続・サンタロガ・バリア  (第235回)
津田文夫


 ロシアのウクライナ侵攻が終わりません。アメリカ(と兵器会社)の思惑もあるんだろうけれど、ロシアの表はアメリカの裏のような気がするなあ。突然終わったというビックリ要因でも出てくるといいんだけど(それはそれで後が大変な気もする)。

 昨年はエマーソン・レイク&パーマー『タルカス』発売50周年だったけれど、これという企画もなかったなあと思っていたら、榎本玲奈という若手のピアニストが『タルカス&ラプソディー・イン・ブルー』というCDを昨年フォンテックレーベルから出していた。 これは「タルカス」組曲全曲をソロピアノ用に編曲したもの。EL&Pの初期ヒットLPに『展覧会の絵』があるけれど、あれはムソルグスキーのピアノ組曲の原曲をラヴェルが編曲したものが有名だ(昔はストコフスキー編曲版もあった)。その伝で行くとこれはロックの原曲からクラシック・ピアノ版に編曲という対照的な形になっている。「タルカス」が現代クラシック界の一部とは云え、さまざまなアンサンブルに編曲されて、特に21世紀に入ってからオーケストラ、ピアノと打楽器、パーカッション・グループに弦楽四重奏などロック作品としてかなり注目される作品になった。もっとも『レコードコレクターズ』の「70年代ロック名盤200」には『タルカス』は入ってないが。
 ここにきてピアノ編曲全曲版CDが出てきて嬉しい驚きだ。ピアノ編曲版はYouTubeで10年くらい前にイタリア系のヒトがアップしているけれど、CDで聴けるのが嬉しい。もちろん榎本の演奏もYouTubeにある。
 ライナーノートで本人が書いているように、榎本はクラシックピアニストとして育てられたので、ELPを全く知らず、数多くのピアノ曲を作曲している吉松隆のオーケストラ編曲を聞いて原曲に遡った口だ。それでも元となったELPのスタジオ盤「タルカス」をかなり忠実にソロピアノ用に移し替えたお陰で、ギミック的な音響が省かれて、ライナーノートの解説者も云うように、曲としての「タルカス」のスケルトンが透けて見えるようになった。原曲1曲目「噴火」のドラの一打を榎本は肘打ちで表現しているのだけれど、これが結構効果的なのだった。また2曲目の「ストーンズ・オブ・イヤーズ」では、レイクの歌もトレースしているが、長い間奏からヴォーカルパートに戻るヴァースにガーシュインの「サマータイム」をチラリと入れていて、榎本自身のガーシュイン好きとエマーソンがソロ・アルバムでジャズ・トリオで演奏していることを思い起こさせる遊びになっている。スケルトンが透けて見えるという点では、エマーソンがレイク作曲のヴォーカルナンバー「戦場」を組曲の中にはめ込むために、伴奏や間奏(メロディー自体はレイクのエレキギターをピアノでなぞっているが)に、次の「アクアタルカス」のフレーズを呼び込んでいることがよく分かる編曲になっている。榎本は『タルカス』から他に2曲、特に「アー・ユー・レディ・エディ」を取り上げているのが嬉しい。あの狂騒的な曲がスケルトンになっている。おまけに「ラプソディー・イン・ブルー」のテーマを一瞬混ぜ込んで笑わせる。
 ヴォリュームを上げて聞いても、ELPの原曲のように近所迷惑な程でもなく、ピアノの鳴りがよく聞こえて面白い。それにしても、パク・キュヒのデビュー版でも思ったけれど、フォンテックはジャケットデザインのツメが甘いような気がする。

 映画は『シン・ウルトラマン』を見てみた。確かに『シン・ゴジラ』同様の設定が感じられるけれど、そこはオリジナルがテレビ・シリーズということもあって、構成としては総集編的な造りが強かった。いろいろ工夫されていて面白いと思うのとは別に、子供の頃に見たテレビ画面を模した冒頭部分で泣ける。

