内 輪   第377回

大野万紀


SFファン交流会「2021年SF回顧「国内編」&「コミック編」+『SFマンガ傑作選』」

 1月のSFファン交流会は1月22日(土)に、「2021年SF回顧「国内編」&「コミック編」+『SFマンガ傑作選』」と題して開催されました。出演は、森下一仁さん(SF作家、SF評論家)、香月祥宏さん(レビュアー)、福井健太さん(書評家)、日下三蔵さん(アンソロジスト)、林哲矢さん(SFレビュアー)。
 写真はzoomの画面ですが、左上から反時計回りに、森下さん、日下さん、SFファン交流会のみいめさん、福井さん、香月さん、林さんです。日下さんの背景がすっきりしているのでびっくり。本の雑誌に連載されていますが、蔵書の片づけプロジェクト進行中とか。
 なお今回の資料はSFファン交流会のサイトからダウンロードできます。
 まずは2021年国内SFの回顧。
 2021年の国内SFは森下さんの総括によると「コロナの2年目にもかかわらず東京オリンピックが開かれるというSFのような1年だった。コロナの状況を反映するアンソロジー『ポストコロナのSF』が出たがSFと現実の対応が素早く、SFの即応性、自由さが生きた。また〈SFプロトタイピング〉という言葉もあり現実と想像力の交流が面白かった」とのこと。
 アンソロジー以外で特に印象に残った作品として、高野史緒『混ぜるな危険』小田雅久仁『残月記』が言及されていました。また三島浩司『クレインファクトリー』が非常に凝った作りの作品で面白かったとも。
 香月さんからは樋口恭介編『異常論文』の話。雑誌掲載よりも本の形になると圧がすごく、こんな文章を書く人はどんな人なのとキャラクター的に面白いと思うようになる。各作家の短篇集に入っているよりもこの塊になっている方がすごい。一人一人より全員が変なことを言っている、と。他にも色々な作品について語られていましたが、サイトにあるリストを参照してください。
 後半は福井さん中心にコミック編。こちらも大いに盛り上がりましたが、ぼくの知らない作品が多くて、どれも面白そうだけどよくわかりません。収穫としてあげられていたものとしては、辻次夕日郎『スノウボールアース』有馬慎太郎『地球から来たエイリアン』山本和音『夏を知らない子供たち』、それに水上悟志『最果てのソルテ』が林さんから「ファンタジーだけどひょっとしたらSFかも知れない」とお勧めされていました。
 ぼくが知っている作品としては葦原大介 『ワールドトリガー』松本直也 『怪獣8号』の名前も。また日下さんからBoichi 『BoichiオリジナルSF短編集』はSFファンならぜひ読むべきと勧められ、Boichiは前から好きだったのでさっそくポチりました。確かにこれは懐かしいSFの傑作でした。
 その後、福井さん編集で創元から出た『SFマンガ傑作選』の裏話。どのように作品を選択し、惜しくも入れられなかった作品は何か、なぜ70年代中心になったかなどのとても濃い話題が続き、さらにみいめさんも参戦して当時の少女マンガにおけるSFの話など非常に熱い展開となりましたが、とても追い切れないので省略。誰か文字起こししてくれないかな。
 今回もとても熱く楽しい例会でした。2月の例会は2月19日(土)で、年間回顧企画 海外編・メディア編」とのこと。興味のある方は参加してみてはどうでしょうか。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『残月記』 小田雅久仁 双葉社

