続・サンタロガ・バリア  (第238回)
津田文夫


F-CONレポート

 行動制限がないと云うことで、毎日膨大な感染者数が発表される中、昨年SFファンダム賞の柴野拓美賞を受賞されたわが大学SF研創立者桐山御大の誘いもあって、第59回日本SF大会F-CONに参加してみた。
 会場の温泉ホテル「華の湯」がある磐梯熱海(郡山市内)まで、JRで8時間近い道程。ということで前泊を申しこみ、金曜日朝7時半に家を出て、東京でそのまま乗り換えて、着いたのが午後3時過ぎ。2018年に大宮で開催された彩CONの時は、帰りに東京に2泊して仙台と甲府へ行ったけれど、今回の方が疲れた感が深い。
 疲れたので、早速露天風呂付の大浴場へ。このホテルは10階建ての独立した2棟を3階建ての中央建物でつなぐという形をしており、大浴場が一方は地上階の露天風呂で、もう一方は最上階の10階にある展望風呂。時間指定の男女入れ替え制で、翌朝までに両方を堪能しました。食事はビュフェ形式なので、ちょっと心配だったけど、前泊ということでほとんど客が居らず、安心して食べられた。部屋は12畳ぐらいの和室、10時頃まで誰も来ず、疲れていたので早寝した。

 土曜日、本会は午後3時からと云うことで、せっかくだから猪苗代湖を見ておこうかと、JRで4駅ほどの猪苗代駅まで行ったけれど、湖は遠いのであった。タクシーの運転手に聞いたら野口英世記念館の裏から浜までは行けないけど見ることはできるよ、といわれて乗り込んだところ、運転手が観光ガイドよろしくあちらが磐梯山ねとかいいながら、野口英世記念館前に何軒もある食堂兼土産物店のメシがウマいと勧められた。
 まずは猪苗代湖を見ようと野口英世記念館の脇の道を湖方面に歩いて行くと、水田の中にまっすぐ延びる軽トラが通れるくらいの畦道があり、それを一番奥まで歩くと、葦の原の向こうに広がる湖面が見えた。振り向けば磐梯山が見えてなかなかの景色ではあった。
 野口英世記念館は、いわゆる今風な展示館で、生家である茅葺き住宅を覆う形で建てられている。大和ミュージアムを建てるときの展示専門業者のプランとほぼ同様のスタイルはなんとなく懐かしい。ただ大和ミュージアムの3分の1くらいの規模なのに、入場料が800円と高め設定だ(大和ミュージアムは500円)。今年出来た別館とのセットで1300円といわれたが、本館のみとした。明治9(1876)年生まれ昭和3(1928)年没という50年余りの人生を忙しく駆け抜けた野口英世のエネルギーはやはり驚くべきものという感想が湧く。とはいえ、1時間もおらず外へ出た。
 タクシーの運ちゃんに勧められた食堂でざるそば1枚食べて、店の人にタクシーはありますかと聞いたら、呼ばないとありませんと言われ、先ほどの運転手が帰りも呼んでねとくれたカードの電話番号で呼ぶ。しばらくして来たタクシーは先ほどと違って若い真面目そうなお兄さんだった。無言のうちに駅に着いたが、メーターを見ると1750円、来るときは1930円だったよなあ。

