続・サンタロガ・バリア  (第284回)
津田文夫


 台所と居間の間のカウンターにある多機能デジタル時計が摂氏32度を示すのを見ながらワープロを打っていると汗がポタポタと落ちる。一応朝なんだけど・・・。

第64回日本SF大会HELLCONレポート

 行ってから早くも2週間が過ぎたHELLCONのことを書こうと思ったら、すでに大方忘れている。まあ印象に残ったことだけでも書いておこう。
 よく考えたら大分市に行くのは初めてだった。現役時代はまだ職場の課内旅行が全盛で、別府、鉄輪、湯布院と行ったけれど、大抵は徳山からフェリーで行ったので、大分市には用がなかったのだった。
 今回JRの切符を買いに行ったら、新幹線小倉乗換ソニック/にちりんで呉からでも3時間あまりで着くことが分かった。初めて乗ったソニック/にちりんはイギリス旅行でロンドンからノリッジへ往復した特急に似た印象で、長距離客と地元客が入り混じった感じの客席だった。
 初めて見た大分駅と駅周辺の第一印象は、新しい市街地だなあというものだった。まっ平らな土地に真新しい建物と緑地が並んでいて、いかにも今風な都市計画を実施しましたという駅前広場のデザインにちょっとした違和感を覚えた。

 駅前広場からすぐの会場のJ:COMホルトホール大分は大型の複合文化施設で、館内大小ホール前の広いロビーにこじんまりとSF大会の受付があった。テーブルの端の方でイマジニアンの会の宮本律子さんが小さなお茶会の受付をされていたので、挨拶して大ホールへ。
 すでにオープニングが終わっていて、梶尾真治インタビューになっていた。大ホールの客席は今はやりの多目的ホール用自動出し入れタイプになっており、座り心地の悪いイスだったので階段に腰かけてしばらく聞いた後、ディーラーズ・ルームのイマジニア売り場へ、宮本会長の姿はなかったので、しばらく売り子をして、「海外SF文学賞候補作総まくり」の部屋へ。初日の企画で見たのはこれだけになった。

 この企画は、石亀航さんと勝山海百合さんの掛け合いで各賞の候補作中短編を紹介していくということで、当然重複するノミネート作品も多く、あとに行くほど紹介作品数は減る。作品に関しては聴いている限りSFとして面白そうなのはかなり少ない感じ。まあ、オールドファンの趣味とはかけ離れていくのは仕方ない。それにしても勝山海百合さんは面白いキャラの持ち主だなあ。

 ということで、あとは企画部屋に行かずディーラーズ・ルームと周辺をウロウロ。ディーラーズ・ルームの左隣は全日本中高年SFターミナルの『SFファンジン』のブース。当方が最新号を買ったらそれで売り切れたとのこと。初日の昼過ぎに売り切れとは。そういえば蛸井さんの「糸納豆」各号と『モリー・ゼロ』も売り場にあって、売り子の方に聞いたら委託販売で、蛸井さんのことはよく知らないとのことだったので当方が簡単に蛸井さんのことをお話した。
 また、そのブースにはなぜか真新しい1973年のEZOCONプログラムブックとアフターレポートの山もあって、何ですかそれはと尋いたところ、最近見つかったので持ってきたとのこと。早速購入。アフターレポートの参加者名簿を見たら、桐山さんはともかく同志社大SF研同期の西島君の名前があって、彼は当時高校生だったはず。さすが京都のボンボンは違う。
 なお、ディーラーズ・ルームはここ何年もほぼ同じ顔ぶれでブースが並ぶけど、お客さんには地元の中高生が混じっていて、大会側が無料で参加させているみたいだった。

 初日の企画が終わるころ、ディーラーズ・ルームを早めに出て、宮本会長夫妻の車でCONPACK会場の鶴崎ホテルをめざすが、その前に市内で夕食。車を近くの駐車場において繁華街に行き、大分名物トリ天を出す飲み屋に入ろうとしたら満員(まあ土曜日だし)。で、次の店を探していたら店のお姉さんらしき人がウチへどうぞと案内する。2階の店に入ってトリ天をつつきながらビール(会長はもちろんノンアルコール)を飲んでいたら、あとから小浜氏や菊池ハカセなどが10人くらいでドヤドヤと入ってきた。こちらはそろそろ出るところだったので、入れ替わりみたいになった。

