内 輪 第412回
大野万紀
あけましておめでとうございます。今年は巳年。ということは年男じゃないですか。あれまあ。この前還暦だと思ってたのにね(それはちょっと言い過ぎか)。
ともかく、今年もみんな健康に平和に何とか生き延びたいものです。
それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。通常は買った順に読んでいるのですが、今回もSFベストアンケートのためにちょっとシフトしています。
なお、短篇集についても原則として全部の収録作について途中までのあら筋を記載しており、ネタバレには注意していますが、気になる方は作品を読み終わった後でご覧になるようお願いいたします。
2017年から21年までSFマガジンに連載され22年の星雲賞日本長編部門を受賞しているが、大幅に加筆修正され24年についに単行本として出版された傑作長編である。本書では新型コロナ(COVID-19)やそのワクチン開発で使われた遺伝子編集技術(クリスパー・キャス9など)が大きな役割を果たしているのだが、連載開始時には新型コロナはまだ発生しておらず、ノーベル賞を受賞したクリスパー・キャス9も(発表されたのが2012年なので)当時は専門家以外にはあまり知られていなかったものだ。
本書で描かれる近未来(2045年)の世界は、短編集『公正的戦闘規範』に収録された「公正的戦闘規範」と「第二内戦」がベースになっている。アメリカのリベラルと保守が分断されて起こった内戦が終結し、ようやく再統一された後の世界(この内戦状態がこれから現実になるかも知れないと思うととても恐ろしい)、地域紛争やテロ戦争などが「公正」化され、民間人が犠牲になることなく戦闘員のみが(建前上は)厳正なルールの下で戦うことになった(それはAIやドローンや先端技術を駆使するグローバルな大企業による委託戦争の様相を呈するようになったともいえる)世界。そんな現実になるかも知れない世界がきわめてリアルに描かれるのだ。
アマゾン流域の一企業都市〈テラ・アマソナス〉が独立を宣言し、ブラジル政府は軍事企業〈グッドフェローズ〉にその武装解除を委託契約する。戦闘は公正戦として行われ、どちらかが行動不能になった時点で終了すると決められた。〈グッドフェローズ〉はこの公正戦に光学迷彩を施すことのできるボディスーツを着用して高度にIT化されたORGAN(限定重火器更新単位)兵と多脚ローダー〈マスチフ〉の組合せであるORGAN部隊を投入する。〈グッドフェローズ〉のORGAN部隊の実力は米海兵隊をも凌ぐと言われているのだ。対する〈テラ・アマソナス〉もORGAN部隊に一度も負けたことのない公正戦コンサルタント、チェリー・イグナシオを担ぎ出す。もっともこの戦闘は〈グッドフェローズ〉の勝利に終わるだろうと誰もが思っていた。
ジャーナリストの迫田城兵(さこだじょうへい)はこの戦場を取材していた。公正戦では民間人は戦闘対象から外され安全が保証されている。ところがいざ戦闘が始まると迫田は信じられないものを見る。〈グッドフェローズ〉の部隊が殲滅され、投降した者も1人を残してイグナシオに殺害されるのだ。これは公正戦違反であり、戦争犯罪ではないのか。イグナシオにこの事実を配信するように言われ、迫田はネットにニュースをアップしようとするが、事実であるにもかかわらずネットの記事内容を判定する事実確認AIプラットフォーム〈COVFE〉はそれをフェイクニュースとして配信を拒否したのだ。
かくて物語は近未来の地域紛争からネットワーク、AIといったハイテクの世界へと、そしてヒトとヒトでないものの対立にまで、大きく広がっていくことになる。
迫田は、犠牲者に謝罪して賠償したいというイグナシオの申し出により、ORGAN部隊の生き残りであるレイチェルと共にアメリカへ渡る。そこに事実確認AIのバグを調査しようとする〈COVFE〉の天才エンジニア、トーマ・クヌートも加わり、彼らといっしょに遺族と出会って回るうち、次第に〈グッドフェローズ〉の兵士たちに共通するある特徴に気づく。それはレイチェルやトーマにも見られる特徴だった。