 本屋大賞にもノミネートされ傑作と評判の高い中編集である。2編の中編と1編の長編に近い中編が収録されている。

「そして月がふりかえる」 最初の中編だが、これだけでも心に残る傑作だ。異世界転生ならぬ現世転生か。あるとき月が裏側を見せるようになり、大学教授で幸せな家庭を持つ男が突然もう一つの現実へと転生する。というか男から見たら自分はそのままで世界が変わったのだ。男が転生したのは自分がそうであったかも知れない、しがないタクシー運転手。肉体はその記憶を持っているようだが自分の意識には全く彼の記憶はない。そして自分は妻や子供たちから他人として認識される。こちらの世界には自分と良く似ているが別人の男がおり、大学教授なのは彼で、家族はその彼の家族なのだ。
 ここで自意識を保証するものは記憶だという小林泰三と同じモチーフが描かれる。そのため主人公の記憶する人生は詳細でリアルに生き生きと描写されており、とても読み応えがある。この世界の妻が記憶しているものも主人公と同じ記憶なのだが、それでも男は妻から(そして自分以外から)見れば全くの別人なのだ。この戸惑い、孤独、恐怖感。
 家族が事故などで突然失われるということは現実でもあることだろう。だがこのありさまはそれとは違い、自分が世界から拒絶されるのだ。もしそれが自分だったらどうだろうかと思わせる。
 結末でこれが男の個人の心の問題などではなく、確かにもう一つの現実世界に意識だけが紛れ込んでしまったのだという証拠が示される。彼は孤独ではなくなったのだ。かくして本作はSFとなる。恒川光太郎ならここから別世界の冒険を描くかも知れないが、ぜひ作者にも転生者たちの物語の続きを書いて欲しい。ここから始まる長編を読んでみたい。でもこれで完結しているから書く必要はないんだろうな。

「月景石」 こちらも現代の日常から始まる。主人公は30代の女性で、マンションで男と同棲している。そのマンションで彼女は影の薄い中学生くらいの少女と出会う。隣の部屋に母親と二人の幼い弟と住んでいるようだが、あまり幸せそうには見えない。主人公には亡くなった叔母がおり、彼女が集めていた石のひとつ、月景石と名付けた月面の風景のような模様が見える石を形見として持っていた。月面のようなところに大樹がそびえ、空には地球と思われる青い星が浮かんでいる、そんな風に見える模様だ。主人公はふと少女が叔母によく似ていると思いつく。月景石を枕に敷いて寝ると悪夢を見ると言われていたが、主人公が実際にやってみると確かに月世界の夢を見ることができた。
 月世界での彼女はイシダキと呼ばれる人々で、それぞれの胸には魄石(はくせき)が埋まっているのだ。今そんなイシダキたちは兵士に連行され、首都にある巨大な大月桂樹の下へ集められている。大月桂樹が枯れようとしており、それに力を与えるのにイシダキたちが必要とされているのだ。夢の中の主人公も、どこからともなくやってきたあの少女といっしょに、そこへ連れて行かれる。そして……。
 目が覚めるといつもの現実である。だがそこには微妙で決定的な違いがあった。こうして夢見るたびに、主人公の現実が変わっていく。夢の世界に侵食されていくのである。いかにも異世界ファンタジーっぽい月の世界と、あまりにもリアルなこちらの現実が次第に重なり合い、そしてついには……。こんな水と油のような二つの世界をまるで違和感なく結びつける作者の筆力には驚かされる。この物語で重要な要素となっているのは匂いの感覚である。それは身近なものだが、二つの世界を結ぶキーともなっているのだ。結末の荘厳で美しいイメージはまさにSFの、未知なる世界の幕開けである。

「残月記」 表題作。多くの評者が絶賛する傑作である。舞台は一党独裁の全体主義国家となった近未来の日本。西日本大震災という大きな災害があり、月昂(げっこう)症という致死率の高い感染症が蔓延している。月昂症に感染するとちょうど狼男のように、満月の夜には生命力がみなぎって暴力的になり、逆に新月には精神的にも肉体的にも弱体化して死に至る場合もある。月昂症に感染した者はみな強制的に収容所送りとなり、そこで短い一生を終えるのだ。
 主人公の冬牙(とうが)は幼いころに母親を月昂症で亡くし養護施設で育った。進学した高校では剣道部で活躍し、卒業してからは木工所に勤めて親方にその木彫りの腕を認められた寡黙でマッチョな青年だったが、あるとき自身も月昂症を発症し、収容所送りとなる。だが彼は、その体格と秀でた体力のゆえに、特別に剣闘士となることを持ちかけられ、闘士の養成所に入ることになる。
 21世紀の日本で、まるでローマ時代のような命がけの剣闘士の試合が秘密裏に行われているのだ。それは絶対的な独裁者である下條拓の個人的な趣味から、党員たちだけが観客となる一般には秘密の競技場で、月昂症感染者の剣闘士たちが戦う悪趣味な見世物である。剣闘士は試合に勝てば勲婦(くんぷ)と呼ばれる女を指名して抱くことができる。勲婦もまた月昂症者だ。初めて勝利した冬牙(ファイトネームは残月)が選んだのは、感染して捕まったとき同じ一時保護施設にいたルカという娘だった。
 物語は冬牙の生い立ち、独裁国家日本の日常、月昂症の症状、剣闘士の試合の迫力満点なスペクタクル、そして冬牙とルカの互いの愛情をイメージ豊かに、ひたすらリアルに描いていく。ある意味ありふれたディストピアもののような話が、こんなにも読み応えのある、情感とリアリティ溢れる物語になるものなのか。そして中盤、突然その物語が大きく動き、同時にまるで夢の世界のように不思議で幻想的な月世界の情景が割り込んでくる。そこにも異世界のリアルがある。そしてこちらの現実と異世界の豊かなイメージが重なり合い、静かな感動を呼ぶ結末へとなだれ込んでいくのだ。結末の言葉を読み終わったとき、心に残るものはとても大きい。そう、これは冬牙とルカの、大きな心をもつ二人の、圧倒的なラブストーリーだったのだ。