 鶴崎ホテルはいかにも昭和時代の観光温泉ホテルで、玄関が道路から全く見えないという怪しいつくり。もちろん増築を重ねたいわゆる迷路ホテル。
 部屋はシングルだったけど、ドアとベッドの間にある洗面の水は飲用不可。ポットの水のみ可。おまけにトイレがなく、4室のドアが囲む廊下にトイレが一つというもの。さすがにこれはいまどき珍しいといってもいい。
 ワールドカップをテレビで見てから温泉でのんびりして部屋に戻ったら8時を過ぎていた。あわてて宴会場を捜して2階に下りたら、いわゆる支度室を抜けて宴会場に入るというつくりに、またもや昭和時代の温泉宿を思い出す。宴会はほぼ終了状態で当方はビール1本と残り物をかき集めて食事。宮本夫妻のテーブルは満席だったので、『SFファンジン』売り場の方たちのテーブルで話をしながら食べてました。奥の方のステージでは人間六度先生の星雲賞受賞祝いケーキが配られていたようで、結構な人数の人たちがケーキをパクついていた。
 午後9時のお開き。その後のホテルの一室での2次会には不参加、あとは寝るだけ。翌日は早めに起きて食堂で簡素なバイキングの朝飯をいただき、再び宮本夫妻の車でJ:COMホルトホール大分へ。

 9時開場のディーラーズ・ルームに入ってしばらくいたけど、2日目は10時からの企画を3つ見て午後3時台の特急で帰宅する予定だったので、まず「サイバーパンクの部屋」に参加。
 巽さん、小谷氏、菊池ハカセにトリニティといつものメンバー。印象に残ったのは、アメリカ滞在中に、巽さんの英語著作がアメリカで訴訟沙汰になったアンソロピック事件に引っかかって、原告訴訟団から原告になれとメールが来たのだけど、まだアンソロピックを知らなかった巽さんはてっきり詐欺メールかと思って無視していたら、小谷氏からアンソロピック情報が別件で入り、ようやく詐欺ではなかったと気付いたという話。
 あと菊池ハカセがAIに質問するのに丁寧語なんか使っていたらAIをつけあがらせるからやめろという話をすると、トリニティから、でも理系の人は実験に使う機械に名前を付けてナントカ様お願いしますとか言ってるじゃないの、とツっ込まれ、イヤアレは大事なことですと言訳したハカセが会場を沸かせていた。

 メシも食わず昼から「ゲンロン 大森望SF創作講座 10年の成果」と「SF読書会:フレドリック・ブラウン」とゲンロン出身作家がらみの話を聞いた。
 「ゲンロン 大森望SF創作講座 10年の成果」の方は、歴代受講生がズラッと並んでいた。司会はもちろん大森望。講座経験者は年齢層にかなりバラツキがあって女性が多いのが印象的だった。受講生は各々個性的ではあるが、大森望の人望は厚く、ある意味ゴッドファーザーなのかも。会場に林譲治氏がいて大森望が意見を訊いていた。あと一番若いと思われるギャルっぽい女性がかなりトバしてました。

 「SF読書会:フレドリック・ブラウン」もゲンロン大森望SF創作講座出身作家として溝渕久美子ほか7人が登壇。司会は小浜徹也。
 お題は文庫化された『フレドリック・ブラウンSF短編全集』第1巻の収録作品を全部読んで、タイトル一覧表に各作家が気に入ったものに〇をつけ、感想を述べるというもの。
 まあ、初期のオチ小説が当時の風俗からしてウケないのはよくわかるし、後半に収録されたオチよりは暗い情念や強い風刺を含んだ作品が評価されていたのはある意味当然。壇上の若い女性が、妊娠期間オチに気が付かなかったという話題があって微笑ましい一幕も。
 意外にも小浜氏は当方の世代なら中学生で洗礼を受けた『天使と宇宙船』や『スポンサーから一言』それに『SFカーニバル』などを後追いで読んだようで、会場にいた年配の方に昔の読まれ方を尋いていた。あと勝山海百合さんが会場にいて小浜氏は先生、先生と連呼していたが、翻訳家としてブラウンのスタイルを解説して面白く、やっぱり奇特なキャラの持ち主という印象だった。

