アーサー・C・クラーク 全邦訳著作解題より アーサー・C・クラーク追悼特集II

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」08年7月号掲載
 2008年7月1日発行


■幼年期の終り
 今でもオールタイムベストを選べば必ず上位に入る、クラークの、いや現代SFの最高傑作の一つである。半世紀以上前に書かれた作品ではあるが、宇宙における人類の進化を思索的に描き、人類進化、宇宙文明、ファーストコンタクト、超能力、集合精神、そして人類の滅亡といった、様々なSF的テーマを網羅する、詩情に溢れた傑作である。
 世界各国の主要都市の上空に突然現れた巨大宇宙船。その圧倒的な存在は、長い間その真の姿を見せることもなく、人類を無言の内に支配した。オーバーロードと呼ばれる異星人の管理の下、平和で理想的な(だが自由は制限された)世界が訪れた。多くの人々はこの支配を受け入れたが、オーバーロードの目的をいぶかり、人類の未来を自分たちで築こうとする人々もいた。彼らは独自のコミュニティを作り、芸術や文化を発展させようとする。中にはオーバーロードの宇宙船に密航し、その故郷を知ろうとする者もいた。だが、やがて人類の次なる進化が始まる。子供たちは変容を始め、旧人類には理解を超えた存在へ、オーバーマインドと呼ばれる宇宙精神の一員へと変化していく。オーバーロードの真の目的はその誕生を見守ることだった。(紀)

2001年宇宙の旅
 本書はスタンリー・キューブリックの映画の原作として、映画と同時進行で書かれた作品ではあるが、クラークの最高傑作の一つであり、最も知名度の高い作品だといっていいだろう。人類の誕生からスターチャイルドへと至る、壮大で宇宙的なテーマを扱っているが、同時に太陽系探査や人工知能といった近未来の(そして今やほとんど現実となった)科学技術を描くハードSFでもある。
 本書は大きく四つのパートに分かれる。三百万年前の人類の誕生、月でのモノリスの発見、ディスカバリー号の土星への旅とハルの反乱、そして星々の世界とボーマンの変貌である。知的生物としての人類が、超越的な宇宙知性の干渉により進化させられ、また見守られていたという大きなSF的テーマは、映画では説明不足なものだったが、本書では明解に描かれ、また映画で最もサスペンスフルなシーンであるハルの反乱も、その理由がはっきりと明かされている。一九六八年という、人類が月に立つ以前の作品であるにもかかわらず、本書の科学技術への視点の確かさは驚くべきもので、二〇〇八年になっても月基地が建設されていないのは、きっと何かの間違いだと思いたい。(紀)

2010年宇宙の旅
 一九七九年のボイジャーの木星探査がクラークに本書を書かせたといってもいいだろう。本書は小説『2001年宇宙の旅』の続編ではなく、映画『2001年宇宙の旅』の続編となっている。そしてピーター・ハイアムズの映画『2010年』とのタイアップ作品でもある。小説『2001年宇宙の旅』では土星の衛星にあった第二のモノリスが、本書では映画と同じく木星系に存在する。ボイジャーが明らかにしたイオやエウロパの実像がしっかりと取り入れられ、特にエウロパは知的生命の可能性と絡めて重要視される。
 物語では、フロイド博士がソ連の宇宙船レオーノフ号に同乗し、木星系に放棄されたディスカバリー号の調査に向かう。途中、中国の宇宙船との先陣争いなどもあるが、無事にディスカバリー号とランデブーする。一方、エネルギー生命体となったボーマンは地球を訪れ、元恋人や寝たきりの母親と接触する。クラークは時おりオカルト的な描写を好むことがあるが、ここはその好例となっている。ボーマンはまた木星に戻り、フロイドに警告した後、木星を第二の太陽とする。レオーノフ号は間一髪で逃れ、ディスカバリー号に残ったハルはボーマンの同類となる。(紀)

2061年宇宙の旅
 クラークが本書を発表した一九八七年の前年には、ハレー彗星が七六年ぶりに地球に接近しており、そのハレー彗星が次に回帰する二〇六一年が、本書の舞台となっている。一〇三歳になったフロイド博士がハレー彗星を訪ねる豪華宇宙船ユニバース号に乗り込む。一方、木星系ではガニメデに人類の前哨基地が築かれており、ユニバース号の姉妹船、ギャラクシー号がイオとエウロパの探査に出発する。そこにはフロイド博士の孫も乗り込んでいた。政治的な陰謀により、ギャラクシー号はハイジャックされ、エウロパへ不時着する。そこはボーマンによって人類の立ち入りを禁止された世界だった。
 本書は『2001年』や『2010年』とは趣が異なる。宇宙における人類の運命といった哲学的テーマは背景に退き、モノリスやボーマンもほんの脇役でしかない。主役はハレー彗星やエウロパの驚嘆すべき風景であり、探査機が見たものをぜひとも人間の眼で見たいというクラークの想いである。チャレンジャーの事故によりガリレオ探査機の打ち上げが遅れることになった時、「わたしは待たないことに決めた」といって本書を執筆したクラークの、想像力全開のハードSFである。(紀)

3001年終局への旅
 晩年のクラーク単独長編の特徴である、複数の視点からごく短いエピソードを積み重ねていくスタイルは、大変に読みやすいが、かつての圧倒的な壮大さや驚きは薄れ、より日常的なリアリティに重点を置いた、淡々として味わい深い、いわば渋い感動を与えるような作品に思える。千年後の遙かな未来を舞台にした本書も、またそのような一編である。
 『2001年宇宙の旅』でハルにより宇宙空間へ放り出されたフランク・プールの死体が海王星軌道付近で発見される。回収され千年後の世界で蘇生した彼は、地球の赤道上空を取り囲むスター・シティでリハビリテーションを受けた後、再び木星系へと旅立つ。禁忌にもかかわらず、エウロパへと一人向かうプールに、超生命体となったボーマンが話しかける。モノリスは、そしてその生みの親である超知性も、決して万能ではなく、また誤りを犯すこともあるのだと。『2001年』の神秘性はすでに薄れ、本書で描かれるのは人類も超知性も、あるいは科学も魔法もさほど差のない、とても人間的なスケールの未来像である。九七年に出版された本書に九一一の影はないが、遠い未来の平和な社会にも、かすかにある種の諦観が漂っている。(紀)

失われた宇宙の旅2001
 七二年に出版された本書は、映画『2001年宇宙の旅』のメーキングにあたり、撮影の裏話や、キューブリックとの真剣なやりとりなど、一方の当事者によるドキュメンタリーとして大変面白く読める。だが何よりも本書には、映画にも小説にも採用されなかった別バージョンのエピソードが、短編小説として(「前哨」はそのまま収録)、あるいは長編の一部としてまとまった長さで収録されており、それがまさしくもう一つの『2001年宇宙の旅』として読める。
 猿人たちに知恵を授ける異星人、ディスカバリー号に乗り組む一人一人の日常生活と人間描写、そして自立した人型ロボットのハル(アテーナという名前だが)、木星への途上で起こる悲劇(その別バージョン)、モノリスの存在しない木星第五衛星での、スター・ゲートの発見、そしてゲートを越えた向こう側の世界(しかも一種類ではない)。映画にはなかった異星の景観や異星人とのファーストコンタクトも描かれる。断片とはいえ、そこにあるのは紛れもない驚異の感覚、センス・オブ・ワンダーなのである。エキゾチックな空中都市の光景は、SFの描いた最も美しい未来図の一つだといっていい。(紀)

 2008年5月


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