 久しぶりに紀伊國屋をのぞいたら、アイザック・アシモフ『はだかの太陽〔新訳版〕』が目に入ったので、買って帰って読んでみた。奥付は2015年5月初刷のままでヤスリがけがしてある。
 前作の地球で起きたスペーサー(地球外居住者)殺人事件を解決した実績を見込まれて、スペーサーの金持ち惑星ソラリアで起きた殺人事件の捜査に借り出されたベイリは、上司の説得に従い不満たらたらソラリアへ、そこにはあの前作で相棒となったロボットのR・ダニール・オリヴォーが同行することになっていた・・・。というわけで、あいかわらずボケ倒したような頑固一徹の中年刑事ベイリの活躍が、惑星ソラリアの直接接触を避けるスペーサーの非協力的な文化(なんてタイムリーな)に振り回されながら、なんと今回は殆どダニール抜きで、真相に迫ってしまうと云う話になっている。途中まで振り回されてばかりのベイリが、最後には京極堂みたいに事件のナゾを解いて果ては地球政府の身の振り方まで予言するのには笑ってしまうが、そこに若きアシモフの希望が込められているのは間違いないところだろう。
 前世紀半ばに書かれたアシモフの長編は確かに古いが、直接接触恐怖症の金持ち人間ばかりが暮らす惑星ソラリスはまるで今の世界の映し鏡だ。
 次は『永遠の終り』かなあ。

 買ってすぐに読み始めて読み終わったせいか、前回取り上げるのを忘れていたのが、マーサ・ウェルズ『マーダーボット・ダイアリー 逃亡テレメトリー』。すぐに読み終わったのは、長い中編とスピンオフの短編2編しか入っていない薄い1冊だったから。
 今回「弊機」は、宇宙ステーション国家みたいなところに保護者のお付きで入った途端死体に遭遇、ステーションでは稀な他殺かもということで、やっぱり心ならずも現地組織の警備メンバーに混じって事件解決に活躍というオハナシ。相変わらずのリーダビリティでサクサク読める。奥さんも読んで、息子に勧めたらしく、息子曰く「SFちゃう、人情小話じゃん」との感想であった。まあ、もはや設定の目新しさはないわけで、初お目見え時の印象の良さが未だに面白さを保証しているというところかな。

 あまりに王道な作品選択になかなか読めなかったのが、昨年11月に創元SF文庫から出た福井健太編『SFマンガ傑作選』。収録作は40年以上前の就職前までに読んで印象に残ったものが9割を占める。1編読んでは、しばらく放っておき、また気が向いたら読んでみるということを繰り返して、ようやく読了。どの作品もディテールは忘れているので、改めて読んで、ああこうだったよなと思い起こすのは良いことなのかやや疑問、収録作品の素晴らしさは文句なしだけど。ちょっと前にちくま文庫で出た恩田陸編の少女漫画アンソロジーがあったけれど、あれも世代的に王道な作品選択で嬉しいというか何というか微妙な気分だったなあ。マンガを読むのに活字を読むよりエネルギーが必要になるとはねえ。さて若い人はわざわざ買って読んでくれるのでしょうか。

 竹書房文庫の「日本SF傑作シリーズ」と冠した日下三蔵編集の短編集シリーズは、今回、草上仁『大人になる時』だった(草上仁の短編集としては同シリーズ2冊目)。編者によるとこれまで単行本未収録作が10編と書き下ろし新作が2編ということだが、草上仁の新作執筆ペースは新作だけで1冊出来てしまうくらい速いらしい。まあサラリーマン生活が終わったと云うこともあるのでしょうが、スゴいなあ。
 今回収録の過去作は、いわゆる草上仁の作品の感触から一寸ずれたものが多い印象がある。
 オリンピックの短距離走をロボットが走り、八百長問題を解決する冒頭の「スタートピストル」はともかく、スペアのボディへ転生できることを前提に死のスリルを味わう「スカイダイブ」の後味はちょっと異質だ。
 「顔」は顔を認識されなくなった男の悲劇で、まるで小田雅久仁『残月記』の冒頭作を思い起こさせる1作。
 表題作「大人になる時」は通常の言外の意味がずれた形で家族が変貌した男の恐怖劇で、「顔」と似てなくもない。
 「犬のプレゼント」もタイトルの一般的な意味をずらしたストレートなホラーで草上仁作品のイメージからするとやや意外。
 「妻の味」は会話ができない妻が料理で喜怒哀楽を伝える設定だが、結末の作り方が不気味な1作。
 こう並べてみると負の感情を描いた作品が多いことが草上仁の作品集の印象としては変わった感じをもたらしているのだろう。
 集中一番長い書き下ろしの「バディ」は、植物とその受粉を助ける動物の関係を手本にしたと思われる異星生物たちの捜し物道中もの。これは草上仁らしいSFだった。