 この後すぐに会場を後にして駅に向かい、腹が減ったので遅い昼食を摂った。モノは地元名物トリ天と団子汁セット。オイシイというよりは名物の味ですね。
 で、お土産をいくつか買って復路に就く。往復とも特急が定刻より5分から15分くらい遅れたのは御愛嬌だけど、復路では小倉での乗換時間がなくて焦ったよ。
 アタフタとして参加したHELLCONNだったけど、それなりに楽しめました。スタッフの皆様大変お世話になりました。
 そういえば会場の大階段の蹴り込み板を20段分ぐらい利用して実行委員長の雄姿が見えるようになっていたけど、家に帰って実行委員長の閉会の挨拶を読むまで委員長が中年女性だったとは気が付きませんでした。申し訳なし。


 ということで、読書感想文はHEILCONのロビーで出張販売していた紀伊国屋書店のブースで見つけた、かずなしのなめ、しば犬部隊、星月子猫、涼海風羽、武石勝義、十三不塔、人間六度『シメオンの柱~七つ奇譚』文芸社文庫2025年2月刊から入ろう。
 こんなものが出ているとは全く知らなかったけれど(『SFマガジン』でタニグチリウイチが紹介していたかも)、寄稿者中後ろの3人ならそれなりに読ませるだろうと思い手を出した次第。
 最初に見開き2ページの「序」には、「天辺も、底も見えない、霞に包まれた巨大な塔」の説明があり、「ぐるりと囲む円環の橋があ」り、「塔はクリーチャーという怪物を生む」。そして「橋から生まれた者で初めて塔に挑んだ者がいた」のだが、その者は帰ることがなかった。それでも人々はその塔を彼にちなんで〈シメオンの柱〉と呼んだ・・・という設定が紹介されている。
 要はシェアード・ワールドもののアンソロジーということですね。当方が聞いたことのない作家たちは、各タイトルページ裏の紹介によると、いわゆるWeb小説サイト出身のようである。
 かずなしの作品はオーソドックスなファンタジー。しば犬部隊のは、いわゆる「俺TUEEE」系と見当される1作。松坂牛の育て方で養育した女性たちを食う化け物を退治する話。星月子猫は定石外しなアンチヒーロー(ヒロイン?)なバアさんが狂言回し。解説も書いているアンソロジー作成呼びかけ人の涼海風羽の作品は、いかにも趣味的なファンタジーだけど凝りすぎのように思える。
 武石勝義「クライマーズ・ドリーム」は、「浮き上がった血管のような紋様に覆われた管が、天井の隙間から何本もぶら下がっている」という一文で始まる。
 この管からは食料が吐き出されるが、それ奪い合って生きている「柱」の中の種族の少年がこの絶望的な状態から少女を救うために危険に満ちた柱の外の階段を登っていく。すなわちタイトルの由来である。ジュブナイル的冒険譚とオーソドックスなヒネリが心地よい。
 十三不塔「アンダーサッド」は、橋の下に吊り下げられた住処に住みそのほかの世界を知らない人々が、壮大な音楽を鳴らしてついに別世界の人々(橋上の民)と出会う1篇。音楽と演奏の使い方がうまい。これもジュブナイル的な雰囲気がある。
 トリは人間六度「龍の襟元にキスをした」。これは「人と龍が同じものだった」と始めて、やがて龍と人が分かれる時代が訪れ、龍は人から空を奪ったという設定を紹介。ドラマは人間社会で人間と同じ姿をしながら角があったりする龍族の血が濃い者が差別される状況で、そのような少女を守ろうとする少年の話が本筋。
 それにしても冒頭で「三つの太陽が互いの重さを支えるために複雑に体位を変えるたび変わる景観は、劇場のようだった」とあって、視点人物不明な文章だけど、これがシェアード・ワールドものの掟破りな1篇であることはよくわかる。変身譚のバリエーションでもある。
 当方が年寄りなこともあって、やはり既知の作家の作品の方が読みやすい。