 受付が始まっていたけれど、人が多いので、部屋に戻りひと風呂浴びてから受付。地元で使える商品券は前日ももらったけれど今回もまたくれた。全部で4000円分、土産と昼弁当代に使わせていただきました。そうこうするうちに桐山御大から架電、どうもまだ郡山あたりらしく、磐梯熱海の駅名を失念して行き先を聞かれた。当方もアバウトで行動するが、御大も相当ですね。ディーラーズ・ルームに行き、広島で当方が属するイマジニアンの会のブースへ。宮本会長が不在だったので、ウロウロしていたら堺三保さんが「オービタル・クリスマス」ブルーレイ/DVDを販売中。クラファン(語感がヘン)では協力できなかったので、1万円で御買上げ、サインはいらんでしょというサンポさんにサインをして貰った。
 宮本会長が戻ったので、オープニングへ。オープニングの司会は、よく聞いていなかったけれど、声優さんと思われる若い女性で、その後ろにメイド服のロボットらしきものがいた。噛みまくる司会に合わせるように動きのアヤシイ少女ロボットのおかげで、暗黒星雲賞をもらってました。企画の方はとりあえず木口博士が主催する「ニセ科学」部屋へ。サンポさんと幹細胞で有名な八代嘉美さんがパネラー。中身はニセ科学総まくり的な紹介とツッコミ。なかなか楽しく聴かせていただきました。終わってから博士に挨拶。博士はZABADAKのコンサートへ。6時過ぎになっていたので、当方はビュフェへ。昨晩と較べかなりの大人数がいる。全館貸し切り状態と云うことで、わずかながら見知った顔があるものの、おとなしく一人席で食べた。料理はおいしい。桐山御大はまだ見えない、と思ったら、ロビーとフロアラウンジの間の長椅子で休んで居られた。御大は当日申込の宿泊組で本館ではなく別館の部屋を割り当てられたらしい。
 桐山さんと別れてウロウロしてたら蛸井さんに遭遇。蛸井さんはサンポさんの「オービタル・クリスマス」上映会に行くというので、当方は一旦部屋に戻り、奥さんが蛸井さんにと用意したエビスご当地缶(広島県)を持って行き、ついでに「オービタル・クリスマス」メイキング・フィルムとオリジナル英語版を見てしまう。別の企画を見るという蛸井さんと別れ、再び展望浴場へ。実はヒゲ剃りがどこにあるか分からずようやく受付カウンターでもらった次第(ヒゲ剃りは浴場のパウダー(?)コーナーに大量にあったんだけど気がつかなかったのだ)。ようやくヒゲ剃りが出来て、湯に浸かろうとしたら英保未来さんに行き合わせた。他に人も居らず、超久しぶりに英保さんと話した。話題はいつの間にかLGBTQとSFの話になって、大森望もいろいろ工夫して書いているらしいことが分かって面白かった。ややノボせぎみで風呂を出て、部屋に帰って寝てしまった。

 翌朝再びビュッフェへ行くと、こんなに人が居たのかと云うくらいの超満員。遙か遠くに桐山御大が見えたけれど、1人席だったので遠慮して空き席探し。取りあえず確保して、温泉の朝なのでご飯にしたらこれまたおいしいのであった。
 その後ディーラーズ・ルームにいたら、宮本会長がディーラーズ・ルームにいたマシロちゃん2号の手を取って連れ回していた。身長が小学生くらいしかないので、ちょっとアブナイ感じがする。ディーラーズ・ルームの店じまいを手伝った後、企画を何か見ておこうと思ったけれど、結局またもや菊池ハカセのサイバーパンク部屋に行くことに。サングラスを掛けて明るい部屋を見る。トリニティとハカセ、それにニューヨークから巽孝之&小谷真理夫妻がネット参加、これがサイバーパンク部屋始まって以来初めてのネット中継だそうだ。話の方は主に『マトリックス・リザレクション』について。当方は見逃しているのでフーンという感じで聞いてました。

 閉会式では星雲賞、ジェンダー賞、柴野拓美賞、暗黒星雲賞と続いた。日本長編部門はラノベの作品と藤井大洋のSFマガジン連載作が同時受賞。どちらも読んでないぞ。ラノベの人は挨拶でアウエー感があるとおっしゃってました。海外短編にアラン・ガードナーが選ばれていて面白かった。柴野拓美賞では今回は桐山御大が審査員の一人として壇上にいた。暗黒星雲賞は相変わらず面白いけれど、主催者の人は若手の助手兼後継者を求むと述べて、ここでも高齢化の波が将来を危惧させるようになってた。
 当日中に広島へ帰り着くために閉会式を抜け出して、2時台の電車で帰路に就く。大森望一行もこの便で帰ったようだ。東京までの新幹線が自由席120%で立っていた。東京からは指定席だったけれど、わりと空いていた。午後10時過ぎに帰宅。  F-CONのスタッフその他の関係者の皆様ありがとうございました。お疲れさまでした。十分楽しめたと思います。来年は埼玉県浦和とのこと。