 二見ホラー×ミステリ文庫から出た柴田勝家『スーサイドホーム』は、典型的なホラーっぽいタイトルと冒頭のエピソードの「三隣亡」呪いの物語から判断してしまうと、ちょっと話の持って行き方がわからない方向へ進む1作。しかしそこは柴田勝家で、呪術ホラーはそこのけに、いつのまにか百合っぽいヒロインの多幸感あふれる結末が待っている。いいんじゃないでしょうか。

 レム・コレクション第9回配本、スタニスワフ・レム『マゼラン雲』は名のみ聞かれた幻の有名作を訳したもの。作者本人が翻訳まかりならんとしてたんだから、幻なのは当然だったわけだけれど、本人はもう居ないし、著作権継承者がOKを出したと云うことで、遂に日本語で読めることになった。しかし作者本人が読んでもらいたくないというものをわざわざ読むのはどうかいなという感じは残る。
 上下2段組で450ページというレムの作品では、泰平ヨンものの長編と並んで長めの作品だけれど、泰平ヨンもののような仕掛けだらけの語りではなく、非常にストレートかつ真面目な叙述のせいか、かえって読むのに結構時間がかかった。
 すでに『ソラリス』や『インヴィンシブル』の高みと、泰平ヨンものやピルクス・シリーズの多面的な思考実験を経験した後では、終章「マゼラン雲」まで読み終えて、こんな話だったのかという感想が第一に来る当然で、そこここにレムらしさ感じられはするものの、現在では非常にスタティックな印象を受ける作品に見えるのは仕方ないだろう。
 物語は、冒頭に語り手が医者として成長するまでのエピソードが置かれているものの、大半が32世紀にアルファ・ケンタウリを目ざす人類最初の恒星間宇宙船の中で進行するうえ、最後の最後でケンタウルス星系に到着したあとのエピソードが語られる。普通のSFならアルファ・ケンタウリ第2惑星でのファースト・コンタクトがクライマックスだろうに、なぜ終章の「マゼラン雲」があんな内容で本書のタイトルなのか、ピンとこないところがある。改めて巻頭に戻れば、語り手は地球への帰途に就いたと語っており、人間は星々の炎が消えても生き残るのだ、などとレムらしくもない宣言を幕開きにしているのをみれば、レムの恥ずかしさも納得出来る気がする。
 この作品から10年足らずのうちに『ソラリス』や『インヴィンシブル』を書けたレムに驚くべきなんだろうな。