『円 劉慈欣短篇集』 劉慈欣 早川書房

 作者による自選短篇集。日本人読者向けに選んだということだ。1999年のデビュー作から2014年の星雲賞受賞作まで13編が収録されている。うち4編は本邦初訳。

「鯨歌」 1999年発表の記念すべきデビュー作。コントロールできる鯨を使って麻薬の密輸をするというショートショートだが、軽いアイデアストーリーとして面白く読める。ただ作者が鯨をシロナガスクジラとしたのはマッコウクジラか何かの間違いではないだろうか。シロナガスクジラはヒゲクジラなので歯がなく、オキアミを食べるというのは捕鯨国日本の(少なくとも昔の)子供たちには常識なのだが。

「地火」 これも同じころの作品なのにこちらは一転して重くリアルな作品だ。新技術で石炭の地下ガス化を行い、炭鉱労働者を苦しい生活から解放しようとする技術者が、あせりと野心から有識者の反対を顧みず現地での実証実験に突き進んだ結果、悲劇が起こる。それが実際にあったことのようにリアルに描かれている。だが主人公は決して悪人ではなく、炭鉱労働者だった父の遺志を継いで故郷の皆を幸せにしようと思っていたのだ。かつて父の下で働いていた炭鉱の局長や、主人公の中学時代の友人であるこの炭鉱の技師、ウイグル人の炭鉱火災の専門家など、一人一人の人物像もしっかりと描かれている。未来には希望があるので単純な科学技術批判ではない。逆に現場の実情や科学的な手順を無視してすぐに結果を求めようとするやり方を批判しているのだ。確かに読み応えのある傑作である。

「郷村教師」 ここでは貧しく無知で、因習と差別の残る保守的で過酷な山村の現実が描かれる。そんな中で教師を務める主人公は未来を支える子供たちに少しでも知識を伝えようと、資材を投げ打ち血のにじむような努力をしている。そんな彼は癌を患い、ボロボロの教室で彼の身を気遣う子供たちを前に最後の授業をするのだが……。そんな心を打つ物語に、突如銀河系の二大勢力による星間戦争の物語が割り込む。このとんでもないギャップ感。確かに過去のSFにも見られるシチュエーションだが、この振れ幅の大きさが、これぞ『三体』作者のSFだといえる。果たして地球の運命は、となるのだが、いやちょっと待って、そこ笑うところなの? 知識の大切さ、教育という行為の重要さを訴えるところではあるが、教育の意味って地球の運命を決めるそこではなく、むしろこのささやかなラストシーンにこそあるのだろう。確かに印象的な作品だ。

「繊維」 並行宇宙を扱ったコミカルなショートショート。それぞれの並行宇宙は繊維(ファイバー)と呼ばれ、それぞれ近くにある並行宇宙から乗り換えステーションなる場所(?)へ人々が紛れ込んでくる。 アメリカ人の戦闘機パイロットもその一人。ステーションの登録人はちゃんと登録が済んだら元の世界へ返してくれるという。集まった人々は普通の人間のようだが、意外なところで住んでいる世界の違いがわかる。空の色とか月の有無とか。そんな会話の奇天烈さが面白い。不条理会話小説といったところか。