 こんなにも長々とF-CON話を書いてのは、SFプロパー作品が夏枯れともいうべき状態で、取り上げる作品がなかったため。

 ということで、まずはアイザック・アシモフ『永遠の終り』。書庫代わりのボロ・アパートを探索したら、昭和52年初刷のハヤカワ文庫SF版と昭和42年初刷の箱付HSFS版の両方が見つかった。HSFS版は当然古書店で買ったものだけど、いつどこで買ったかは思い出せない。深町真理子さんの訳文は見たところ変更がないので、「なにをかくそう、訳者はミステリのファンあがりである」ではじまる「あとがき」付のHSFS版で読んだ。
 この作品も今更ストーリーを紹介する必要のない有名作とはいえ、その古典的な時間外時間である「永遠」では現実世界と同じように時間が経過しているのは、この手の話としてはデフォルトなんだろうな。一方「永遠」がディストピアに見えるのは作者の計算の内なのかも知れないけれど、これはなかなか新鮮。それにしても各世紀の改変理由がドーデモいいくらい保守的でいい加減なので笑ってしまう。いま書かれている時間SFでも改変理由は同じようなものかもしれないが。歴史編修/改変がフィクション/エンターテインメントの常套手段になってしまった21世紀の今でさえ、基本的アイデアに新しいモノは付け加えられていないようだなあ。
 この作品の問題はあいかわらず主人公に魅力が無いこと。「主人公の悩みが、そのひとつひとつはまことに人間的(強調点あり)であるにもかかわらず、すこしも身近に感じられないのである。というより主人公が大車輪で奮戦すればするほど、こちらの心はしらけていく」と訳者自らが書いてしまうほどだからねえ。こればっかりは新訳でもどうにもなるめえ。とはいえ恋人と敵役を同時に演じる美女がすべてを浚っていくラストには、SFとしては妙な魅力があり、それなりに感慨が沸く。文庫の方の(H・K=込山博美さん?)の解説では、この作品はアシモフの一連の銀河帝国ものの起点となる作品だとしている。

 新刊SFはホントに夏枯れで、読めたのは、クリス・ハドフィールド『アポロ18号の殺人』上・下だけ。どうみても魅力的なタイトルに見えないんだけれど、中原尚哉さんの訳だしとSF大会の行き帰りで読んでいた。
 現実には存在しなかったアポロ18号が入ったタイトルから改変歴史ものであることは明らかで、「殺人」とあるからには主眼はミステリだと見当されたけれど、印象に残るのは作者がカナダ出身の宇宙飛行士だったということからくる戦闘機乗りやアポロ宇宙船に関する蘊蓄と描写の迫真性だ。作者本人が実感として持っているだろうパイロットの任務に係わるさまざまなことがらの淡々とした描写が素晴らしい。ここら辺はコワルのレディ・アストロノート・シリーズを凌駕しているといえる。
 しかしそれ以外は残念ながらあまり面白い効果が上がっていない。まずミステリとしての手がかりの出し方がかなり退屈で、ミステリにしたために本来生き生きとしていたはずのさまざまなキャラクターにつねに影が差して、その迫真的な描写の頼もしさを損なっている。また、米ソ冷戦を反映したプロットもアクション描写があまり得意そうに見えないため、クライマックスが盛り上がらない。
 でも主人公格の登場人物がテストパイロットとして、高速飛行するF4ファントム戦闘機でカモメに衝突し、片目を失うプロローグの迫力は印象的だったことに違いは無い。

 読むものがないなと手を出してしまったのが、ガイ・モーパス『デスパーク』。ハヤカワ文庫SF6月刊。新人の新刊ということで本屋で買いはしたものの、開巻1ページ目で「死ぬ準備はできているか?」 (30ポイントぐらいのゴシック体)「時を稼ぎたい?」「リアルな世界に退屈してる?」(以上、ゴシック体)を見て、すぐにページを閉じて積ん読に。なのに読んでおくかとなったのは、『本の雑誌』大森評が4つ星だったから。
 それにしてもこの設定は酷いんじゃないかねえ。こんなSFミステリ、スマホでライフログが取れていれば最初から成り立たない話じゃないか。一人の体に5人の人格を埋め込んだり、アンドロイドのボディに人格ダウンロードができる世界でライフログさえないとはねえ。
 総てのキャラが殺伐とした今風なミステリだが、しばらく前に読んだ1冊だけ読んだカリン・スローターあたりの方が殺伐さが身にしみるぞ。

