本格推理小説
「名探偵てらさんの冒険」第二話

水鏡子誘拐事件

作:きくちまこと

 1989年もあとひと月余りを残すのみとなり、京都の町を冷たい風が吹き渡っていた。だが、その寒さをしらぬかのような熱気にあふれた人々がいた。都ホテルを一週間借り切って行われる”京都SFフェスティバル”を翌日に控えて、百人余りのスタッフが最後の準備を行なっているのである。
 ロビーのソファに腰掛けて、終身実行委員長の岸場が当日の手順をチェックしていた。岸場は、これまでの実績が認められて、生涯の地位を約束された実力者である。印刷された当日のスケジュールによれば、最初のパネルは”ジュブナイルSFに何ができるか”だ。もちろんこのパネルは新雑誌”少年ニューワールズ”の発刊にあわせて企画されたものだ。それから二日目には大野万紀岡本俊弥米村秀雄宮城博らのそうそうたるメンバーを迎えて行なうオールナイト・パネル”SFに何ができたか”がある。一晩かけて70年代のSFを徹底的に検討しつくす。このパネル以降、70年代SFについて語るべき言葉はひとことたりとも残らないはずだ。そして三日目に予定されているのが水鏡子による”50年代アメリカSF雑誌総解説”。十年間にアメリカで発行されたSF雑誌のすべての号を一冊ずつ解説してゆく企画だ。一往午後いっぱいを予定しているが、その部屋には後の企画をいれていないから、翌日朝までは延びても大丈夫だ。素晴らしい大会になるぞ、と岸場は思った。
 ぽん、と誰かが岸場の方をたたいた。振り返ると終身事務局長の八田が立っていた。
「いよいよ明日だな」
「ああ」
「フロントから手紙をあずかったよ」
 八田が封筒を手渡した。裏を返してみたが差出人の名前はない。封を切ると一枚の手紙と写真がはいっていた。
「誰かな」
 読みはじめた岸場が、慌てて立ち上がった。まわりを見回して、ちょうど通りかかったてらさんを見つけると声をかけた
「てらさん、水鏡子をみませんでしたか」
「水鏡子だって。そういえば、今日はまだ見てないな。水鏡子がどうかしたのかね」
「実はこんな手紙が」
 岸場はてらさんに手紙を渡した。

『水鏡子はあずかった。危害は加えないから安心しろ。無事な証拠に写真を同封する。だが、京フェスの間は返すわけにはいかない。写真の電車の中にいてもらう。
 水鏡子がいなければ、”50年代アメリカSF雑誌総解説”ができまい。これで京フェスは失敗だな。わははははははははははははははは』

「ふーむ、誘拐か。京フェスに敵対するグループの仕業だな。それで写真というのは」
「これです。どこだかわからないでしょうか。早く救出しないと」
 岸場から手渡された写真に写っていたのは、通勤電車らしい電車の座席に座った水鏡子だった。頭の上には吊革が、そして背後の窓には果樹園らしい風景が写っている。
「東京だな」一目見て、てらさんがいった」
「どうして、わかるんです」
「この字を見たまえ」
てらさんが指差したのは吊革だった。取っ手の上のほうにプラスチックのカバーがかけられている。そしてそこには、"109 SHIBUYA" と書かれていた。
「渋谷109の広告だ。東急線だよ」
「じゃあ、東急線を捜せばいいわけですね」岸場の顔が輝いた。
「そうだ。東急線でしかも沿線に果樹園があるところだ。その電車の中に水鏡子が捕らえられている」
 岸場は早速、関東KSFAに電話をいれた。水鏡子捜索を依頼したのである。

(問題編完)


(解決編)

 夕方になって、東京の英保から岸場に電話がはいった。関東KSFAの総力を挙げての捜索もむなしく、水鏡子の行方は杳として知れなかったというのである。
「東急の車両は一台残らず調べたそうです」岸場がため息をついた。
「とにかく東京の人達には、捜索を打ち切って、朝の新幹線で来てもらうことにしました」
「おかしいな。東急の筈なんだが」てらさんも写真をにらんでため息をついた。
 てらさんは、先ほどからずっと写真に目を凝らしている。この写真にすべての手がかりが隠されている筈なのだ。水鏡子が見つかっていないとすると、何かまだ見落としているものが、この写真にはあるに違いない。いったいそれは。
「とにかく」と岸場が立ち上がった。「京フェスは予定通り行ないます」