「メッセンジャー」 これも短いが心温まるしっとりした話。冷戦下、人類の未来に不安を抱きながら趣味のヴァイオリンを弾く年老いた物理学者が主人公。ふと家の外でいつもそのヴァイオリンを聞いている若者がいることに気づく。若者には驚くべき予知能力があった。この老物理学者が誰で、若者がどうして予知能力をもつのか、それはすぐに想像がつくことだ。それでも「人類には未来がある」という心強いメッセージは現代の世界にも必要となる希望を与えてくれる。

「カオスの蝶」 これはシリアスな話だ。バタフライエフェクトがテーマだが、背景にあるのは1999年のNATO軍のベオグラード空爆である。主人公は気象条件を決定する大気の敏感点を導き出す方程式をカオス理論から見いだし、ロシアの研究所にあるクレイ・コンピューター(!)を使って計算してもらうよう親友に頼む。こうして彼は計算結果に合わせて世界中を飛び回り、悪天候をもたらして空爆を不可能にするバタフライエフェクトを起こすよう、環境に小さな変化を加えていくのだが……。主人公側の話よりもベオグラードにいる彼の妻と娘の物語が心を打つ。コソボ紛争では西側から悪とされたユーゴスラビア/セルビア勢力だが、空爆を受ける一般市民にとっては(どこでも、いつの時代でもそうだが)意味もなく不条理で悲惨なものだ。

「詩雲」 この作者らしいぶっ飛んだ発想の物語だが、とても面白く読めた。別の作品の続編として書かれたとのことだが、これだけでも十分に楽しめる。遥か遠い過去からやって来た恐竜人たちの呑食(どんしょく)帝国が人類を家畜化し、巨大なリングワールドで恐竜たちの食用に飼っている時代。太陽系に神(呑食帝国より遥かに進んだテクノロジーをもつ異星人)が現れ、帝国からその神への贈りものとして人間の詩人、伊依(イー・イー)が恐竜人の大牙(たいが)に連れられて太陽系に向かう。そこで待っていた神は伊依を虫けら扱いするが、伊依が神に漢詩を見せると、神はそれに興味をいだき、そして……。いやあ漢詩SFとは珍しい。その後の展開も奇想天外で驚かされる。最初と最後に出てくる空洞地球のイメージも凄い。でも神って、きっとアホだと思う。それにしても作者は組合せ爆発的な巨大数に魅せられているようだ。

「栄光と夢」 これもまたとてもシリアスな作品で、あり得たかも知れないもう一つの北京オリンピックを描いた作品である。書かれたのは2003年でイラク戦争の直前。アテネオリンピックはその翌年、北京オリンピックはさらにその4年後だった。SFとしては(古い言葉だが)疑似イベントものとなるだろう。経済封鎖を受け、明日にもアメリカ軍との戦端が開かれるという西アジアのシーア共和国。そこでかつて国を代表して国際大会に出場したアスリートたちが集められる。彼らはみな飢え、落ちぶれていたが、その中に一人の少女がいた。難民キャンプから連れてこられたマラソンの国内チャンピオン、シニだった。彼らはアメリカとシーア共和国の二国だけで開かれることになった北京オリンピックに国の運命をかけて出場することになったのだ。戦争の代わりにスポーツの勝敗で国家間の争いを解決しようというのである。だが健康そのもののアメリカ選手団に対して、ボロボロのシーア共和国に勝ち目はあるのだろうか……。「カオスの蝶」と同様に、ここでも正義という欺瞞、栄光と夢に対する現実の不条理がシニカルに、そして人々に寄り添うまなざしでもって描かれている。

