現実と虚構の狭間――仮想世界 サブジャンル別SFガイド50選

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」13年9月号掲載
 2013年9月1日発行


■ターミナル・エクスペリメント ロバート・J・ソウヤー
 九十五年のネビュラ賞受賞作であり、SFミステリでもある本書は、魂の存在を科学的に解き明かし、仮想世界にそのコピーを作り出してシミュレーションするという、このテーマの中でもわかりやすくて好感のもてる作品である。
 医学博士のホブスンは、最新式の脳波計を用い、死にかけた老女の脳波を測定して「魂波」というべきものを発見する。彼は魂の正体を探ろうと、自分の脳をスキャンして、三種類のコピー人格を作り、コンピュータの中でシミュレーションする。ところが、その中のどれかが妻の浮気相手を殺してしまうのだ。果たして犯人(?)はどのシミュレーションなのか。
 やがて物語は仮想世界と死後の生、あるいは不死という大きなテーマを論じていく。そして最後には究極の選択が待っているのだ。

■ディアスポラ グレッグ・イーガン
 現代SFを代表するイーガンの傑作だが、冒頭、ソフトウェア知性が意識を獲得する描写で挫折する読者が多いと聞いた。しかし解説にあるように「わからないところはばんばん飛ばす」でかまわないのだ。
 はるか未来。人類の大半はソフトウェア化され、肉体をもたず仮想世界に暮らしている。そこへ、人類を襲う未曾有の危機が訪れ、主人公たち(のコピー)は宇宙へ旅立つ。かくて膨大な数の次元を超える、壮大な時空間の旅が始まる……。
 中盤、「ワンの絨毯」のパートは、独立した短編としても評価の高い作品だが、ここでもまた違う次元の仮想世界と、そこに暮らす知性の存在が描かれ、仮想世界同士のインタフェース構築といった離れ業が演じられる。まさに究極のハードSFであり、仮想世界テーマの頂点にあるといっていい傑作である。

■アッチェレランド チャールズ・ストロス
 「アッチェレランド」とは「次第に速く」の意味の音楽用語。ごく近い未来のコンピュータ・オタクの話から、あれよあれよという間に電脳空間に知性あるロブスターたちがアップロードされるわ、土星に美少女の治める帝国ができるわ、ついにAIたちがシンギュラリティを超えると話は一挙に銀河系まで広がり、星々まで情報化されるような、とんでもなく壮大な仮想世界が描かれる。もっともここまでくると、宇宙といってもリアル宇宙より仮想宇宙の方が中心で、いわゆる宇宙SFとは違う雰囲気になるのだが。
 とはいえ、本書はそんなデータ化された神々の、超未来的世界を描きながらも、お話の中心は、ある家族のとても下世話でコミカルな、ドタバタした年代記であって、そのギャップにはいかにも作者らしい脱力感がある。これは何とも壮大な夫婦喧嘩の物語なのだ。

■サイバラバード・デイズ イアン・マクドナルド
 近未来のインドを舞台にした連作短編集。この時代、インドはいくつもの国に分裂し、水資源を巡る紛争と、社会に浸透する高度なAIへの規制が大きな問題となっている。ヒューゴー賞受賞作の「ジンの花嫁」では、人間のダンサーが、魔神=ジンとして顕現するAI人格と恋に落ち、結婚する。巻末の大作「ヴィシュヌと猫のサーカス」では、高度なAIはついにシンギュラリティを超えて空気のような存在となり、人々の意識はその仮想世界の中に溶け込んでいく。そしてそれは宇宙的な規模へと広がっていく……。
 エキゾチシズムを重要な要素とし、〈多文化SF〉という言葉にふさわしい、物語性に富んだ作品集であるが、グローバルな仮想世界と、インドという土着的な世界のローカリティとが、必ずしも対立するのではなく、互いに溶け合って独特な世界を描き出している。

■量子怪盗 ハンヌ・ライアニエミ
 遙か未来の太陽系。宇宙空間の〈監獄〉に閉じ込められていた「量子怪盗」ことジャン・ル・フランブール(の精神)。そんな彼を、悪戯っぽい美少女の人格を持った宇宙船〈ペルホネン〉と、高度な戦闘能力を持つツンデレ美女のミエリが救い出す。シンギュラリティ後の世界を支配する〈開祖〉の一人、集合的ペレグリーニの意を受けて、彼に火星の移動都市、ウブリエットにあるお宝を盗んで欲しいというのだ。かくて何だかよくわからないお宝を巡って、怪盗と探偵、それに過去の恋人もからんだ目まぐるしい対決が始まる。
 シンギュラリティ後の世界が舞台で、登場人物も物理的、肉体的に実在しているリアルなものなのか、ソフトウェア的仮想現実的なものなのか、あいまいなままに話が進む。まさしく二十一世紀のニュー・スペースオペラといえる作品である。

■その他のオススメ作品
 仮想世界、シミュレーテッドリアリティ、ヴァーチャルリアリティ。サイバーパンクから広がり、コンピュータ・ゲームや実際のネット社会とも融合したテーマである。ネットの中にもう一つの別の世界が生まれ、そこに住むソフトウェア知性たちは自意識を持ち、現実世界と同様に暮らす。そもそも仮想と現実の決定的な違いというものはあるのだろうか。突き詰めれば難解な話が多いのだが、表面的にはむしろなじみやすいテーマでもある。
 それを最も深く考察したのがグレッグ・イーガン『順列都市』だ。やや難解ではあるが、ソフトウェア化され、コンピュータ内存在となった人間たち(コピー)による、様々な思考実験が描かれる。また人工知能がシンギュラリティ(特異点)を超えて、仮想が現実と融合するというテーマの作品も多いが、ジョン・C・ライト『ゴールデン・エイジ』(ハヤカワ文庫SF)などはその極北にあるといえる。リアルと仮想の区別がほとんどなく、重なったいくつもの世界のレイヤー(層)を自由に行き来することもできるのだ。他にニール・スティーヴンスン『スノウ・クラッシュ』(ハヤカワ文庫SF)や、イアン・バンクス『フィアサム・エンジン』(ハヤカワ・ノヴェルズ)もこのテーマの傑作である。

 2013年6月


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