ユーン・ハ・リー『ナインフォックスの覚醒』.書評

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」20年6月号掲載
 2020年6月1日発行


 本書は韓国系アメリカ人の著者の第一長編で、2017年のローカス賞第一長編部門を受賞し、ヒューゴー賞、ネビュラ賞にノミネートされた現代スペースオペラであり、はるか遠未来の宇宙文明を舞台に〈暦法〉という、まさに魔法的な超技術が駆使されるミリタリーSFである。ちなみに本書は〈六連合〉シリーズという三部作の第一作にあたる。結末まで読んであれっと思った人、まだ続きがありますのでご安心を。

 〈六連合〉は主に軍事を司るケル、諜報活動のシュオス、数学・科学技術のニライなど、六つの〈属〉によって運営されている専制的な宇宙国家であり、独自の〈暦法〉を奉じる異端勢力と激しい戦争を繰り広げている。主人公は若き女性軍人ケル・チェリス。数学の天才で、〈六連合〉の暦法である「優歴」を自在に解釈して戦果を上げていた。そんなチェリスに異端に占拠された巨大宇宙都市要塞・尖針{せんしん}砦の制圧が命じられる。ただしそれには、四百年ほど昔の最高の戦略家、そして敵味方もろとも百万人以上を虐殺したという最悪の反逆者、シュオス・ジェダオの精神を憑依させるという条件があった。肉体を滅ぼされ精神のみの存在となっていた彼が、チェリスの肉体に同居することになる。チェリスはチェリスのままだが、うっとおしい幽霊が共に居て、何かにつけて話しかけ、指示を下すのだ。かくて一介の大尉からいきなり名誉大将に任じられたチェリスは、自らのややこしい立場に困惑しながらも、艦隊を率いて尖針砦奪還へと向かうことになる。

 さてこのジェダオ、狂った大悪人と聞いていたが、心と心で会話をしてみると、のんびり昔話をしたり、政権の各属の政治的な思惑やヤバイ人物の評価など、なかなか話せる面白い人物である(ただその奥には暗い狂気が潜んでいる雰囲気もある)。彼は男性だが、本書の主要人物は多くが女性であり、専制的なディストピア世界を描きながら、ジェンダー面の描写などはいかにも現代のSFだといえるだろう。

 本書はスペースオペラでありながら、艦隊戦などの描写は少なく、歩兵部隊による地上戦が中心となっている。部隊は決められたフォーメーションを組み、「暦法」による魔法的な戦闘が戦われる。その描写は容赦なく、グロい。東洋風な訳語を当てられた武器の名前がまた怖い。閾篩{いきふるい}、腐食勾配、切断銃、菌繭{きんまゆ}……。そして戦場に残るのは切断され、内蔵をまき散らされた無残な死体の群れ。このグロさはほとんどホラー小説である。

 それもそのはず、高度な数学に基づいて物理法則を凌駕し、エキゾチック技術を実現するのが「暦法」だというが、要するにそれは陰陽道であり風水であり魔方陣なのだ。というわけでこの戦闘シーン、ぼくが連想したのはコミックの「鋼の錬金術師」だった。
 本書には僕扶{ぼくふ}と呼ばれる機械生命たちが、人間の下僕として使役される様子も描かれる。ほとんどの人間たちは気にしていないが、チェリスは彼らを対等の存在として扱っている。それが後半の展開で大きな意味を持ってくるのだ。
 アーサー・C・クラークは「十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない」といった。逆に言えば「魔法は、十分に発達した科学技術と見分けがつかない」のだろう。

 2020年4月


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