「円円(ユエンユエン)のシャボン玉」 これは恐ろしく前向きで可愛い技術志向の物語。SFにはこういう話があっていい。今の時代、いくらでも突っ込むことができる(例えば環境破壊について、その地に暮らす人々について)だろうが、むしろ周囲が求める責任感や使命感などの重さを全く気にせず、遊び心や楽しみを最優先し、自分の好きなことに全力を尽くす円円のお茶目で前向きな不真面目さ、軽やかさがこの物語では眩しく光っている。それが真面目で責任感の強い父と良い対照をなしているのだ(彼の言うことは聞かないが円円も父が大好きだ)。ひと言で言えばすごいシャボン玉オタクで、それに一生をかけた少女というところだろう。乾燥化する中国西北部を緑化しようと苦闘する両親(その過程で母は事故死する)とは裏腹に、巨大なシャボン玉作りでギネスに挑戦する娘。その才能をもっと人のためになる役に立つところに使えばいいのにと父は思うが、大学を卒業しナノテク企業をスタートアップした円円は都市を覆うほどの巨大なシャボン玉をただ遊びのために作ろうとする。だがそこで事故がおこり……。でも希望に満ちた未来のイメージは、ぼくらが子供のころに夢見た地球改造のわくわく感を思い出させてくれる。今のぼくにはさすがにこの魅力的で圧倒的な情景を単純に称賛する気はしないが、それでもSFにはこういう話があっていい、いやあった方がいいと思う。

「二〇一八年四月一日」 2009年に書かれた10年後の未来を描くというショートショート。遺伝子改造生命延長技術(改延)により300歳まで寿命を伸ばせるようになったのだが、それには大金がかかる。主人公は会社の金を横領して改延を受けようと考えている男だが、彼には恋人がおり、自分だけ長寿になることへの躊躇もある。といった話ではあるが、そこにネットワークのいわゆるメタバースを独立国として認めさせようとする話も関わって(芝村祐吏みたい)、短い中に様々な未来の問題が浮き彫りにされていく。そこには自分とは何かというテーマもある。オチは重要ではなく、こういった未来に起こり得る様々な変化への問題提起を試みた作品だといえるだろう。

「月の光」 以前に読んだとき、おとぎ話の三つの願いをハードSFにしたような作品と評した。未来の自分から人類の危機を救うための技術的な情報を伝えられた主人公がそれを実現するが、今度はそのことによって別の危機が訪れることになり……とくり返される物語。それぞれの危機がエスカレートしていく様子が面白い。大きな歴史は激動するのに、主人公の個人的な未来はほとんど変わらないのだ。未来の改変をテーマにした時間SFとしても読めるが、むしろ環境問題のようなスケールの大きな問題への対策は単純ではなく、そのリスクも考えないといけないことの指摘が重要だ。脱炭素が叫ばれる今日、ある意味とても現実的な物語だといえる。

「人生」 胎児との対話というアイデアが描かれる。親の記憶は子供に遺伝し子供は親の人生を全て記憶しているのだが、通常それは活性化されていない。それを活性化する方法が発見され、母と胎児との対話が実現したのだ。しかしそれが招く結果は……。全てを知ったまま生まれるということはどういうことなのか。ある意味恐ろしく、皮肉な結末である。

「円」 星雲賞受賞作。やはり面白い。秦の始皇帝の300万の軍隊を論理回路に組み立てて円周率を計算させるという話だが、そのバカバカしさとハードSF的な正確さが両立しており、いわゆるバカSFの傑作だといえる。『三体』の中ではVRゲームとして描かれた作品だが、独立させたこの短編の方がずっといい。VRなら何でもアリだが、こちらは一応現実の話として描かれているからだ。それだけにスケール感や命がけの切迫感は大きく、結末もちゃんとオチが着いていて面白い。しかしこの計算陣形の動く様を映像で見てみたいなあ。100万の人間論理陣形で旗が上がったり下がったりすごいスペクタクルだろうな。