 読む気は無かったのだけれど、なぜか読んでしまったのが、デニス・E・テイラー『われらはレギオン4 脅威のシリンダー世界』上・下。
 今回の主な舞台は、ニーヴンのリングワールドを3廻り分増やしたような巨大世界(トポポリス)。それがある星系で行方不明となったボブたちのひとりであるベンダーをボブたち(今回はボブではない女性がいる)がチームを組んで救出しにゆく冒険譚がメインで、これにボブの宇宙(ボビヴァース)で複製世代が増殖する(この巻では1万人)ことで遠い世代のクローンに少しずつ初期の電脳ボブたちとの違いが生じて、ついには反乱を起こすまでになった事件がサブストーリー。恐怖の「アザーズ」は出てこない。
 主な舞台となるシリンダー世界には大きな川が何本かあり、カワウソそっくりな生物(クインラン人と名づけられた)が住んでいて、調査の結果カワウソ異星人は社会を形成していることが判ったのでボブたちはその生物のそっくりロボット(マニー)に入って、クインラン人に混じって行方不明のボブの捜査を進めるという一大トラヴェローグを展開する。もっともマニーが静止状態のときは電脳世界に戻ってコーヒーを飲んでたり(その間に反乱話も進行したり)する。
 カワウソ世界での冒険譚の章は長めだけれど、それ以外はほぼ数ページで場面転換なので、リーダビリティは高いし、それなりに読める。当方はトレッキーでもなく、80年代以降の海外SFドラマもほぼ見ていないので、ここで頻出するオタク・ギャグにはウケようがないにもかかわらず、ある意味ありふれた退屈な物語がイヤにならないのは、その開けっぴろげな作風が憎めないからだろうな。この作者はカードやスコルジーに較べたら危険度が少ない気がする。第5作は・・・多分読まないだろう。

 シリーズ何冊目になるんだっけと思いつつ読んだのが、神林長平『アグレッサーズ 戦闘妖精・雪風』。でも、読むとやっぱり面白い。
 これまで通り深井零大尉とその相棒桂城少尉そしてブッカー少佐以下レギュラーメンバーが揃って出てくるが、まずは雪風と無人機レイフを相手にジャム側に寝返ったロンバード大佐が量子の重ね合わせ状態の戦闘機で脱出したエピソードから雪風とレイフで仮想ジャム部隊「アグレッサーズ」の編成が語られた後、後半で新キャラの日本空軍狂気の天才女性パイロット田村伊歩大尉が登場する。搭乗機は「飛燕」。元は旧日本陸軍3式戦闘機の名前だけどベタですね。
 後半は雪風・飛燕がアグレッサーズとして日本海軍航空部隊との演習を行う話と、重ね合わせ状態のジャム/ロンバート大佐との本来の戦いが同時進行するという離れ業を見せている。やっぱり空中戦は萌えますね。
 次回はすでに地球に入り込んだというジャムと雪風が対決する話かな。そういえば著者と猫が出てくるNHKの番組を見ました。

 竹田人造『AI法廷のハッカー弁護士』はハヤカワSFコンテスト大賞受賞作『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』に次ぐデビュー2作目。
 こちらもタイトル通りの法廷もの、主な舞台が弁護士事務所と法廷と調査先しかない。しかしそこはこの作者のノンストップ・エンターテインメント力にものを云わせて、ぐいぐい読ませる。何より主人公の「不敗弁護士」機島雄弁のキャラ立ちが良い。曰く「この私、機島雄弁は・・・AI裁判官時代を生きる絶対勝訴のシステムだ」。しみったれ顧客から助手になる青年や、やはり弁護する羽目になる腐れ縁のスーパーSEの女、敵として登場する検事になった同級生らサブキャラもよくできている。とくに助手になった青年は前作の主人公とよく似た性格の持ち主と云えよう。
 あっという間に読み終えて、ああ面白かったというところまでは、ほぼ文句なし。ただし、面白さを反芻し始めると、作者のエンターテイナーとしては資質は抜群だけれど、作品自体の性格は前作と大きく変ってがないような気もしてくる。まあ面白いんだから余分な心配とはいえるかな。
 ところでデビュー作のタイトルもそうだけど、このタイトルもちょっと地味に思える。「機島雄弁」と「不敗弁護士」がオビにあるんだから、タイトルにも入れたら良さそうなんだけど。