 京フェス当日がやってきた。昼頃から参加者が続々と都ホテルに到着する。彼らの殆どは水鏡子誘拐のことなど知らないのだ。無用の混乱を招かないためにも、事件のことは参加者に伏せておかれることになっていた。プログラム通にコンベンションを進める一方で、なんとしても三日目の企画までに水鏡子を見つけようというのである。もし見つからなければ、
「その時は、事件を公表するしかないな」岸場はひとりごちた。  昼過ぎに英保たちが到着した。 「もし当日までに水鏡子が見つからなかったら、”50年代アメリカSF雑誌総解説”は、僕がやるよ」開口一番、英保が言った。
 岸場のあいさつに続く最初のパネルは期待どおり大成功を収めつつあった。だが、その間にも岸場とてらさんは、水鏡子の手がかりを必死に求めていた。
「とにかくこの写真ですね」
「ふーむ、どう見ても東急なんだがな。この窓の外の景色がどこかわかりさえすればいいんだが」
「果樹園ですね。なんの樹でしょう」
「一見、りんごみたいなんだが、まさかそんな筈は。いや、まてよ。そうか、わかったぞ」てらさんが叫んだ。
「明日中には必ず水鏡子を連れて帰ってくる。心配しないで待っていてくれ」
 言い残しててらさんは駆け出していった。

読者への挑戦状
 はっきりいってトリックはあなたの思った通りだ。あまりのばかばかしさに石を投げたりしてはいけない。人間、寛容が大事さ。

 京フェスのプログラムは滞りなく進行していった。てらさんが帰ってきたのは二日目の午後だった。そしてもちろん水鏡子も一緒だったのである。岸場や八田ら30人ほどのスタッフが迎えにロビーに集まった。
「てらさん・・・」岸場は、あとの言葉が続かなかった。  てらさんが口を開いた。
「写真を見たとき、すぐに気づくべきだったんだ。誰でも知っている筈のことがトリックに使われていたんだよ。私が行ってきたのは弘前なのさ。
 説明しよう。弘前と大鰐の間を走る弘南電鉄大鰐線はみんなも知ってるだろう」
 てらさんが見回すと、みんながうなづいた」
「その弘南電鉄の車両が東急の払い下げだということも当然、周知の事実だ」
 そういえば、という声がスタッフの間にあがった。てらさんは続ける。 「私は弘南電鉄に乗って確かめてきたんだが、吊革には東急で使っていたときのまま”渋谷109”の広告がついていたよ。それだけじゃない。別の車両の吊革には”東横お好み食堂”の広告がついていたのだ。勿論、水鏡子はそこにいた。
 これは、”渋谷109”の広告がついた電車が東京以外を、それも青森県などというところを走っているという驚くべき事実を利用した見事なトリックだったのだ。もう少しで私もだまされるところだったが、残念だったな」と言って、てらさんが指差した先にいたのは、おお、なんということであろうか、英保だったのである。
「ちょっと待ってください」岸場が言った
「英保さんは、水鏡子が見つからなければ代りにその企画をやると言ってくれたんですよ。それを犯人だなんて」
「いや、それこそが奴のねらいだったのさ。水鏡子の代りと称して、参加者の前で嘘八百を並べ立て、京フェスの信用を落とそうという魂胆だったのだ。なんと恐ろしい陰謀じゃないか。そうだろう、英保。いや、うまく化けてはいるが、お前は英保じゃない。観念して正体を現したらどうだ」
 スタッフのあいだに衝撃が走った。そのときだった。それまで沈黙していた英保が笑い声をあげた。
「ははは、さすがは名探偵てらさん、よく見破った。確かに私は偽者さ。本物は仕事の都合で今ごろやっと新幹線の中だよ」そう言うと英保は、あごに手をかけた。するとどうだろう。ゴムのマスクがぺりぺりとはがれていくではないか。そして、その下に現れたのは、 「やはり、お前だったか、オオモリアーティ」てらさんが言った。
 なんということであろうか。英保に化けていたのは、天才とまでいわれた希代の大悪人オオモリアーティ教授だったのである。人々は恐怖の叫びをあげた。
「残念だが、今回は私の負けだ。誉めてやるぞ。また会おう、てらさん」
 言うが早いか、オオモリアーティは階段をかけのぼった。あわてて、てらさんが追う。だが、屋上についたてらさんが見たものは、気球に乗って逃げ去ってゆくオオモリアーティの姿だったのである。

 京フェスは大成功に終わった。打ち上げの喧騒の中で、終身実行委員長の岸場の心は既に来年の京フェスへと飛んでいるのだった。

(完)


再録時のあとがき
 本作品は”名探偵てらさんの冒険”シリーズ第二作として1989年に執筆され、THATTA 62号と63号に分載された。古い作品であり、現状とはそぐわない部分も多々あるが、再録にあたっては字句の訂正にとどめた。なお、本作品はフィクションであり、実在の人物・事件との類似があるとすれば、それは当然そのつもりで書いたからなのである。

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