 今回読んだSFは以上たったの3冊。じゃあ何を読んでいたのかというと以下のノンフィクション3冊。

 本誌前号で水鏡子が名著と太鼓判を押したので読んでみたのが、飯田一史『ウェブ小説30年史 日本の文芸の「半分」』。初めて買った星海社新書。550ページもある。
 本書のもくろみは「はじめに」で尽くされている。なぜウェブ小説からの書籍化を取り上げるのか、いわく「ストレートにオンライン小説(中略)の歴史自体を辿っていきたいところだが、サイトや作品は時代とともにウェブ上から消えていく/消されてしまう。のちの世の人間が整理することは難しい」。なので、「ウェブ小説書籍化の歴史」ということになった。また、その歴史を辿ることで、なぜウェブ小説書籍化はラノベやケータイ小説に多く一般文芸では少ないのか、なぜ漫画市場ではデジタルコンテンツとして2010年代に売上拡大に成功したのに、文芸市場は縮小してしまったのか。なぜウェブ小説のオンライン上での有料化に進まず、無料で読めるウェブ小説を書籍化して売るというビジネス形態なのか。以上3つの疑問点を視野に入れながら叙述したという。
 クロニクルということだけれど、前半のサンプル数の少ない時代である1990年代から2000年代までは大まかな章立てで、各章の副題を紹介すると、
 1990年代ウェブ小説の書籍化‐分岐・集団創作・マルチメディアの夢
 2000年代前半のウェブ小説書籍化‐ 自費出版・掲示板文化・ガラケーサイト
 2000年代後半‐第2次ケータイ小説ブーム
 2000年代後半‐アルファポリス・エブリスタ・小説家になろう
で、補章として、「2000年代までの隣国のウェブ小説動向」があって、後半に入る。
 2010年‐初の異世界転生書籍化と「ウェブから書籍へ」の流行の波及
 2011年‐「新人賞からウェブ投稿へ」という投稿先変化の萌芽
 2012年‐なろう系文庫レーベルと複数のテキスト系サービスの出現
 2013年(1)‐MFブックス、ビリギャル、櫻子を当てたKADOKAWA
 2013年(2)‐多様化する女性向けウェブ小説と出版社系サイト/電子小説誌の苦戦
 2014-2015年‐なろう系がラノベになり、ライト文芸にウェブ発が合流する
 2016-2018(1)‐なろうダイジェスト版禁止、成年向けと児童への広がり
 2016-2018(2)‐SFと純文学におけるウェブ小説書籍化の明暗
 2019-2022‐日本式の「ウェブ小説書籍化」は終わらない
で、「おわりに」となる。
 各章の副題と2章に分かつほどの多彩な話題があった年(代)のことなどだけからでも本書の特性は明らかだろう。労作とはこの本のことなり、である。
 当方は基本的にラノベを読まないので、この労作に書いてあることは面白く読めたけれども、ここで紹介されている作品自体はほとんど読んでいないし、多分これからも読むことは(自分の残り時間を考えれば)ないだろう。でもスターツ出版の役割が強調されていて、それは印象に残った。
 なお、本書の副題「日本の文芸の『半分』」に関していえば、それは売上ジェアということで、いわゆる「純」文学の世間や戦前から続く文学的感性は、ウェブ小説を字で書いたマンガだと思っているだろうし、マンガ自体の文学的価値は認めてもマンガ自体は文学ではない(そりゃそうだ)としているだろう。大昔、石川淳は「オレの読者は3000人だ」と云っていた。まあ「純」文学関係の世界はいまもそんなところなんだろうと思う。