 初めて読む作家だし、タイトルからは地味そうな話が予想されたデイヴィッド・ウェリントン『最後の宇宙飛行士』は、予想と大違いのホラーハウス版『宇宙のランデヴー』だった(これはネタバレというものだけど、それを禁じるとこの手の作品はSFホラーというサブジャンルに分類できない)。
 冒頭の人類初の火星有人探査船の女性船長が、火星に向かう途中の事故でメンバーを失い、人命救助及び任務の失敗を責められて宇宙業界から追放されるエピソードからして、コワルのレディ・アストロノートのネガティヴ版を思わせるが、これをNASAの凋落に重ねる話とともに、ちょっと説得力に欠けるエピソードに見える。
 今頃のアメリカSFらしく、民間宇宙開発企業の研究者がオウムアムアの巨大化した第2弾「21」の異常な動きを発見してNASAに鞍替えするところからからが本編といえるが、最先端技術を持つ民間会社が凋落して新規の宇宙船が作れないNASAよりも先に着いてしまうというのが面白い。
 しかし面白いのはそれだけで、乗組員たちが巨大シリンダー型小惑星を異星人の宇宙船と確信してその中に入ってからのトラヴェローグは、いわゆる闇の超巨大ホラーハウスめぐりが延々と続く。ショッカーとしての『エイリアン』パロディや、特に主人公格の女性パイロット(再起した)の偏執的な行動をはじめ、登場人物全員が典型的なホラー映画タイプのキャラばかり、結局最後まで物語はホラーのマナーで進行する。あとで著者紹介を読んだらホラ-作家だった。
 当方はホラーに関心が無い(『エイリアン』は好きだけど)ので、SFとしては非常にもったいないというか、『宇宙のランデヴー』の中を闇にして光の届く範囲はおぞましいものばかりという風景は、パロディとしてはともかくSF精神に反しているというか。まあ、ああ怖かったと思わせてくれるだけでエンターテインメントとしては充分なんだけれど、でもイヤなんだよなあ。

