小林泰三追悼特集より「意識と宇宙と記憶と」

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」21年4月号掲載
 2021年4月1日発行


 小林泰三さんの訃報を聞いたとき、ショックでとても信じられなかった。イベントなどで何度もお会いし、とめどなく発展していくSFや特撮の話題に大笑いし、その奇想と知識の豊富さに感嘆していたのに。それがこんな突然に……。
 以前、そんな小林さんの小説について、「怖くて切ないハードSFに、論理的なファンタジー──小林泰三を読もう」と題してシミルボンに寄稿したことがある。ここではそれといくぶん重複するが、とりわけSF小説に着目してその素晴らしさを語っていこうと思う。(以下敬称は略させていただきます)

■意識と時間・現実と仮想現実
 小林泰三のデビュー作は、日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した「玩具修理者」。書き下ろしの「酔歩する男」を加えた短篇集『玩具修理者』(角川ホラー文庫)がベストセラーになり、映画化もされた。ホラー作家小林泰三の誕生である。
 しかし、この時からすでに彼はSF作家、それもとてつもなく優れたハードSF作家だったのである。「玩具修理者」にもクトゥルーなど、SFのテイストが含まれていたのだが、「酔歩する男」を読んだ時には驚愕した。これもホラー要素の強い、とても怖い話ではあったが、こちらは純然たるSFであり、しかもハードな量子力学SFというとんでもない傑作だった。グレッグ・イーガンの『宇宙消失』などが訳される前の話である。自殺した女性を巡ってタイムトラベルする二人の男の物語だが、まずこれは普通のタイムトラベルではない。連続した時間は存在せず、意識が波動関数を収束させることで次の世界が決まる。跳び跳びの世界。当時はこれをSF的なアイデアの一つとして読んでいたが、ロヴェッリ『時間は存在しない』などの最新時間論を読むと、これこそが真のタイムトラベルではないかと思えてくる。
 「酔歩する男」と同じく、意識と時間を扱い、それが宇宙論にまで発展する大傑作のハードSFが「予め決定されている明日」(『見晴らしのいい密室』に収録。ハヤカワ文庫JA)である。
 小林泰三のSFでは、多くの作品が量子力学的世界観を背景に、複数世界の重なり合い、仮想現実と現実の同一性、そして自意識と客観性のテーマを扱っていて、今ではむしろ現代SFとしてありふれているとさえ思えるのだが、そのようなテーマを扱っていても、そこにはきわめて強い独自性がある。とりわけ「予め決定されている明日」は最初に読んだ時びっくりして飛び上がったほどの傑作だ。紙とそろばんで計算される仮想現実世界なんて、他に誰が小説にしただろうか(今でこそ小川一水や劉慈欣の同じようなモチーフの作品があるが)。もうひとつすごいのは、実は計算しなくても答えはあらかじめ決まっているということ。カオス的決定論の世界における自由意志とは、これまたイーガンやテッド・チャンのSFのテーマでもある。
 その後も自由意志を巡るテーマは小林泰三の他の作品において何度も繰返し扱われている。ある意味、作者のSF(とは限らないが)におけるメインテーマだといっていいだろう。

