みだれめも
第276回
水鏡子
ここ数年hero-warsというオンラインゲームをちまちまやり続けている。これにふたつめが加わった。Forge of Empiresという青銅器時代から宇宙時代まで文明を育てていくゲームである。システム的にもヴィジュアル的にもとにかくすごくて飽きさせない。ボードゲーム版のシヴィライゼーションを一ゲームするのに一週間かかるとか聞かされて、なんと大変なことかと驚いたのははるか昔のことである。記憶がおぼろであるのだけれど、たぶんその種のゲームの直系であると思う。数十年の、一朝一夕ならずの積み重ねがこの無料でさくさく遊べるゲームになっているのだろうと感慨にふける。そんな系譜を辿ってみたいという強い思いが湧き上がる。
けれどもhero-warsとForge of Empiresのふたつをやるだけでも、たぶんこの先数百時間が費やされることになる。
この二つをやることだけでもこれはいかんという危機感があるのである。ましてや系譜を辿るなどとてもとても。
問題は、寿命からの逆算である。残りの命数を鑑みて、系譜を含めたジャンルの総体を俯瞰できると到底思えないのだ。
名作だけをやればいいというものではない。ジャンルを俯瞰するには凡作愚作にいくつも手をだし、文化共有体として、ジャンルの基層を成す作り手受け手の意識総体を体感していく必要がある。それがあたりまえのアプローチだと思っている。
SFを読む過程で身についた方法論である。ラノベ、コミック、ファミコン、エロゲー、なろう系と、その後のいくつものジャンルを横断する中で繰り返してきたアプローチである。
そのもととなったのが十代のころ繰り返し読みふけった「SFスキャナー」にあったことに、『伊藤典夫評論集成』で読み返し、初めて気づいた。
伊藤さんにとってSFとは、見えるものは個々の作品という形に結実しているものの、実態はその背後に蠢く作家と読者が作り上げた「アメリカSF」という文化コミュニティだった。遠く離れた極東の地から活字を通じて読み取るなかでその成員の一員となり総体を体感することこそがSFファンであるということであったのだろう。さらにそのうしろには当時まだ輝かしくあったアメリカンカルチャーという文化総体が希求される憧憬として、まだ鎮座していた時代であった。
王道を踏まえて境界を見渡す。
曖昧模糊としてとらえがたい「アメリカSF」に目鼻をつけるため、軸となる作家を見つけ出し、そこから周縁部、境界に向かう。それがパースペクティブを取得する道筋だった。
最初期の伊藤少年にとって、王道とはハインラインであり、先人としてのラインスター、理想形としてのベスターであったように思える。『評論集成』の初期における頻出度、文章に漂う好感からそんな風に読み取ってみた。
凡作愚作をけなしまくり、境界作品に関しては否定から入る論調だが、けなしまくっても凡作愚作を嫌ってはいなかった。凡作愚作もアメリカSF界の本質を伝えるものであったから。ハインラインというアメリカと未来を体現する作家が中心にあったことから、クラークをはじめとするイギリスSF、ブラッドベリ、スタージョンなどの幻想派、マシスン、ヤングといった都会派ファンタジー、ハーバート、ゼラズニイらの中世風封建的世界、ヴォネガットなどの文芸系作品、そしてニューウェーブなどなど、様々なものが境界作品としてこれがSFとして正しいのかと懐疑的な吟味を繰り返し、いつのまにか氏にとって王道を肉付けするものに変容し、より豊かなSF世界を作り上げる結果となった。正・反・合、ヘーゲル的にいうなればアウフヘーベンを繰り返し、否定から入った作品ほど翻訳の対象となっていった。
王道を教条主義的に信奉せずに済ませることができたのは、もしかしたら海外SF紹介時期が、『異星の客』ご本尊ハインラインの変質時期と重なったおかげかもしれない。
いずれにしても作家的資質に依拠した名作傑作よりも、凡作愚作の中にこそジャンルが積み重ねていく歴史と地理が刻まれていく。それがパースペクティブというものであるのではないだろうか。
9月の購入冊数135冊。購入金額22,933円。クーポン使用5,000円。
なろう本35冊。コミック21冊、だぶりエラーと買い直し15冊。
新刊は10,339円。『SFマガジン10月号』『ベルセルク㊸』『火炎人類』『百年文通』『レモネードに彗星』『かえるの騎士とみにくい背高女王』など。
9月はイベントも大きな古本市もない端境月。本代のほぼ半分は新刊が占めた。買い直し本は、100円でみつけた『地球地獄』『縄の戦士』『アイ・オブ・キャット』『逆時間の環』など。『地球地獄』は4冊目。伝奇ヴァイオレンスと架空戦記の新書本が大量に放出されていたので、佐藤大輔、友成純一、田中光二などを拾う。
硬めの本の主なところ。カール・セーガン『百億の星と千億の生命』、小池滋編著『イーヴリン・ウォー』、佐野哲郎編著『W・B・イエイツ』、J・ホークス『もうひとつの肌』、ナイジェル・クロス『大英帝国の三文作家たち』、GZブレインムック『ゲームと平成』、スタジオハードデラックス編『このボカロ曲がすごい2013』など。
『ゲームと平成』はぼくの好きな年表本。平成におけるゲーム業界と世の中の出来事を年表形式とトピックで振り返る。
なろう本からはSchuld『実質異世界転生~二千年寝てたら世界が変わってました~ 』(ブシロードノベル)
惑星テラフォーミングに参画していた機械化人の主人公が10年間の仮眠期間から目覚めると2千年経っていた。仮眠中にテロが発生して瀕死のところをパートナーAIが2千年かけて修繕したとのこと。惑星改造は歪な形で成立し、なんと剣と魔法の世界になっていた。そんな世界で主人公は機械化人の能力で無双していく。
ぼくの一押し『TRPGプレイヤーが異世界で最強ビルドを目指す』の著者によるファンタジー色の強いSF。一押し作家であるというのにSFMで書評されるまで気づかなかったことが少し悔しい。
じっくり稠密に書き込まれた『TRPGプレイヤー』に比べると、テンション高めではっちゃけて小説的には粗っぽいが、アイデア、小ネタの多彩なところは相変わらずでまあ面白い方。『TRPGプレイヤー』を読んでなければ評価はもっと高かっただろう。知性のきらめきが心地よい。
常々思うところだが、ネット検索を自在に扱える時代になって能動的な人々の知性レベルは検索不如意の人々(ぼくを含む)より、知性レベルがかなり上がっている気がする。知識レベルではなく知性レベルの話である。
実際なろう系を読んでいて、ぼくが老化していることもあるものの、著者の7割がぼくより知識レベルで大きく凌駕し、4割が知性レベルで上位に位置する。そのうえに文芸技術や社会的体験が加味されていく。
ちなみに知性レベルにおいて3割程度は下位評価、そのうち1割は論外レベルに位置づけている。あくまで書籍化されたものでの評価である。こんなものを本にするなよと言いたくなるのがこの1割である。