 再び寄った紀伊國屋で目に付いたのが、「逢坂冬馬サイン入り」とメモが書いてあった日本SF作家クラブ編『2084年のSF』。平台の山の一番上に乗っていたし、それだけがラップしてあったので、逢坂冬馬ってSF作家なのか、と思いつつ手に取りレジに進んだ次第。開けてみたら内扉に「Aisaka T」とマジックで書いてあった・・・。
 読了して思ったのは、『ポストコロナのSF』ほど焦点が定まって居らず、かなりテーマ的にも完成度にもバラツキがあったかな、ということ。作品の長さだけは或程度一定していたけど(そりゃ注文通りだから当たり前だ)。
 収録作家は、福田和代、青木和、三方行成、逢坂冬馬、久永実木彦、空木春宵、門田充宏、麦原遼、竹田人造、安野貴博、櫻木みわ、揚羽ハナ、池澤春菜、粕谷知世、十三不塔、坂永雄一、斜線堂有紀、高野史緖、吉田親司、人間六度、草野原々、春暮康一、倉田タカシ、以上23人に会長の池澤春菜の前書きと巻末に事務局長榎木洋子の「SF大賞の夜」というエッセイが付く。男女半々、数名を除けば会長を含めほぼ新人で埋められている。またテーマ的なバラツキがあるということで、3,4編を括っていわゆるSFのテーマ(「VR」とか「宇宙」とか)別に分けている(テーマで注文したとは思えないが)。
 冒頭の福田和代「タイスケヒトリソラノナカ」は、VR空間に入り浸っていた病室の患者が消え、80歳の刑事が捜査するというもの。SF的飛躍は少ないが着実であり、本来のテーマも強く打ち出されている。
 超久しぶりの青木和「Alisa」は総合的なAIアシスタントネットワークの名前がタイトルで、その開発者が蒙る悲劇を描く。ほぼストレートな短篇。
 集中一番笑ったのが、三方行成「自分の墓で泣いてください」。冒頭の舞台説明が「墓所が立ち並び、無限に葬儀が執り行われている仮葬空間の一画」(なんじゃそりゃ)。そこでバンシーが泣いてると突然何もない空間に黒装束のニンジャが現れ手裏剣を投げ始めた・・・。さすが三方行成、有無を云わせぬムチャブリだ。
 4番目がこの本にサインをした逢坂冬馬「目覚めよ、眠れ」。6300回目の夢の中で語り手が校舎から飛び降り自殺しようとするところ始まる、無睡眠活動が技術的に実現された世界で不適合を宣告された少年の話。ちゃんと人類を滅ぼしてみせる。
 うーん、あと18作もある。
 久永実木彦「男性撤廃」は男性を総て冷凍保存して女性だけの平和な世界が実現(?)した社会で、たまたま事故で目覚めてしまった男性を女性視点で観察して女だけの世界に少し疑問が湧く話。この作者らしい落ち着いた叙述。
 空木春宵「R_R_」は「拍動(ビート)音楽」が禁止された世界で、たとえそれで世界を失うことになっても彼女の為にビートを取り戻そうとする女の話。ルビの多用で「二重思考」が描かれる。参考資料にデヴィッド・ボウイがすらっと並んでいるのが壮観。
 門田充宏「情動の棺」は、子育てが親から国家の手に移って、感情コントロールが徹底的に行われている社会で育ての親である「養保(ちち)」が目の前で自殺するのを見た少女の話。暗い。
 麦原遼「カーテン」は、冷凍睡眠実験の事故で32年のちに目覚め、障害を負ったもののうち、ある研究者が数人の同僚と同じく数学的な感覚を失ったことによるその後の人生を語ったもの。円城塔を思わせるが、タイトルの付け方を含めこちらの方が柔らかい。
 竹田人造「見守りカメラ is watching you」は、老人が妄想の中で施設から脱出しようとする模様を描いたスラップスティック。もちろんタイトル通りのサタイアで面白い。
 安野貴博「フリーフォール」は、高所から落下中でもうすぐ地面たたきつけられるという瞬間に、超高速演算意識内であれこれ考え対話して最後の決断を迎える話。SF短篇のお手本的1編。
 櫻木みわ「春、マザーレイクで」は、関西人なら琵琶湖の話だと想像するだろうけれど、これは外の世界と交渉がなくなった2084年の琵琶湖にあるという自給自足の島の話。
主人公は図書館で『1984年』を読むし、引用もされるけど、希望へつながる1作だ。
 揚羽ハナ「The Plastic World」は、プラスティックを食べる細菌が暴走して不便な世界が到来するが、そこからプラスティックに頼らずに生活を取り戻すゆったりした物語。昔、プラスティックを食べる細菌が出てくるパニックSFがあったよねえ。
 池澤春菜「祖母の揺籠」は、太平洋に浮かぶ直径50メートルのひっくり返ったクラゲのような「わたし」が語り手。孫は30万人もいるという。環境悪化で地上から海へと生活圏を移したあとの人類のお話。なんとなく50年代SFを思い起こさせる設定の1作。
 粕谷知世「黄金のさくらんぼ」は、吹雪のため列車が来ないので、語り手が時間つぶしに最寄りの光学器械博物館という名の私設博物館に入ったら、老人に案内され、昔流行ったという金色でサクランボくらいの大きさの映像記録器を見せられる・・・。記録された故人の映像が残された者の人生となる叙情的な作品。
 十三不塔「至聖所」は、若くして亡くなったスーパーアイドルの脳スキャンニングデータを修復する過程で生じた異常事態の話。ホラーっぽいがホラーではないようだ。
 坂永雄一「移動博物館の幽霊たち」は、エピグラムに『1984年』とブラッドベリ「時の子ら」が引用されているけれど、雰囲気はブラッドベリで、電脳時代のブラッドベリに商業的ディストピアを掛け合わせたような感触がある。
 あと7編か。
 斜線堂有紀「BTTF葬送」は、名作映画の「名作」には限りが有るので、過去の「名作」を消滅させない限り新しい「名作」映画は生まれない、というバカ設定な1作。でもこれって昔読んだブラナーの「魂」が足りなくなったので・・・という話と似てるような気がする。
 高野史緖「未来への言葉」は月と地球を往復する運び屋が受け渡しのタイムリミットを課せられて奮闘する話。こんなストレートにいい話を書くんだっけ。
 吉田親司「上弦の中獄」は解説をそのまま引用すれば「中国が地球を統一した世界を描く改変歴史SF」で舞台は月にある「天成都」。中国語風な凝り方はスゴイがサタイアとしては鼻じらむところがある。
 人間六度「星の恋バナ」は、BBと呼ばれる宇宙からやってくる怪獣を打ち倒す全高26キロの巨大アンドロイド、その正体は身長175センチの女子高生を特殊装置で拡大投影したものだった、という設定。・・・まあ良いですけど。
 草野原々「かえるのからだのかたち(3つの名詞に強調点付)は生物学的ハードSFとは云えるが、火星植民地が全滅したあとに細胞機械(セルマシーン)/ゼノボットがたちあがるまではいいとして、なんでカエルなのか、タイトルを思いついちゃったってことかしらん。
 春暮康一「混沌を掻き回す」は火星と金星のテラフォーミングの選択を人類が2手に分かれて争う時代に、国生み神話を取り混ぜて、火星のテラフォーミング開始に立ち会う火星着陸船の男女カップルの話。スケールが大きい上に昔風の裏切りアクションで面白い。
 トリは倉田タカシ「火星のザッカーパーク」って、なんか昔の短篇のタイトルをいくつか思い出しますね。話の方は紹介しようもないが、なんでアルチンボルドの顔のヤツが火星に多いのか。
 ああ、疲れた。