 SF大会の行き帰りに読んでいたのは、アリ・スミス『五月 その他の短編』河出文庫5月刊。親本は2023年刊。その時はちょっと気になったけど読まなかった。
 SF大会なんだからSFを持っていこうとしたけど、これといったモノが手元になかったので、この際読んでみるかと思ったもの。
 250ページに12篇を収めた1篇あたり20ページ程度の短編集だけど、冒頭の「普遍的な物語」からして、一筋縄でできていない話が展開、ちょっと狐につままれたような気分で読み終えることになる。
 これは表題作「五月」でも同じ。前半は「わたし」が「木に恋してしまった」と語るところから始まり話が続くが、後半は「私」が「わたし」の話を聞きながら「私」の話をする。この「ナニコレ」感は細かい部分の表現でも同様で、冒頭、「わたし」は通勤のため歩道を見ながら「歩行者がつまづきそうな個所を探している人たちがいるかもしれない」と思い、そういう人を募集する場合「(求ム、舗道及び路面調査員)」か「敷石査察官」か「地区舗道破損状況調査官」か、どんな名称になるんだろうなどと考えるのだ。 
 「文庫版訳者あとがき」で岸本佐知子は、「アリ・スミスの小説を読むということは、他のどんな本とも異なる読書体験だ」と最初の一文を始めているが、それはこの短編集を読めばよくわかるし、文学的評価が高いのもうなずける。
 しかし残念ながら、当方はアリ・スミスの小説を積極的に読みたいという気にならない。なぜかというと、ここで描かれているのは徹底した女性視点と感覚で、なんだその感覚は、という違和感が常時付きまとって、柔軟性のないジジイの当方にはちょっとシンドイのである。

 「主人公が状況を受け入れたり受け流そうとするばかりで、展開の地味さや遅さを耐え難く思う読者もいるとは思う・・・」というのが、『本の雑誌』7月号の橋本輝幸によるポール・リンチ『預言者の歌』の書評の一節。当方はまったくこれに当てはまり、100ページ余り読んだところで投げだした。
 なんでこんなものがブッカー賞なのかと、投げ出す前に栩木伸明の「ディストピアでの日々の暮らし—訳者あとがきに代えて」を読んだら、主人公が分子生物学者と書いてあってこれまたビックリ。
 1950年代から60年代前半のアメリカのTVホームドラマに出てくる「専業主婦」みたいに、不条理な状況にオロオロするばかりのヒロインが分子生物学者だってぇ。少なくとも博士号ぐらい持ってるはずのヒロインはパソコンを前にしてなんの情報も取らず、勤め先でも彼女が何をしているか何の説明もない。子供たちや父親や知り合いと不安な感情をぶつけあうばかりの彼女が「主婦」以外の何者なのか読者にはわからないまま。なので、こんな書き方をするこの作者に対する不信感は募るばかり。
 作者はシリア内戦の状況を現在のアイルランドに当てはめたらしいけど、20世紀前半のスターリニズムにナチスドイツそして大日本帝国、中期のマッカーシズムに文化大革命にその後のポルポトその他モロモロという歴史に何を学んで来たのか。『1984』をはじめとして『われら』や『25時』(もちろんゲオルギウの方)などのあとでいまだにこれなのか。
 途中で投げた人間の言うことじゃないけど、ブッカー賞の審査員大丈夫か。

 口直しに読んだのが、親本出版時(2024年)に岡本俊弥さんが取り上げて、その翌年の『SFが読みたい』のベストに入れた砂川文次『越境』文春文庫7月刊。オビには『本の雑誌』年間ベスト1に選出とある。そういやそうだった。
 ということで、すでに人口に膾炙した作品らしいので、簡単な感想を書いておこう。
 なんといってもロシア、自衛隊、警察、その他有象無象が入り乱れることになった北海道という設定がきちんとしたリアリズムで舞台設定されていて、これがまず好印象の第一。 そこを遍歴する弱小化された航空自衛隊の常識的な隊員である主人公/視点人物(すぐに最後の生き残りになるけど)によって出来事と主要登場人物の紹介と行動が、やはり浮つくことなく描写されていることが好印象の第二。
 そして見事なアクションシーンの連続もまったく嘘くさくなく展開できていることがエンターテインメントとしての好印象をもたらしている。
 もちろんこれはエンターテインメントなので、主人公が何度も気を失ったり、絶体絶命なはずが仲間や偶然によって助かったりするパターンが頻出するのは御愛嬌。
 しかし、これを読んでいて一番びっくりしたのが、その数珠つなぎのアクションエンターテインメントが一段落して、サバイバルの師匠である日本人の元兵士やサハ族だという謎の女が消えたのち、主人公が救出された陸自基地でたまたま出会った異国風の女兵士(彼女自身は自衛隊員ではない)から飲み屋で延々と世界状況の解釈を聴かされるところ。アナーキーな北海道の状況から導き出される一種の哲学は、マルクスの資本論や柄谷行人の交換論さえ彷彿とさせる。
 最後に示される、この北海道の現実の前に主人公たちがニヒリズム落ちいらざるを得ない原因である、日本社会とその政府の現実離れした「法律(日常維持)」信仰批判が、結局北海道での核爆発を招くラストは、さすがにやりすぎ(ヒロシマに住む人間からすれば)に見えるけれど、この重厚なエンターテインメントの結末としては妥当なところなんだろう。
 いやまあ、面白かったです。