 『本の雑誌』大森コラムで紹介された当時は読む気がなかったけれど、気にはなったので読んでみたのが、邵丹(ショウタン)『翻訳を産む文学、文学を産む翻訳 藤本和子、村上春樹、SF小説家と複数の訳者たち』。今年3月刊だったけれど、なんと6月に増刷になっていた。「村上春樹」と「SF小説」のポピュラリティのせいかな。もとは博士論文らしいけれど、リーダビリティに問題は無い。
 日本文学を学ぶきっかけが村上春樹で、翻訳文体へと興味を移し、そのキーパースンを本書のメインボディを占める藤本和子に充てたことには、やはり文学部系論文としてのリアリティを感じるが、ヴォネガットの複数の訳者とSF翻訳勉強会への言及あたりになると、さすがに論文を読んでるというより、一種のオタク系評論としての情報価値を感じてしまう。
 あとがきによると指導教授が沼野充義及び柴田元幸で、沼野さんが巽孝之さんを著者に紹介したとあるので、SF濃度の濃さも当然で、ヴォネガットと翻訳勉強会となれば大森望への言及もある。
 本書の本来の目的は、オビの柴田元幸による惹句「1970年代の後半の日本語に、何が起きたのか」を明らかにすることだったが、読み物としての本書は副題にかかわるさまざまな情報(特に藤本和子がメインだけど)の塊である。いわゆるバタ臭い日本語に対する読み手側の反応が1970年代の10年間に変わったと云われると、その時代に若者で、藤本和子/ブローティガンはともかく、ヴォネガットと村上春樹を読んでいた人間としてはヘンな感じがすることは確かである。むしろあれから半世紀近く経って、中国の若い日本文学研究者がそんなことを博士論文で取り上げる時代が来たことにビックリしたというのが本当の感想か。

 3冊目は、上田信『中国の歴史9 海と帝国 明清時代』昨年3月刊、親本は2005年。シリーズ中でも分厚い1冊。
 前回は大元ウルスということで変わった視点からの中国史だったけれど、今回は明と清で、まあ清の方は満州族ではあるけれど、著者によれば世界帝国として両者を扱い、その対照的な帝国の政策を「海と帝国」でまとめたということらしい。海となれば、明の鄭和、清の鄭成功というのが浮かんでくるけれど。
 プロローグでは中国の飛行場で待合しているときに、台湾から媽祖廟参りに来た一団を見て、彼らに話を聞いたというエピソードがあり、エピローグでまたその話題に戻る。著者は、中国のローカルな海の守り神から国家的に祀られるようになった媽祖の成り立ちを紹介しながら、「海と帝国」というタイトルに掛けた著者のもくろみを説明している。
 本巻も著者の視点の置き方は狭い範囲の中国史ではなく、世界システム(少なくとも東アジアよりはユーラシア)のもとに中国の帝国を見るという風になっている。
 とはいえ一読者としては取りあえず長い明清時代(日本でいえば南北朝・室町から戦国時代そして江戸時代から近代)がどんなものだったか知りたいというのが一番だろう。大昔中公の中国の歴史を読んだような気がするが、忘れている。
 明を打ち樹てた漢民族の朱元璋はどうも海洋貿易を嫌って、昔ながらの朝貢を堅持、経済システムとしても、それまで盛んだった銀流通を嫌い、銅銭を優先したらしい。その銅銭がのちに日本へ入ってくる訳ですな。著者の見立てでは明の歴代皇帝はその後継者選びを含め、どうもうまく帝国システムを経営できなかったようで、いろいろ失敗しているようだ。その失敗がどうやら秀吉が明を征服するという馬鹿げた試みを引き出したともいえそうだ。
 一方の清はヌルハチだのホンタイジだの異民族の頭領が建国に係わる訳だけれど、著者によれば清の皇帝というのは、単に中華帝国の皇帝だというのではなく、モンゴル族のハーンでもあり満州族の頭領でもあり、またチベット仏教のダライ・ラマは16世紀にハーンによって名づけられており、ハーンを継いだ清の皇帝はダライ・ラマの後ろ盾でもあったという。
 清の帝国経営は一時かなりうまく機能して18世紀の康煕帝や雍正帝、乾隆帝の時代には人口が爆発的に増えて明時代の1億から3億になったらしい。この時代を「盛世」と呼ぶとのこと。日本も元禄が終わって文化文政になるまでのわりと大きな事件がなかった時代だなあ。
 まあいろいろ書いてあることに言及する訳にも行かないけれど、「満州」の語源が「文殊菩薩」だったというのが印象的だった。


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