『火守』 劉慈欣 KADOKAWA

 劉慈欣の今のところ唯一の童話だそうだ(『三体』の中にも童話はあったが)。訳者は池澤春菜。日本では西村ツチカによる絵本となっている。
 恋人の病気を治すため火守(ひもり)の老人がいる島へやってきた青年サシャが、老人を手伝い、月を船にして空にある恋人の星を見つけ、それを癒すことで彼女の病気を治す。そして地球に戻った彼は恋人に会うのではなく、老人の仕事を継ぐことにする。そういう童話である。海と大地と空の、天動説の世界。空の上、東からの強い風に吹かれて動く三日月にロープを引っかけ、動きを止めて登っていく。三日月を船にして小さな星々の煌めく宇宙の海を漕いでいく。毎朝海に浮かんでくる太陽に火をともすと、熱気球のように昇った太陽が世界を照らす。そんなイメージは美しく、また楽しい。しかし細部はなかなか理屈っぽいのだ。三日月に触ってみたら思っていたのと違って柔らかく、それは満ち欠けするのだから硬いはずはないのだった、とか。こういう面白さはさすがに劉慈欣だ。

『プロジェクト・ヘイル・メアリー』 アンディ・ウィアー 早川書房

 『火星の人』のウィアーの最新作。読んだ人の評判がとてもいいのだが、次第に謎が解かれていく構成なのでみんな紹介に苦労している。ネタバレしても面白さが減るような作品じゃないと思うが、やはり初めて読む時の「うっそだろう!」(6章で主人公が言う言葉)という驚きの気持ちは大事にしたい。
 物語はいきなり主人公がどことも知れぬ閉鎖された環境で目覚めるところから始まる。彼の記憶は欠落しておりここがどこで何故自分がここにいるのかもわからない。ロボットの声が名前を聞いてくるが、自分の名前が出てこない。そんな彼に少しずつ断片的に記憶が戻ってくる。読者には現在パートと過去パートという形で、彼が記憶を戻す度に次第に状況がわかってくるのだ。
 表紙と帯を見ればわかることだが、彼――グレースは宇宙飛行士で、人類の存亡をかけたミッションに挑んでいるのだった。それもたった一人で。少しずつ戻る記憶と、部屋にあるものを使って実験することで、ここは地球ではなく宇宙空間であり、宇宙船〈ヘイル・メアリー〉号の中だとわかる。太陽に異変が起こり、地球は急速に寒冷化している。この速度で30年もたてば地球上の全生命は滅亡するだろう。ヘイル・メアリーとはアメフトの用語で「一か八かのロングパス」を意味するという。グレースは人類の総力をあげたそんなプロジェクトの一員となって宇宙へ向かったのだ。だがその後何が起こったのだろうか。
 山岸真さんの解説では上巻前半くらいまでの内容に触れられている。また下巻の帯には野尻抱介さんの言葉があり、この作品がほぼ現在のテクノロジーで描かれたファーストコンタクトSFの大傑作であると示唆されている。そう、本書はまず人類を救う使命を帯びた主人公に希望と絶望が繰り返されるサスペンスフルな物語であり、物語を進める上で必要な虚構はあるものの、リアリティのある科学技術を描いたきわめてハードな宇宙SFである。そして驚くべきファーストコンタクトSFであって、さらにおまけで言うと、心温まる友情の物語なのである。そしてその全ての上に、科学への信頼と前向きで実際的な精神、明るいユーモア感覚が重なっているのだ。最後のページまでどんどん読ませ、読者を満足させる筆力はさすがである。
 まず何といっても主人公が好ましい。『火星の人』タイプの超前向きで愉快な人間だ。人類を救おうという気負いや使命感よりも、科学が本当に大好きで、時には人類の運命より自分の科学的好奇心を優先しようとするくらいだ。何が起こってもまず理由を考え、実験してそれを確かめないと眠れない。そんなヒーローらしからぬ主人公がどうしてこのミッションに選ばれたのかという謎も、後で明らかにされる。
 そしてその謎や問題解決の手法としての科学。もちろん作品を成り立たせるためのSF的な飛躍はあるが(それも結構びっくりさせられるアイデアだ)、それを前提としてしまえば後は地道なロジックの積み重ねである。イーガンほどではないが、科学的説明はかなり細かくて、一部は受験生の勉強にも役立ちそうな気がする。もちろん細かいところは読み飛ばしても一向にかまわないのだが。
 過去パートに出てくる科学者、技術者もみんな好ましい。唯一プロジェクトを統括する責任者、ストラットだけは人類を救うという強い使命感のゆえに強権的で専制的な恐ろしい女性として描かれているが、そんな彼女にも主人公はそれなりに対処している。周囲からはまるで二人は仲が良いのだと思われるほどに。
 後、読み終えた人は誰もが、6章の終わりで主人公が「うっそだろう!」といった相手に惚れ込むことだろう。そして主人公との関係性に心からのエールを送るだろう。そう、たぶん「顔から水を漏らし」ながら。
 つまり、そういう物語なのである。最高のエンターテインメントであり、誰にでもお勧めできる傑作だ。