■計算された奇妙な世界
 小林泰三のSFでもう一つ重要なのが、いかにもSF的なセンス・オブ・ワンダーに溢れる奇妙な世界が描かれることである。奇妙な社会や奇妙な生物、奇妙な登場人物は当然として、世界、いや宇宙そのものが奇怪に変容している。しかしその変容はほとんどの場合、物理学の法則に従ってきちんと数式を立て、計算された結果なのである。そしてこのタイプの作品では、世界の奇妙さに反比例するかのように、物語は爽やかで、切なく、ロマンチックなものが多い。その物語を楽しむには物理学の素養は不要だ。
 代表的な傑作が「海を見る人」(『海を見る人』ハヤカワ文庫JAに収録)である。この物語はおそらくブラックホールの事象の地平線近く、浜辺と山の上で時間の流れ方が違う世界での、切ないボーイ・ミーツ・ガールの物語だ。時間の流れ方が違うというのは相対性理論から導かれるものなので、物理の得意なハードSF作家(例えばベンフォードやバクスター)は時々同じような設定を使う。しかしここでも小林泰三の描き方は独自のもので、時間だけでなくものの見え方も異様に変化する様子が描かれているのだ。読んだだけではなぜそうなるのかわからない世界の奇妙さも、作者の想像の産物ではなく厳密な計算の結果なのである。
 同じ短篇集に含まれている「時計の中のレンズ」も、さらに奇妙な世界が舞台となっている作品である。こちらは相対性理論ではなく普通の天体力学で描写可能な、ダイソン天体やオニール型スペースコロニーのような歪んだ、閉じた世界が舞台だ。でもそれは容易に想像できるような単純なものではなく、砂時計のくびれに凸レンズが詰まっているというような、〈歪んだ円筒世界〉と〈楕円体世界〉が重なり合った世界であり、これはその中を遊牧民の一族を導いて旅する若き族長の物語なのである。彼が見上げる夜空の描写など、ぞくぞくするほど美しく印象的だが、われわれの世界とはあまりにもかけ離れているので具体的にイメージするのは難しい。にもかかわらず、奇妙な自然、奇妙な生物、そしてそんな奇妙な世界での日常には、心に響くSF的なワンダーがある。
 星雲賞を受賞した『天獄と地国』(ハヤカワ文庫JA)はもともと『海を見る人』に収録されていた短篇を長篇化したものである。舞台となる世界は『リングワールド』でおなじみのダイソン天体をモチーフにしているが、リングワールドの内側ではなく、その外側(!)で生きる人々を描く作品である。頭上に大地、足下に星空が広がる、天地の逆転した真空の世界だ。人々は大地からのわずかな資源とエネルギーをたよって小さな村を作り生活している。主人公はある時巨大な人工物、太古の超兵器を手に入れ、それに乗り込んで、世界の果てにあるという別天地を探す旅に出る──。というわけで、最初は短篇通りだが、それがウルトラマンか巨神兵かといった超兵器同士の戦いとなり(何しろ半分生物なので、例によって描写はグロテスクである)、最後はいかにも本格SFらしい新天地の姿が明らかになる。それにしても作者はよくもまあこんな世界で暮らす人々を想像できたものだ。

■記憶と自意識
 小林泰三がこだわり、SFやミステリを問わずその作品で何度も取り上げるテーマに、直近の記憶が失われてしまう前向性健忘症がある。「垝憶」(『忌憶』角川ホラー文庫に収録)や同じ主人公の長篇『記憶破断者』(幻冬舎)、『天体の回転について』に収録された「盗まれた昨日」などが初期の例だが、これらの作品ではある時点から以後、数分間しか記憶が保てず、何でもメモに残しておかなければ忘れてしまうという記憶障害の症状が描かれる。
 その場合、自分とは何なのか、意識の連続性や正当性はどう保証されるのか、ということがテーマとなってくる。ホラーであり、ミステリなのだが、本質的なテーマは意識というプロセスと記憶というストレージとの関係にある。その点ではりっぱなSFなのだ。そして自分というものの連続性・正当性を保証するのが記憶であるのなら、この場合、自分とは人生の断片を記録したノートの方に存在することになるのだ。
 このテーマを深め、発展させ、人類全体にまで敷衍させた本格SFの傑作が『失われた過去と未来の犯罪』(角川文庫)だ。 ある日突然、全人類が十数分以上の記憶を保てなくなってしまう。短期記憶を長期記憶へ移す機能が働かなくなってしまったのだ。本書は、何が起こっているかもわからず、メモをたよりにかろうじて生活を続けるようになった人々が、ついには長期記憶を外部メモリに保存することによって記憶と人格を維持できるようになり、文明を新たな段階にまで進めるという壮大な物語である。ここで作者の視点は仮想と現実、自意識とアイデンティティ、情報としての人間といったテーマに集中している。本書の前半はパニックSFだが、後半はそのような思考実験の成果が描かれる。作者は長期記憶こそが人格の本質であるとする。人間としての基本OSと短期メモリを持つ脳はまさにPCであり、人格のアプリとデータはハードディスクにあるというようなものだ。脳と人格を分離し、人格を外付けメモリと位置づけることで、自意識に関わる様々なSF的思考実験がわかりやすくリアルに描かれる。そして元々それが紙に書かれたメモだったことを思い出してほしい。それこそ情報の本質である。つまり小説そのものもまた……。

