く恋愛SFなのだ。そのテイストは本書と同じで、失われた過去と現在が交錯し、個人的な感情が外部の環境と相互作用する凝った物語となっている。
それはともかく、ヴァーリイも、マッキンタイアも、ビショップも、マーティンも、もちろんブライアントも、ぼくの偏愛する作家たちなのである。
エドワード・ブライアントは一九四五年八月二七日生まれ。二〇一七年二月一〇日に七一歳で死去。
ニューヨーク州ホワイトプレーンズに生まれたが、生まれて六か月で一家と共にワイオミング州へ移る。牧場と、人口二千人ほどの小さな町が、長い間彼の生活圈のすべてだった。
ブライアントがSFに初めて接したのは、この町で何げなく一冊の〈アメージング〉誌を手にした時だったという。そして彼は――サ、サ、サイエンス・フィクション!――のファンになった。ワイオミングの山奥の、息の詰まりそうな小さな地域社会に暮らす少年にとって、それは目くるめくすてきな〝外側〟へ、宇宙の果てにまでも続く巨大なベクトルだった。彼が現実逃避の手段としてSFを読みあさったとしても、それを批難することはできないだろう。
彼はワイオミング大学に入り、一年間航空宇宙工学を学んだ後、方向を変えて英文学の学位を取った。六八年と六九年のクラリオン・ワークショップに参加し、そこでハーラン・エリスンと知りあう。彼はエリスンに強い影響を受け(これは序文にある通り)。後にテレビドラマシリーズ『スターロスト宇宙船アーク』の脚本としてエリスンが書いたものを元に、長編Phoenix Without Ashes(1975)を共著として出版する(これがブライアントの唯一の長編である)。
商業誌へのデビューは一九七〇年。“They Come Only in Dreams” と “Sending the Very Best” が〈アダム〉誌と〈ニューワールズ〉誌に、「ハイウェイ漂泊」がサミュエル・ディレイニーのアンソロジー『クァーク/1』に掲載された。
クラリオンに参加し、エリスンを知り、バラードを知った彼は、〝SF界〟それ自体が地域社会にすぎないことに気づき、さらにその〝外側〟を求めはじめる。
とはいえ、彼の作品の背後には、やはり〝現実逃避〟の雰囲気が色濃く漂っているのだ。シナバーを訪れたカフターはいう、「現実こそおれの不倶戴天の敵だ」と。こうしたことから、結果的に彼の作品はバラードよりはムアコックに、ムアコックよりはコードウェイナー・スミスにより近いものとなっていく。シナバーのキャットマザーであるジェイド・ブルーなどに、スミスの〈アンダー・ピープル〉の影響がないとはいえないだろう。
ブライアントは七〇年代に短編作家として名を成し、ネビュラ賞短篇部門を七九年と八〇年に「石」と「ジャイ‐アント」で連続して受賞した。
八〇年代以後のブライアントはSFよりもホラー系の作風にシフトしていく。もともとそういう資質があったのだろう。本書のようなSFでも随所に幻想的でホラー小説のような雰囲気が感じられる。邦訳された作品にもホラー系の作品が多い。また小説以外では〈ローカス〉誌などでのSFレビューや評論にも精力的に活動していた。
ブライアントはまた、一九七二年にデンバーへ移り、そこでプロ作家や準プロ作家のための「北コロラド・ライターズ・ワークショップ」を開設した。SF、ファンタジー、ホラーを中心としたワークショップは現在も続いており、多くの著名作家が参加しているとのことだ。
二〇一〇年、エレン・ダトロウやメラニー・テムら関係者がクラウドファンディングを立てて重いⅠ型糖尿病にかかったブライアントを支援したが、長い闘病生活の末、かれはコロラドの自宅でその生涯を終えた。七一歳だった。
本書の作品について書く余裕がなくなった。まああまり先入観なしに読んでいただくのがいいだろう。さすがに古くなっている描写もあり、当時は衝撃的だったが今ではごく当たり前に見えるところもあるのだが、それらはシナバーの中心にあるブラックホールが過去と未来を錯綜させているせいかも知れない。
それよりも、むしろ現代を予見しているかのような時代を越える先見性が強烈だ。それがシナバーを永遠のものとしている。例えばシナバーを成立させる多様性とそれへの反発の描写などだ。「ヘイズとヘテロ型女性」で〈創造的時代錯誤者〉が叫ぶ「母性は神聖なり」とか「性は二つ! それ以上でもそれ以下でもない!」という言葉など、五十年前ではなくつい最近もどこかで聞いたような気がするじゃありませんか。
本書の作品はどれも設定や用語の説明なしに始まるので(これもコードウェイナー・スミスを思わせる)、初めは取っ付きにくいかも知れない。そんな場合はこの「ヘイズとヘテロ型女性」から先に読むといいだろう。これは他の作品と違ってシナバーの内側だけで自己完結せず、一人の登場人物を通じて現代の視点とつながっているからだ。シナバーがどんな世界なのかの案内図ともなっている。
