ジェイムズ・P・ホーガン追悼 

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」10年12月号掲載
 2010年12月1日発行


 ホーガンが亡くなったと聞いて、あらためて作品リストを見直してみた。デビューは一九七七年、『星を継ぐもの』。翻訳されたのは一九八〇年で、翌年の星雲賞を受賞している。今から三〇年前だ。月面で発見された死体は、死後5万年を経過していた――というプロローグは、これだけでもうSFやミステリのファンをわくわくさせるに十分だ。そしてその破天荒なSF的謎解きは、読者の期待に違わないものだった。『ガニメデの優しい巨人』『巨人たちの星』と続くこの三部作は、今でもホーガンの代表作といっていいだろう。
 そして八一年に翻訳されて、こちらも星雲賞を受賞した『創世記機械』。このアイデアには本当にびっくりした。解説にも書いたが、何しろ小説を書くために、架空の統一場理論をひとつでっち上げてしまったのだから。

 このころのホーガンは、紛れもないハードSFの星だった。もっとも、熱心なハードSFのファンからは、その荒技的なアイデアや、科学的に正確とはいえないところを批判され、ハードSFではないとも言われたものだが。しかし、彼の書くSFの中では、科学者や技術者は政治家や将軍たちよりも遙かに光り輝き、その楽天的な発明や夢想は素晴らしく希望に満ちて、重苦しい現実を打ち破ってくれるものだったのだ。彼の作品を読んで、科学に興味を持ち、実際に科学者への道を歩んだという人もいると聞いている。
 その後もほとんどの作品が邦訳され、特に日本での人気が高かったホーガンだが、そのテーマは科学技術そのものよりも、しだいに政治的・社会的なものに移っていった。それは、個人の自由を最優先し、反権力、反権威の姿勢を明確にする、いわゆるリバタリアニズムの思想を体現したものだった(もちろんそれは初期作品から存在していたテーマだったが)。とはいえ、作品にはユーモアの感覚もあり、いずれも楽しく読めるハードSFだったといえる。

 ところが二〇〇四年に翻訳された『揺籃の星』に始まる未完に終わった三部作。はっきりとトンデモ科学の代弁者となってしまったホーガンに、これまでのファンはとまどいを覚えた。好意的に解釈すれば、トンデモをSFとして楽しむものと言えるが、その本気度は強烈だった。プロパガンダではなく、サバイバル小説としては十分面白く読めたのだが。
 きっと晩年のホーガンは、これまで信頼していた科学すらも権威としてとらえるようになったのだろう。常識を疑い、権威に反発する姿勢には共感できるものの、合理性を失った姿を見ると哀しくなる。これが一時的なものだったのか、本当に向こうの世界へ行ってしまったのか、亡くなってしまった今となってはわからない。しかし、それがどうであれ、これまで多くの読み応えのあるSFを書き続けてくれたことに、一読者として、心からありがとうといいたい。

 2010年10月


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