『ひとりぼっちのソユーズ』 七瀬夏扉 主婦の友社

 結構評判が良く、切ないラブストーリー+宇宙開発ものかと思って読んだのだが、思っていたのとは違った。いや、少なくとも上巻の全体的な構成はその通りなのだけれど。
 カクヨムに投稿され、文庫化され、それが完全版として上下巻で出たということだが、ぼくはカクヨムも文庫版も読んでいない。それでも、たぶんこのぶ厚い上下巻よりも文庫一冊の方が良かったんじゃないかという気がする。
 主人公は「僕」。幼なじみのユーリヤはロシア人と日本人の間に生まれた娘で、ガガーリンに憧れ、宇宙飛行士となって月に行くことを願っていた。彼女はとてもプライドが高く、小学生の時、自分をソユーズと、僕をスプートニクと呼んで自分の衛星になりなさいと言ったのだ。その時から僕は彼女の衛星となり、二人で月へ行くことを夢見るようになった。だがやがて二人の間には溝が生じ、父の仕事でユーリヤは種子島に引っ越してしまう。でもそのことを告げた満月の夜、二人はまた月へ向かう夢を語り、再び心が通じ合ったのだった。
 高校に入り、陸上競技に明け暮れるようになった僕は、先輩のミサキさんと親しくなる(この部分は青春の甘酸っぱさが素直に描かれていてとても良い)。しかしその夏、僕はユーリヤに会いに種子島へ行き、JAXAの高校生インターンとなって目覚ましい活躍をしている彼女と再会し、やはり自分はユーリヤのスプートニクなのだとはっきり自覚する。ところが彼女は突然倒れ、難病にかかっていてとても宇宙へ行ける体ではないことが明らかにされるのだ。
 それでも僕とユーリヤは何度も再会する。僕は宇宙飛行士となり、彼女は軌道エレベーターを建設する技術者となって。
 これで上巻の3分の2くらい。そのほぼ全てがコミュニケーションが苦手な「僕」とツンデレなユーリヤのラブストーリーであり、それはそれで青春物語として感動的に読めるかも知れないのだが、ぼくのようなおじさんにはいささか胃にもたれるものがある。宇宙に関わる部分は二人のセリフと状況説明だけで、そのディテールはほとんど描かれない。そして上巻の残りと下巻の前半まで、今度は月での僕の生活が描かれるのだが、そのヒロインはユーリヤではなく、ソーネチカという月で初めて生まれた少女、月のお姫様である。ユーリヤはどうなったって? 彼女は軌道エレベーターの名前となったのだ。それ以上はネタバレとなるのでここでは触れない。
 両親がおらずひとりぼっちのソーネチカを父親のように育てる僕だが、わがままいっぱいに育つ彼女に振り回される。それは全くかつてのユーリヤとの関係の相似形である。成長したソーネチカは月での労働者の人権問題や月で増えていく子供たちの問題に関わるようになり、僕の心とは離れていく。疲れ果てた僕はいったん地球に帰還するのだが、やがてまた月へ戻り、彼女との関係を回復する。そんな時、遠いブラックホールから知的生物のものと思われる未知の通信が届き、探査船を派遣する計画がスタートする。
 おおいよいよ宇宙SFになるか、と思った下巻の後半で、物語はまたモードを変える。えっどうして、と言うような展開で驚いてしまうが、まるで美少女ゲームに紛れ込んでしまったみたいで、それ自体はSFでよくあるアイデアだ。ただこれまでの部分とリアリティレベルが大きく異なるので、とまどってしまう。そして結末へと続くのだが、これはハッピーエンドなのだろうか。いや「僕」にとってはハッピーエンドだろう。だけど……。
 こういう物語に涙し、素直に感動できる人がいることはわかる。ただぼくには合わなかったというだけだ。


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