 買ってないことに気が付いて注文した伊藤和典『「機動警察パトレイバー」寿司屋の後藤』は6月30日初刷で7月10日3刷。さすがよく売れてる。
 『パトレイバー』シリーズは当方が最初からほぼ最後まで、漫画と地上波にOVAと映画も含めて、リアルタイムでほぼ全部見た唯一の視覚作品(『宇宙戦艦ヤマト』に興味はなく『ガンダム』と『エヴァ』は妻が子供と一緒に見るのだと買ってきたLDで後追い)。
 とはいえここ20年近く再読再視聴しなかったけれど、それでも『寿司屋の後藤』に入ればあの世界は蘇る。解説は伊藤の一番弟子といわれる横手美智子でこの思い入れの強さは、まあわかる。
 一番びっくりしたのは、250ページに14篇で、1篇20ページに満たない長さということと、「寿司屋」の店内での会話とその様子だけで話が造られていることもあって、アッという間に読み終わってしまうこと。試しに午後9時ちょうどに読み始めて1篇読み終えて顔をあげたら時計は9時6分だった。若いころなら5分たらずだったろう。
 改めて作者のプロフィールを見ると当方と同年だった。押井守ほどの政治的な突出性がないのはこの世代だからか。

 全く情報のない新人作家のSF作品がいきなり出て意味不明なタイトルだったら、読むかどうか迷うところだけど、とにかく翻訳SFの新刊が少ないので読んでみたのが、qntm(クオンタム)『反ミーム部門は存在しない』
 この世界には、U(アンノウン)番号が振られている一種の妖怪がたくさんいて、それらはひとつひとつが全く違う特徴を持つが、それにかかわった人間たちはそれとの関係で生じたすべてを記憶から失ってしまうという性質を持つ。これに対抗できるのが「機関」の「反ミーム部門」のエージェントたち。そしてヒロイン級の登場人物が中年の女性エージェント。とはいえ出づっぱりではなく連作短編集的なオムニバス性がある構成になっている。
 アイデア的には過去に同じものを使った作品はいくつもあったと思うが、この作者はいろいろな思い付きと工夫で、そんなアホなと思わせることなく先に進むだけのエンターテインメント性を保持して、結構楽しく読み進めていた。
 それが結末編である第3部冒頭の章、ヒロインの夫であるプロのヴァイオリニストを主人公にしたエピソードで、当方にとっての話のリアリティが崩壊してしまった。
 「楽屋での空き時間、スマートフォンが使えず出番まで何もせずただ待つときがそうだった」で、目が点になる。クラシック・ファンなら知っている通り、それが楽譜ならともかく、公演中に楽屋で楽器を持たずボヤっとスマートフォンを眺めている弦楽器のソリストなど存在しない。
 「・・・交響楽団とひと月近くツアー公演を行ってきた」って、ポップス・オーケストラじゃあるまいし、通常100人近い団員と関係者を4週間もかけて国内をめぐるツアーはありえないし、ウィーン・フィルクラスなら外国の客から高額のチケット代と補助金をもらって海外ツアーをやるかもしれないが、いまどきはどこも予算不足(赤字)で長期ツアーに出るオケはほとんどない。ちなみに当方は30年前のウィーン・フィルのS席に3万円余を出したけど、いまの値段は知りません。
 また「この(最終)公演のころには、根っからの快活なオーケストラ団員でさえ神経をすり減らし、プログラムも新鮮味を失った繰り返しになっていた」とあるが、3分から5分のヒット曲を毎回20曲ほど演奏するだけのポップス・オーケストラじゃあるまいし、作者はクラッシックのコンサートをまともに聞いたことがない(もしくはクラシック・コンサートは退屈だと思っている)ようだ。
 1970年の大阪万博でクリーブランド響を率いて来日後間もなく亡くなった伝説の指揮者ジョージ・セルは、リハーサルで気の抜けた態度をとった楽団員に「オマエはもう来なくていい」と云ったというエピソードが伝わっている。だいたい最終公演を迎えたミュージシャンは最後だということで刺激的な演奏をすることの方が多い。
 まあ、この人物のエピソードが終わった後は、また本来の調子に戻るのだけど、さすがに楽しさは半減した。
 なお、ハッタリの一つとして使われている黒ベタだらけのページが煩わしいが、黒ベタを日本語でちゃんとつないで見せようとする訳者(鳴庭真人)はよく頑張っていると思います(やっぱり難物だよね)。

