酉島伝法『オクトローグ』.書評

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」20年10月号掲載
 2020年10月1日発行


 本書は酉島伝法の(連作を除く)初短篇集であり、書き下ろしを含む八篇が収録されている。

 酉島伝法といえば何といってもデビュー作『皆勤の徒』が衝撃的だった。ルビがなければ何と読むのかさえもわからない漢字の造語があふれ、混沌としてグロテスクな世界がこれでもかとばかりに描写される。しかしその造語はよく見ればわれわれの知っている言葉を組み合わせ、換骨奪胎したものであり、そのうちコツがつかめるとその意味や言葉のもつ雰囲気が何となくわかってくるのだ。それはとても明晰な論理がその背後にあるからであり、そして大森望の解説にあるとおり、それらは作者が異世界を作り出すときの、特殊メイクや小道具であって、つまりはその世界にとっての日常そのものだからである。

 本書の収録作もそうだ。「環刑錮(かんけいこ)」のミミズのように変身させられた囚人たちの心情、「金星の蟲」の、現代日本のリアルな職場の風景がいつの間にか異界へと変容していくありさま、「痕(あと)の祀(まつ)り」の巨大な怪獣の死体処理におもむく男たちの仕事ぶり、「堕天の塔」の無限に落下し続ける塔から脱出を図る人々の苦闘。それらはこの言葉の特殊効果によって、想像を絶する異界の日常生活を目の当たりにさせてくれる。中でも「金星の蟲」は、著者の実体験がそのまま描かれたかのような現実的でリアルな描写が、そのまま断絶なく異世界へと重なり滑らかに変容していく様子を描き出していて、強烈な印象を残す。二つの世界が単に相が違うだけの同じものだとわかるのだ。ちょうどつい半年前までの、世界中の人がみんなマスクを身につけて生活するなんて想像もできなかった世界と、今の新型コロナのある日常が、ひとつながりの同じ世界であることのように。

 本書にはもうひとつ、そんな言葉の特殊効果が、純粋にSF的な異星の社会や生態系を描き出すために駆使されるタイプの作品群も含まれている。「ブロッコリー神殿」の、惑星全体を覆う壮大な異星植物の生態系、「彗星狩り」の宇宙空間に適応した、人間とはかけ離れた知的生物の家族と社会の姿、「橡(つるばみ)」の、地球人類の遙かな末裔であるデジタル人格たちが自らを認識していくさま、そして書き下ろし「クリプトプラズム」の宇宙を渡る人々が遭遇する、巨大なオーロラのような有機物の塊。

 ぼくは〈人間の登場しないSF〉が大好きだ。そこにはSFの純粋なセンス・オブ・ワンダーがある。これらの作品では人間が登場していても、それは変容したポストヒューマンであり、視点は未知の存在の側にある。
 「ブロッコリー神殿」で描かれる、様々な知性の段階にある植物たちが築く生態系の緻密で複雑なシステムと、壮大な緑と青の世界の広がり。そして「クリプトプラズム」で発見された〈オーロラ〉の、ポストヒューマンたちの実験によって明らかになっていく奇怪な事実。それらを読んでこみ上げてくるものはまさしくSFを読む喜びだ。

 その昔、ティプトリーが「愛はさだめ、さだめは死」で描いたように、人間とは違う異星の生物を描く際には新たな言葉、新たな文体が必要なのだろう。ここでは作者の造語や手法もほとんど違和感なく受け容れることができる。そして見えてくる人々や生き物たちの姿の、何と豊穣なことか。

 2020年8月


トップページへ戻る 文書館へ戻る