ホラー味が強いが「ジェイド・ブルー」のキャットマザー、ジェイド・ブルーや、「シャーキング・ダウン」の古代ザメ、シーもいい味を出しているのでお勧め。海のないワイオミングに育って、ブライアントはサメにあこがれているのだそうだ。
物語の後半ではシナバーを統べるコンピュータ、AIである〈ターミネクス〉の比重が大きくなってくる。サイバーパンク以前の小説だが、ほとんど仮想現実と現実との関わりを描くようで、それが「ブレイン・ターミナル」ではシナバーの終焉へと向かう戦慄の物語となっているのだ。
(「ameqlist翻訳作品集成」を参考に作成しました。複数あるものは一番新しい版を記載しています)
「ハイウェイ漂泊」“Adrift on the Freeway”(1970)『夜の夢見の川』(創元推理文庫/中村融訳)
「死者とともに」“Among the Dead”(1971)〈季刊NW‐SF〉一九七三年五月号(大和田始訳)
「シナバーへの道」“The Road to Cinnabar”(1971)本書収録(市田泉訳)
「ジェイド・ブルー」“Jade Blue” (1971)同上
「灰白色の問題グレイ・マターズ」“Gray Matters”(1972)同上
「吊された男」“The Hanged Man”(1972)〈季刊NW‐SF〉一九七三年十一月号(野口幸夫訳)
「クーガー・ルー・ランディスの伝説」“The Legend of Cougar Lou Landis”(1973)本書収録(市田泉訳)
「二・四六五九三」“2.46593”(1973)『ラブメイカー』(ハヤカワ文庫SF/風見潤訳)
「鮫」“Shark”(1973)〈S‐Fマガジン〉一九九〇年九月号(大森望訳) *一九七四年ネビュラ賞ノミネート
「ヘイズとヘテロ型女性」“Hayes and the Heterogyne”(1974)本書収録(市田泉訳)
「シャーキング・ダウン」“Sharking Down”(1975)同上 *一九七六年ローカス賞ノミネート
「ブレイン・ターミナル」“Brain Terminal”(1975)同上
「何年ものちに」“Years Later”(1976)同上
「石」“Stone”(1978)〈S‐Fマガジン〉一九八〇年十一月号(野口幸夫訳) *一九七九年ネビュラ賞受賞
「ジャイ-アント」“giANTS”(1979)〈S‐Fマガジン〉一九八一年七月号(大野万紀訳) *一九八〇年ネビュラ賞受賞
「闇の天使」“Dark Angel”(1980)『闇の展覧会 罠』(ハヤカワ文庫NV/真野明裕訳)
「八月の上昇気流」“The Thermals of August”(1981)〈S‐Fマガジン〉一九八三年九月号(佐藤高子訳) *一九八二年ローカス賞、ネビュラ賞、ヒューゴー賞ノミネート
「ビーンバック猫」“Bean Mag Cat”(1983)〈日本版オムニ〉一九八四年九月号(伊藤典夫訳)
「アンドロメダ星雲へ旅した男」“The Man Who Always Wanted to Travel”(1985)〈日本版オムニ〉一九八五年十一月号(厚木淳訳)
「転移」“The Transfer”(1986)『カッティング・エッジ』(新潮文庫/中村融訳)
「バク」“The Baku”(1987)『ハードシェル』(ハヤカワ文庫NV/大森望訳)
「捕食者」“Predators”(1987)同上
「フラット・ラット・バッシュ」“Frat Rat Bash”(1987)同上
「亡霊」“Haunted”(1987)同上
「荷物」“Buggage”(1987)同上
「コルファックス・アヴェニー」“Doing Colfax”(1987)同上
「地底深く」(リーアン・C・ハーパーと共著)“Down Deep”(1987)『ワイルドカードI 大いなる序章』創元推理文庫/堺三保訳)
「夜はいい子に」“Good Kids”(1989)『血も心も:新吸血鬼物語』(新潮文庫/小梨直訳)
「彼女のお出かけ」“While She Was Out”(1988)『死の飛行』(扶桑社ミステリー/大森望訳)
「地獄のレストランにて、悲しき最後の逢瀬」“A Sad Last Love at the Diner of the Dammed”(1989)『死霊たちの宴』(創元推理文庫/夏来健次訳) *一九八九年ブラム・ストーカー賞ノミネート、一九九〇年世界幻想文学大賞、ローカス賞ノミネート
「愛につぶされて」“Styx and Bones”(1999)『999 妖女たち』(創元推理文庫/田中一江訳)
「カッター」“The Cutter”(1988)『シルヴァー・スクリーム』(創元推理文庫/田中一江訳)
『ワイルド・カードⅢ 審判の日』(創元SF文庫/黒丸尚・中村融他訳)Wild Cards 3: Jokers Wild(1987)※登場人物のひとり、下水道ジャックを担当
2025年6月