 馬伯庸(マー・ポーヨン)『ドラゴン・メトロ —地龍鉄道—』は、いわゆる小学校高学年から読めます的な、男の子が主人公のジュブナイル。しかし税抜き2500円ではジュブナイルの対象的年齢の子には買えないだろうな。ということで、訳者大恵和実の解説も大人向きの詳しい歴史解説と作者及び作品解説が主。
 読み始めてすぐに思い浮かんだのが、この間読んだ『雨影(レインシャドウ)の孤児たち』に出てくる幼い「皇子」のエピソードだったけど、さすがマ・ポーヨンはエンターテインメント強者、圧倒的な牽引力であっという間に全編を読ませてしまう、といっても緩い字組で200ページしかないんだけど。
 話の方は、「牛筋皮エネルギー」を動力とした飛行機が飛ぶ、改変歴史上の唐の都長安で、虐げられて地下鉄の車両として利用されているドラゴンたちがいて、その怨念が物象化した悪龍と長安軍の戦いが起きている。そんな中、防衛隊率いる一軍の将の幼い息子である主人公の少年はある日、地下鉄ドラゴンに乗って寝過ごし、気づかれずにドラゴンたちの巨大な地下格納庫へ向かうところで、そのドラゴンと仲良くなって名づけをする。するとすべてのドラゴンに名前を付けることになり、少年は一躍ドラゴンたちの人気者になった。
 そして、少年のお守り役で天子の妹でもある公女と彼女に気のある空軍のエースパイロットの助けを借りて、少年はあらゆる困難を乗り越え、囚われのドラゴンたちを助けようとする・・・。
 楽しく読めるという点では文句なし。作者はジュブナイルにありがちな定石的でご都合主義的なファンタジーという批判をその筆力で吹っ飛ばしてみせている。実際、ご都合主義的な段取りは目に付くのだけれど、地下鉄車両になったドラゴンというアイデアとその推進力は読者に考える暇を与えない。
 たぶん馬伯庸(マー・ポーヨン)は現代における世界屈指のエンターテインメント作家なんだろうな。

 今回最後に読み終えたのは、小林泰三『此方より 小林泰三未収録短編集』。正味で700ページ近い分厚い文庫。14篇収録。解説は恒川光太郎。
 著者が2020年に58歳でなくなって早7回忌をいう時代に、著者がデビューした角川ホラー文庫で、同じくこのレーベルでデビューした恒川光太郎の解説をつけて出したこの1冊が、編集部の熱意を感じさせるものになっている。また収録作に既読作品がほとんどないことも嬉しい(って、既読でも大抵は忘れているんだけど)。
 そして意外にも、この1冊が当方のようなSFファンにとっては一番楽しく読めるものになっていた。この著者のトレードマークのひとつともいうべき、いかにも理系な屁リクツとそこから展開するバカ話が満載で、シリアスな「凄さ」をたたえるような傑作短編群とは別に大いに楽しめるものに仕上がっている。
 収録作品は以下の通り。
「愛玩」、「メロスの疑念」、「掌の上の宇宙」、「量子密室」、「大いなる種族」、「二人を繋ぐ夢」、「強いAI」、「単純な形」、「最初の角逐」、「きらきらした小路」、「虹色の高速道路」、「自分霊」、「シミュレーション仮説」、「此方より」。
 収録作を含め恒川光太郎による小林泰三の作品解説は簡潔で、当方が個々の作品のへたくそな要約をしても仕方ないように思えるので感想だけ書いておこう。
 分量的にメインとなるのは、創土社刊のクトゥルフ/クトゥルー神話アンソロジーに発表された2作、「大いなる種族」150ページと「此方より」135ページの長中編のもしくは短い長編。
 恒川光太郎の解説では、小林泰三はデビュー作からクトゥルフものを書いており、クトゥルフがライフワーク的なテーマだったろうとしているが、『SFマガジン』で大阪の同世代SF作家たちによる追悼座談会では、クトゥルフに本気で取り組んでいたわけではなかったのではないかと話されていたように記憶している。
 どちらにしても、小林泰三の作風はラヴクラフトの生真面目さからは遠く離れていて、むしろバカ話を作るためのスプリング・ボードみたいに思える。特に「大いなる種族」の各エピソードは昔の大学SF研のバカ話の雰囲気を湛えていて懐かしさを覚える。
 ミステリ的な短編もいくつか入っていて、ホームズものの「最初の角逐」、超絶探偵ものの「量子密室」それに話が何度もひっくり返る「二人を繋ぐ夢」などがそれに当たるし、一方『SFマガジン』掲載作3篇はまさにSFとしての論理で話が造られる。
 この作品集はそういう意味での小林泰三作品のジャンル的なショウケースでもある。
 またこの作家の作品に特徴的なミもフタもないオトし方の短編も複数あって、登場人物に対して全く同情心を持ち合わせない作風が見て取れるのも、いかにもという気がする。
 今後は小林泰三のベスト・オブ・ベスト的なジャンル別短編集を期待したい。最低でもカドカワ、ハヤカワ、創元からは出してほしいところ。 