 ノンフィクションは、現役時代なら昨年7月の刊行後すぐに読んだと思うが、今頃になって読んだのが堀川恵子『暁の宇品 陸軍船舶司令官たちのヒロシマ』、大佛次郎賞受賞作。タイトルは広島市宇品にあった陸軍船舶司令部が「暁部隊」と呼ばれていたことから。 広島で近代史に関係している人たちはタイトルをみただけで、大まかな内容は見当が付くだろう。それでも大佛次郎賞を受賞したのは、これまで知られていなかった「暁部隊」の2人の司令官(一人は草創期からの、もう一人は原爆投下時の)が残した日記や資料類を読み解いて、原爆投下当日から救助活動を始めることが出来た「暁部隊」の成り立ちから解散までを克明に描ききってあるからだ。
 細かい内容について、もはや紹介するまでもないが、作品の冒頭、この作者が頼りにしている陸軍史の専門家として市ヶ谷にある防衛研究所のOB原剛さん(取材当時81歳)が出てくる。原剛さんには、もう20年くらい前だけど、当方が現役時代に師匠に連れられて何度かお目にかかったことがある。その頃防衛研究所は目黒にあり、JR恵比寿駅で降りて長くゆったりした坂路を歩いた。まだ現役の所員だった原さんには、いつもニコニコとしてビックリするくらい大きな声で当方の疑問に答えていただいていたのを思い出す。

 ノンフィクション2冊目は大分前に読み終わった杉山正明『中国の歴史8 疾駆する草原の征服者 遼 西夏 金 元』。昨年2月の刊で親本は2005年。これは前巻の続きだけれど、サブタイトルが示すように、元以外は中華を侵略した側(要は中国大陸全体を支配しなかったものたち)の話である。
 この巻は、中国史と言いながら、いきなり1万年のユーラシア史から始まり、唐王朝=世界帝国説を批判、初期はともかく後半は東突厥、ウイグルに保護される形になったとか、前巻であれだけ弱くても文化国家としてはその後の日本文化への影響が大きいと持ち上げられた北宋・南宋などはいつもオロオロしていた弱体国家で、この巻の前半の主役「キタイ(契丹)国」は北宋に対して兄貴分として存在していたとか、オモシロイ視点で語られる。まあ、ページ数の関係で、「元/大元ウルス」の話が短い恨みがあるけれど。
 あと、この著者の書き癖として「・・・といわざるをえない」を多用していて、当方が現役時代お世話になった近世専門の教授がいつも解説文で「・・・といわざるをえない」を使っておられたので懐かしかった。あの時代の論文スタイルなのかも知れないな。


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