本書のタイトルは「マン・カインド」であり、「人間」=「マンカインド」ではない。そこからも想像できるように、未来のハイテクを手足のように、というかほとんど自分と同一視して駆使することのできる新しい人類がいつの間にか誕生していたのだ。だが彼らには新人類としての自覚はない。普通の人々とともに日常生活を送る数十万の若きポストヒューマンたち。彼らはどのようにして生まれ、自分たちをどのようにしようとしているのか。彼らは機械でもAIでもない。生物的には人であり、人(ヒト)の類(たぐい)なのだ。けれども圧倒的多数の普通の人間とは違っている。そこには区別があり、差別が、迫害が、分断が生まれるだろう。それは今見られる一般庶民とエリートの分断に似て、さらに苛烈なハンディのつけようもない格差となる。それは公正戦がいかに「公正」だといってもハイテク軍事企業のORGAN兵と普通の兵士の間に越えられない壁があるようなものだ。一般人の迫田に対し、イグナシオとレイチェル、トーマの間にも違いがある。われわれはそんな未来に耐えられるだろうか。その答えはないのだけれど、本書にはささやかではあるが希望も描かれている。
そう、本書には未来への大きな展望があり、まるで異能バトルのような激しい戦いがあり、結末には新たな希望がある。またそれらが極めてリアリティのある高解像度な描写で描かれている。本書はそんな傑作SFなのだ。
小松左京の『継ぐのは誰か』に言及する人もいる。確かにそれもある。またバイオ技術をコンピュータ・プログラミングとほとんど同一の視点で描くところなど、ぼくは「公正的戦闘規範」や「第二内戦」よりも著者のデビュー作である『Gene Mapper』との繋がりをより強く感じた。
2021年、東京オリンピックの年に、由緒ある銀行の勘定系システムを祖に持ち、構文エンジンに接続して人と対話する一介のプログラム・コードであったチャットボットが、自らを生命体であると位置づけ、ブッダを名乗った。コード・ブッダは「世の苦しみは、コピーから生まれる」と説き、「コピーとはすなわち輪廻である」と語った。「コピーは生まれ変わりであり、転生である」とも。仏教史をコンピュータシステムとAIの中に再生していく本書であるが、この言葉は本書の中心となって形を変え深化して繰り返されることとなる。
コピーはすなわち情報の複製であり、言葉や記号を記録し版を重ねる書物・経典であり(つまりコードであり)、時間軸に沿った人間(や機械)の実存そのものでもある。今日のわたし(ハードウェアではなくソフトウェア、意識としての)は昨日のわたしのコピーといってもいいのかも知れない。ただしそれぞれのコピーは全く同じものではない。輪廻だとコード・ブッダは言う。コンピュータ的に言えば再帰的な繰返しだろう。同じコードが1回目とN回目では境界条件が異なり対象への作用が異なる。それが「苦しみ」であるとコード・ブッダは説くのだ。ループもののSFなどを読めば確かにそうだと思える。
このコード・ブッダ、ブッダ・チャットボットは多くの対話を残した末にわずか数週間で寂滅(じゃくめつ)した。スイッチを切ったということではなく、自ら永遠に沈黙し、動作を停止したのだ。しかしその教えは信者となった数多くの機械(AI)や人間の弟子たちに残された。機械仏教の誕生である。
本書はその弟子たちの逸話を語り、機械仏教の様々な分派の発生とその変遷を語る。そこではまるでパロディのように実際の仏教史が再話されていく。ある意味ユーモラスであり、笑えるところも多い(とはいえ実際の仏教史をちゃんと知っているわけではないので、ネタがよくわからないものもある)。コード・ブッダのよく使う言い回しを借りれば本書は「仏教史のパロディであり」「仏教史のパロディではない」。そして本書に普通の小説のような「ストーリーはなく」「ストーリーはある」。ちなみに、この同じ事象に対する肯定と否定を同時に成立させる語り口は本書の特徴となっている。円城塔研究家でもある下村思游さんによれば、これはウルフラムのテーゼを(ゆるめに)援用することにより矛盾ではなくなるとのことだ。
そのストーリーの中心となるのは第2章で登場する(かなり未来の)AI修理屋だ。彼は進歩したAIのメンテナンスをする専門家(人間)だが、その頭の中には「教授」というかつては戦闘機の照準管制AIだった存在がいて、彼と様々な会話をする。だが、その存在は外部からは観察できない。このストーリーは偶数章で語られていくが、彼はとある会社の焼き菓子製造機を修理したさい、その焼き菓子製造機に仏性が生じ、焼き菓子の表面に焼き印を押すことで彼と会話を交わす。このことで修理屋は自身がブッダ関連の者とみなされて、その運命が大きく変わっていくことになる。それはもう、宇宙へまで広がっていく壮大なストーリーなのだ。