 しかし、今回最大の読み物はノンフィクションだった。

 それはもちろんスタニスワフ・レム『レムかく語りき スタニスワフ・ペレシとの対話』。スタニスワフ・レム・コレクション第2期最終配本。思えば全冊読んでしまったなあ。
 インタビューだけで上下2段組600ページというシロモノ。とはいえ、すでに読了後2週間近くたっていて、ひとつひとつの話題が何だったのかは忘れてしまっているけど、いくつか印象に残っていることを書いておこう。

 最初に感じたのは。レムは「俗情」について書いたり語ったたりには興味がないんだなあ、というもの。
 レムが若いころにリアリズム的な創作をしていたことはここでも語られているけれど、どうしても「俗情」に踏み込まなければならないその書き方が自分に向いていないことに気づいて、その後のレムがSF的な作品へ舵を切ったと思われる。
 レムは自らがキリスト教徒家庭に育ったユダヤ人であることを含め、物事を「イデオロギー」的な観点で語ることが嫌いらしい。ポーランドが何回も分割されて、自分が育った街もウクライナ領になったが、そのような地政学的現実を、こと自分に関する限りかなり割り引いて回想しているように思える。
 このインタビューが行われた1981年から翌年にかけてという時期が、監訳者沼野充義の解説によれば戒厳令下にあったという(実際インタビューの中でも触れられている)ということを考えれば、レムはもはや政治的状況いかんにかかわらず、かなりあけっぴろげに語っているように見える。もっともレムは「俗情」に興味がないので、その発言は当局が動くほどの直接的政治批判になっていない感はある。

 SFについては、まだアメリカの現実を知らなかった時代のレムのアメリカSF界への憧れがそれほどに強かったことが、アメリカSFひいてはSFそのものへの恨みに転嫁してしまったんだなあ、というのが感想その二。これはレムの激烈な口調からSFファンなら誰しも感じることだろう。
 レムがアメリカSF作家協会SFWAに知的なハイレベルを期待していたらしいことは、このインタビューのレムの口調を見ればよくわかる。その期待が手ひどく裏切られた結果、レムの80年代以降のシリアスなSF的作品に漂う断念の悲壮感は、SFへの決別を感じさせるのかもしれない。ついにはSFを書くのをやめたし。
 でもレムの自作SFのお気に入りが、「GOLEM XⅣ」は当然として『電脳の歌』というのが面白い。

 あとは、レムがカール・ポパーを評価しているのが印象に残った。ポパーもキリスト教に改宗したユダヤ人家庭で育ったし。でもポパーに比べるとレムは楽天的(もしくは超然的)といえるかもしれない。
 レムの博識ぶりとインタビュアーの生徒役は、レムの話を続けさせるためには必要なことだったろうが、レムの話のとりとめなさは長年レムを読んできた者にとってもいささか難物ではあった。まあ、面白いんだからいいじゃないかともいえるが、これを読んで初めてレムを知るようなヒト(そんな人間はいないか)には近づきがたいかも。