■特撮への偏愛
 小林泰三といえば、イベントなどで出会った人はご存じだと思うが、話し出したら止まらないその特撮への愛情がとりわけ印象的だった。そんな特撮やウルトラシリーズへの愛がSFとして結実したのが『AΩ』(角川ホラー文庫)である。すごくグロテスクで有機的で、ぐちゃぐちゃと内臓と粘液とでいっぱいのウルトラマン対宇宙怪獣の話だ。パロディ要素は少なく、宇宙怪獣側は途中からは人間と一体化して、まさに黙示録的な世界が展開する。途中にはぐっと世界の広がったハードな宇宙SFの要素もあり、いかにも作者らしいSFとなっている。ハードSFとグロテスクの合体といえば、スティーヴン・バクスターを思い起こすが、小林泰三とバクスターにはどこか共通点があるようだ。
 そして星雲賞を受賞した『ウルトラマンF』(ハヤカワ文庫JA)。ウルトラマン最終回のその後の物語として、ウルトラシリーズの謎に決着をつけるという実にマニアックな物語だ。ぼく自身は世代が違うので、細かな仕掛けが全てわかるわけではないが、ウルトラシリーズに熱狂したファンにはたまらないことだろう。巨大化して大活躍するのはフジ隊員である。女性ウルトラマンというとちょっとフェティッシュな雰囲気もあるが、作者いわく、ウルトラマンのファンは『怪獣派』、『ウルトラマン派』、『巨大フジ隊員派』に大別できるそうなので、何も問題なし。

■古典的定番テーマの復権
 近年の作者は『アリス殺し』『クララ殺し』『ドロシイ殺し』『ティンカー・ベル殺し』(いずれも東京創元社)と続くシリーズで、物語世界と現実世界が結合したダークなファンタジー/ミステリを書いて脚光を浴びたが、また単発のSFも発表している。そこでは古典的なSFのテーマを現代の文脈で蘇らせ、新たな光を当てるような試みがなされていた。
 『パラレルワールド』(ハルキ文庫)では、タイトル通り、並行世界がテーマとなる。地震と洪水により、若い夫婦と五歳の息子の運命が分岐する。一つの世界ではお父さんが亡くなり、もう一つの世界ではお母さんが亡くなる。そして息子は、分岐した二つの世界を同時に目にし、話をし、手に触れることができるようになる。そこへ彼と同じような能力をもつ極悪非道なサイコパスが登場し、三人と男との、互いに知恵を振り絞っての戦いが始まる。なお、最終的にはハッピーに終わることを付け加えておきたい。
 昨年出たばかりの『未来からの脱出』(角川書店)は、現時点で小林泰三の最後の長篇であり、明確にSF小説である。閉ざされた謎の施設で暮らす老人たち。主人公は施設の老人の中から仲間を探し、ここから脱出しようとする。ミスター・スポックのような論理的なじいさんや、いつもポケットに半田ごてや工具を忍ばせ何でも分解するばあさんも仲間になるが、この二人がとてもいい。脱獄ミステリのように始まる本書だが、やがて驚くべきSF的真相が明らかとなる。ネタバレになるので詳しくは書けないが、本書のメインテーマは何とロボット工学三原則なのだ。

 言葉によって築かれた小説世界はそれ自体が仮想現実である。残された言葉は長期記憶となり、作者はそこにいつまでも生きている。小林さんありがとう。永遠に。

 2021年2月


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