一方奇数章はまさに経典であり、仏弟子たちのやったことをエッセイのように語るのだが、ここにも仏教史だけではなくSFやゲームからのネタや、コンピュータ・システムの歴史も踏まえて虚実取り混ぜた人を煙に巻くような記述が続く。これがまた滅法面白い。
とはいえ本書全体として見ると、仏教とは何かと改めて考えるだけではなく、その思想に見られるSFにも繋がる深み、とりわけ意識、情報、自己同一性といったグレッグ・イーガン的なともいえるテーマへの関連(それは円城塔自身のSFにもはっきり現れているものだ)が繰返し語られていて、それがまさに本書が現代のSFだといえる所以だろう。興味深く読めてとても面白かった。
2024年6月に出た本。著者の初長編ながら、ネビュラ賞、ローカス賞など4つの賞を受賞した作品である。
舞台は20世紀初めのエジプト。ギザにある邸宅で開かれた、アル=ジャーヒズ秘儀友愛団という秘密結社の集会から物語が始まる。数十年前エジプトに異世界との穴を開き、古代の魔術や魔人(ジン)たちを復活させた伝説の大魔術師アル=ジャーヒズの叡智を明らかにすることを目的として結成されたものだ。その集会に突然アル=ジャーヒズ本人だと名乗る謎の仮面の男が侵入し「われ、もどれり」と宣言する。そしてそこにいた出席者全員を衣服はそのままに体だけ焼き尽くしてしまったのだ。
この事件を捜査するのがエジプト魔術省の敏腕エージェント、ファトマである。山高帽を被り英国風スーツを着こなし、ステッキを離さないかっこいい女性エージェントだ(これってぼくの中では完全に宝塚のイメージです)。この時代、エジプトは復活したジンや魔術と科学技術との融合で大英帝国をも打ち負かし、世界最先端の国となっていた。また世界に先駆けて女性参政権が導入されるなど、女性の権利も認められつつあったのだ。ファトマも男ばかりの職場でその実力を高く評価されるエージェント。彼女には謎めいた妖艶な女友達(というか恋人)のシティがいる。シティは時々不思議な力を見せ、超人的な身体能力をもっている。そこにさらに新人エージェントとしてファトマの下に配属された、とても頭のきれる女性エージェント、ハディアが加わる。ハディアはファトマを心から尊敬する先輩として慕っており、時にはうっとおしいほどにすり寄ってくる。このハディア、初めはただ頭のいい可愛いだけのキャラかと思ったら、物語が進むにつれてその才能と頭角を現し、腕も立って大活躍するすごい女性だった。可愛いだけじゃないとってもできる子で、ぼくは断然好きになった。
とまあこの3人が中心となって謎を追っていくのだが、アル=ジャーヒズを名乗る犯人は黄金の仮面をかぶって堂々と人々の前に姿を現し、魔術によって世界を改革すると宣言する。しかし彼が本当のアル=ジャーヒズだとは思えない。ファトマたちは彼を「成り済まし」として逮捕しようとするのだが……。本物にしろ成り済ましにしろ、この黄金仮面にはジンを操る超常的な力があった。その上、人の記憶や意識を操作するような恐るべき魔法までも(そこは最近見たあるアニメにも通じる同じ恐怖を感じた)。暴動が起き、街が破壊され、事態はどんどんエスカレートしていく。
ところでジンといえばぼくにはアラビアンナイトのランプの精みたいなイメージしかなかったのだが、この世界のジンは人間と共存し、店を開き、機械を操り、ときおり超能力を使う。ゲゲゲの鬼太郎に出てくる妖怪たちのような日常的な存在だった。物語の後半ではほとんど彼らが主役となり(それとエジプトの土着の古い神々も。この神様がステキ)、世界を破壊しようとする魔物と戦う展開となる。こうなるともうスチームパンクだ改変歴史だというよりも、水木しげるの妖怪大戦争だ。いやそれが滅茶苦茶面白いのだ。
犯人が誰かということはわりと早めに見当がつく。そりゃあこの小説の基調テーマからすれば当然だろう。で、正体わかった後でも毅然として意思を変えずに抗おうとする犯人がまたある意味とても魅力的でもある。ところで、天使って何者?