 今回最初に読み終えた1冊は、紀田順一郎『蔵書一代 なぜ蔵書は増え、そして散逸するのか』だった。中公文庫6月新刊。目にしたときに買って、そのまま読んでしまった。親本は2017年松籟社刊。文庫化に合わせ1997年に『ユリイカ』に掲載された荒俣宏との対談や年表、解説も収録。
 まあねえ、息子らの紙の本に対する執着のなさを見れば、明治以降の個人蔵書(それがどんな分野であれ)の時代が終わっているのは明らか。以前書いたように親父のキリスト教関連の蔵書も古書店が引き取ったのは半分にも満たないわけで、古書店にも用がなければあとはオンボロアパート共に滅んで行くだけである。
 当方のSFを中心としたあれこれが数千冊(一応半分以上は判型別に本棚に放り込んではある)は手つかずのままだけど、近いうちに引き取り手を捜すようにしないといけないだろう(いるのかどうかは知らんが)。いまのところ風を通しに週2回ぐらいは電チャリを30分漕いで街の反対側にある、この長い坂道の途中に建つアパートに通っている(今の季節だと往復する間に500mlペットボトルがカラになるよ)。
 思うに、いわゆる立派な蔵書に入っているような紙媒体の本は、いずれ国会図書館のデジコレで読めるようになるわけで、貴重なのは近代印刷以前の刷り本や国会図書館に無いような印刷物ということになるのだろう(だったら、文学フリマ(コミケ?)で売っているようなものもしくはファンジン系やミニコミ誌類もということになるが、それらは「貴重」なんだろうか)。
 どちらにしても紙の本の収集は好事家のものとなっている時代に入ったことは間違いない。希望があるとすれば、レコードがある程度復活してきたように、紙の本で読むほうがありがたみがあるという、それこそ「ミーム」が伝播して行くことだろう。


 最後に、qntm(クオンタム)『反ミーム部門は存在しない』のところでクラシック・コンサートのことで文句をつけたので、7月に聴いたコンサートのことを書いておこう。 

 地元で広島交響楽団の演奏会があったので聴きに行ってきた。夏休みということで、モーツァルト交響曲41番「ジュピター」と羽田健太郎(宮川泰)交響曲「宇宙戦艦ヤマト」という変な組み合わせ。チケットを買いに行ったら7000円のS席がほぼ売り切れ。ということで、割とまばらな2階席真ん中一番後ろから5番目くらいのA席を確保。
なんでそんなものを聴きに行ったのかって、そりゃエマーソン・レイク&パーマーの「悪の教典#9」第3印象を聴いた宮川泰がその一部をこの曲(主題歌)に応用したっていうのは(一部で)有名な話だし・・・。
 指揮はNHK交響楽団正指揮者で、2022年まで広響音楽監督だった下野竜也。「宇宙戦艦ヤマト」では、ソプラノ(ヴォカリーズ=歌詞なし)、ピアノ、ヴァイオリンのソリストが加わる。ソリストはそれぞれ、隠岐彩夏、高木竜馬、三浦文彰
 「ジュピター」は、始まったとたん、おっコレはという速いテンポと聞き慣れないアクセントで、下野竜也は「ジュピター」を夏向けに清新なスタイルにして聴かせた。おかげで当方も眠気を覚えることなくノリノリで聴けた。
 休憩をはさんで「宇宙戦艦ヤマト」。こちらはモーツァルトと違い大編成オケで、ステージ奥の打楽器群にはハイハットとシンバル(たぶんスネアも)なしの、バスドラとその上の大小タムだけのドラムセットも置かれていた。
 この20分の休憩時間中、舞台と舞台裏で楽団員は音出しに大わらわ。さすがに交響曲「宇宙戦艦ヤマト」はモーツァルトやベートーヴェンと違って演奏機会が少ないので、最後の最後まで楽曲確認が欠かせないし、2台のハープはいつもの通りずっと舞台上でチューニングしている。
 この曲は4楽章からなる演奏時間約1時間の大曲で、第3楽章で2階客席の最前列(ステージに向かって)右端にソプラノが起ってヴォカリーズを歌い、終楽章ではピアノとヴァイオリンの二重協奏曲となるヘンテコな構成。パンフによると羽田健太郎が作曲した唯一の交響曲とのこと(そりゃそうだろう)。
 曲は宮川泰の作った主題歌や挿入曲をモチーフにして大規模なオーケストレーションを施したものだけど、新鮮な「ジュピター」を聴いた後では退屈で半分寝てました(なのでドラムセットがいつ使われたのか不明)。
 演奏が終わると客席からはブラボーの声と割れんばかりの拍手が湧きおこり、当方も目が覚めた。アンコールはもちろん「宇宙戦艦ヤマト」主題歌。ヴァイオリンの三浦文彰が指揮台に立って振り、下野、高木、隠岐はマイクを持って「さらばー地球よー」と3番まで歌い、会場の客と一体になって大合唱。地元呉ならではの広響夏休み企画はこうして幕を閉じたのでした(まあ、いいけど)。


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